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2020年1月後半の日記

 暖冬だと思う。仕事を休んでいるのもあって、早朝や夕方に外に出ることが少なくなったせいもあるのかもしれないが、去年は毎日のように着ていたユニクロのウルトラライトダウンの出番がほとんどない。厚めのカーディガンでなんとかなっている。スーパーの生鮮食品売り場には耐えられないけれど。

 1月後半は出かけることや友達が家に来てくれることが多かった。ふと思いついて、子どもを連れて空港に行ったり、子どもと、義理の妹とその子どもとミスタードーナツに行ったりした。朝起きたら神戸に行くことになっていたこともあった。神戸大丸に行って、チョコレートだけ買ってきた。突然発生したイベントみたいなお出かけを楽しめたのは、まあまあ調子がよかったからなんだろうと思う。

 1月18日は七曜の歌会があった。最近は徳島以外の歌会には行けていないので、毎月のこの歌会はわたしにとって貴重な場だと思う。七曜は、誰が先生でもない、短歌を磨き上げたいひとたちの集まり。先生がいて教えを乞うような会もそれはそれでよいところもあると思うけれど、今のわたしにはヒエラルキーのないこの場が合っていると感じる。歌会の会場が徳島県立文学書道館だったので、歌会の前に文学特別展「現代詩歌の冒険」を少し見る。自分の年譜があることが、不思議に感じる。まだまだだな。

 1月22日は、徳島文学協会で知り合ったフリーアナウンサーのなかむらあゆみさんのおうちに子どもを連れてお邪魔させていただいた。大人になってからもあたらしい友人が増えるのはうれしい。あゆみさんのツイキャスに参加させてもらったのだが、普段のおしゃべりの延長みたいな感じで短歌の話などできて、とても楽しかった。どこか遠くで聴いてくれているひとがいるというのも。(ライブ履歴はこちら

 ツイキャス楽しいやん、と思って自分でもアカウントを作って朗読をしてみたものの、朗読中に書き込まれたコメントを見てふきだしてしまってなんかつらい。そっか、ライブやもんな。でも自分だけぽそぽそと喋っている感じというのに慣れない。また気が向いたらやってみたい。

 1月23日、欅坂46から平手友梨奈さんが脱退するとのニュースに衝撃を受ける。他の子の卒業も。欅坂においてはわたし個人は圧倒的にてちのファンなので、てちが決めたことならと応援したい気持ちもありつつ、まだ気持ちを言語化できない。そのあとに届いた去年の東京ドーム公演の映像を観ていると、パフォーマンス中のてちはとにかく魅力的でひとつひとつの表情に惹きつけられる。でも本当は、MC中とかの、あ、ここで笑わないんだな、しんどいのかな、みたいなことも気になっている。

 泣ける!という小説を読んだ。でも残念ながら感動できずに読み終えて、何がわたしにとってよくなかったんだろうと考えていた。たぶん、妙に説明的でリズム感のない文章に違和感を感じていたんだと思う。設定を読んでるようで、わたしにとっては好みに感じられなかったんだろう。日常に丁寧にひかりをあてて、そのためにできる闇まですくいとるような美しい文章を読みたい。過剰に着飾った表現も、衝撃のラストも、必ず泣ける設定も、いまわたしが求めているものではないんだろう。文章のリズムがよくて、構えなくても読みやすく、でもそれは作家の緻密な仕事のなせる技であること。それは、自分の創作にも跳ね返ってくる。

 子どもは八か月になった。新生児の時から寝かせていたクッションにのせると、手足がはみ出している。自分で哺乳瓶を持ってミルクを飲むのももう余裕がある。絵本も自分でめくるようになった。でも、つかんでかじっていることのほうが多い。買ったばかりの絵本が一瞬でボロボロになる。力も強くなって、これはやってほしくないなあと思っていることはほぼすべてクリアしてくれる。離乳食はたぶん順調で、時々三回食に挑戦している。食べることは大好きな様子。

 体重が増えて、抱っこして移動するのはかなりしんどい。でも、寒いところで抱いているとぬくぬくする。ぬくぬくだなあと思っていると、口を大きく開けて笑いながら頬に押しつけられる。キスというより、食べられている。友達の、同じくらいの大きさの赤ちゃんにも積極的に口をつけに行くので引っ張って止めている。距離感ゼロ。

 

 

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