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人工林の科学/森林講義編7・最終回(日本の雨とヨーロッパの雨、道づくりと囲炉裏部屋)

日照の長い夏に雨が多く、ヨーロッパ諸国1年分が1日で降ってしまう日本の山

さて時間が来てしまいました。大事なところだけ残り時間でお伝えしましょう。この表は日本とヨーロッパの雨のちがいを見せたものです。『木を植えた男』(ジャン・ジオノ+フレデリック・バック/あすなろ書房 1989.12)という絵本がありましてね、一時たいへんに売れた本でブームになりました。これ、フランスのプロバンス地方で荒野に木を植えたという美談なのですが、プロバンスというのは雨の少ない乾いた場所でして、日本の年間降水量はたとえば東京で1,700㎜〜1,800㎜くらいなんですけど、フランスはパリで600㎜と約3分の1、プロバンスでは360㎜しかないのです。しかも、月別のグラフを見ると、東京は夏に雨が多いですが、プロバンスは夏に雨が少ないのですよ。日本では梅雨に当たる7月という時期に8㎜しか降らない。これが南欧の気候風土なのです。

植物というのは、夏の日照の長い夏至の頃にいちばん育つわけじゃないですか。そのときに雨が多いという。日本の山の最大の恩恵はここですね。ヨーロッパとは比べ物にならない雨の降り方です。ヨーロッパ諸国の年間降水量は500㎜〜600㎜なのですが、紀伊半島の山の中は4,000㎜ですよ。この間の台風のときはどのくらい降りましたか? 1日で500㎜も降った場所もあるんじゃないですか?

つまり、ヨーロッパ諸国の一年間の雨が、日本の山では一日で降ってしまうことがある、ということです。

これがヨーロッパの学者に理解できると思います? 絶対できませんよ。実際にヨーロッパの林学者が日本の山を京大の四手井綱英先生と歩いて、それを説明しても最後まで理解できなかった、という場面が本に書かれている。イメージが湧かない。そりゃそうだと思いますよ。それくらい日本の山は雨が多く、強い。

だから、土質の力学も、木の根の力学も、水というものを熟慮した日本の山というベースで考えていかねばならないし、その視点を落としてしまったら、これからもこの大崩壊が必ずまた起きると思いますよ。

熊野の山の伐採跡地です(下写真)。奥に荒廃人工林を伐った断面が見えますね。手前の斜面は同じような人工林があって、それを伐採したので例のクジラの歯のような幹が見えている。伐った斜面は放置されたまま自然再生したと見える。湿潤で豊かな表土を持っている日本の山は、人工林を伐採後、放置しても本来このように自然再生する力を持っている。植えなくても自然に生えてくる。『木を植えた男』の舞台であるプロバンスとはえらいちがいなのです。

山の再生能力を活かす、自然親和の四万十式作業道

四万十式作業道の写真です(下写真)。工事が終わった直後ですが、盛土法面の上のあたりにスギ・ヒノキの根株を土留めの構造物として埋め込んであります。道を開設するときにルートにかかる支障木が出ますが、その根っこをバックホーで引き抜いてから盛土を積み上げるときに角に差し込んでいくのです。さらに、盛土の積み上げ時には表土をサンドイッチしていき、法面を自然緑化して崩れを防ぎます(中図イラスト)。

スギ・ヒノキの根株を路肩の補強に用いる四万十式作業道
『図解 これならできる山を育てる道づくり』より

下写真は四万十式作業道の3年目の姿です。この写真は高知県の四万十町の山林ですがここは雨量も多く、地質は「四万十帯」で紀伊半島南部と同じですね。小石混じりの軟らかい土ですが、ここに敷いてあるのはどこからか運んだものではなく、道を開きながら出た石を敷いて踏み固めたものです。伐り株と自然緑化の感じがよく解ると思います。

切土は垂直に1.5m以内に切っているので崩れにくいし、道幅のわりに伐開幅が狭いので遠くからでは林道の存在がわかりません。この他、豪雨の際に雨を分散・逃がす工夫、沢を崩壊させない道の横断法など、現在のスギ・ヒノキ荒廃林という条件を逆手に取り、日本の山の再生能力を見事に活かしきった、自然親和型の作業道です。こういう道を入れながら、収穫間伐をどんどん進めていかねばなりません。

雨の多い高知で生まれた四万十式作業道が全国に普及中
詳しくは拙著『図解 これならできる山を育てる道づくり』(農文協2008.2)
http://www.shizuku.or.tv/forest.html

山の木を暮らしに活かす——半割り丸太から作るフローリング

これは私たちが山暮らしを始めて最初に再生した囲炉裏です(下写真)。

2基目の囲炉裏は、自分で伐採したスギをクサビで半割りにして、手オノでハツりを入れて平らにし、鉋をかけてフローリングを作ったものです(下写真)。厚さは4㎝〜5㎝あります。こうして1本の丸太から2枚の厚板をつくり、それを床に張って作った囲炉裏部屋です。

2本のクサビを交互に使い、ハンマーで叩いて割っていきます。裏側はチェーンソーで切れ目を入れて、写真のように手オノを当てて叩いていくと節があってもうまく剥がれてくれます。あとは両側の耳を切って、荒鉋をかけて、こんな厚板ができるわけです。まあ、1日3本くらいしかできませんので、全部仕上がった頃には右腕が太くなってしまいました(笑)。

そのとき大量のハツりクズが出るのですが、これは全部薪になるわけですから、囲炉裏で燃やせばいいのですね。

上写真左下が荒鉋をかけた表面ですけれど、天然乾燥ですからこのようにとても美しいです。人工乾燥材だと艶がなくパサパサで赤身が茶色になってしまいます。ただし現在では自然乾燥と同じに仕上がる低温人工乾燥の技術もあるのです。

雑巾掛けでツヤが出る自然乾燥材の驚き

これは板を張って囲炉裏を使い始めて9カ月目の頃の写真ですが、こんなにツヤが出ている。これはニスやウレタン塗装、あるいはオイルなどもまったく塗っていません。本当の、油の抜けていないスギを、毎日囲炉裏を使いながら雑巾がけして、9カ月後にこれだけツヤがでるのです。中からにじみ出てくるのですね。

昔の囲炉裏部屋の床は黒光りしていたでしょう。あれは漆(うるし)を塗ったわけでもなんでもなくて、毎日の雑巾掛けで自然にそうなったわけです。これが、本物のスギ・ヒノキの素晴らしさなんですよ。これを取り戻さなければいけない。

紀伊半島には無尽蔵と言っていいくらいのスギ・ヒノキがあるのに、それに背を向けて間伐もされずにダメになろうとしている。実は私はチョウの採集や渓流釣りをやっていた頃は当然広葉樹派でして、スギ・ヒノキ人工林は敵みたいなもので大嫌いだったのですが——だけどこんなに素晴らしい素材なんですよ。だから植えたわけでしょう? そこにも気づいてほしい。

使い捨て、燃やすと有害、後は知らない合板

囲炉裏部屋に改装するとき昔のフローリングを剥がしたのですが、これを燃やそうと思っても……。皆さん、燃やしたことありますか? 合板というやつを。とてもじゃないが臭くて臭くて燃やせたものではない。黒煙がモウモウと出て、カビと薬と接着剤の焼ける臭いで、吐きそうになります。

だから裁断してゴミに出しました。出しましたけど、結局これどこかで燃やされるわけでしょう? ひっそりと山奥の隠れた場所にある、高性能(?)の焼却炉で。世界で焼却場が一番多いのは日本だそうですよ。そこで燃やされているのです。

合板というのは確かに便利なものですが、この側面の小口から長年のうちに湿気を吸って、一方で広い面の方は接着剤や化粧板で通気が遮断されますから、やがて接着剤ががれてブヨブヨになってしまう。クギやビスも効かなくなる。よく民家の軒先なんかに使われた古いベニアが波打ったりべろんと剥がれていたりしているのを見かけるでしょう。それを解体しても、ストーブやカマド、囲炉裏などでまともに燃やせないということです。

合板は接着剤だけでなくケミカルな防虫剤なども添加されています。近年はハチがいなくなった原因とも目されるネオニコチノイド系の農薬も添加されている。

ところで、いま東日本大震災で出た膨大な瓦礫をどうするのかと問題になっていますね。昨日は大阪港に震災瓦礫が到着したそうですけれど、あれに放射能が付いているんじゃないか? そんなものを燃やされたら大変だ、ということで大反対する人たちもいるわけですよね。

でもどうでしょう。江戸時代、たかだか百年〜二百年前であったなら、木・竹・土・藁・麻・紙・石……全部再生可能なもの、そうでなければ土に還るもの、あるいは燃やせるものだったわけですよね。

山の再生に、囲炉裏と薪火の愉しみを

これ、パートナーのyuiさんが山に薪を採りに入っているところです(下写真)。いま間伐現場では、木のいちばんオイシイところだけ持っていって、あとは全部山に捨てていっているわけです。昔はこれを焚き物にして、皆が競うように採っていった。だから山がきれいだったそうですが、いまは散乱するように薪が転がっています。これは黙って採っても怒られません。かえって山火事防止になるので喜ばれるくらいです。枝は乾いているものが多いので、即戦力になります。私たちはよく採りにいって囲炉裏薪に使いました。

炎の囲炉裏は薪ストーブに比べて薪の使用量がずっと少なく、調理のバリエーションも豊かで便利なものです。煙が出るので現代の暮らしには向かないと思われるかもしれませんが、湿気や虫の多い山村では、その恩恵は絶大なものがあります。使い方にしても、煙の部屋と畳の部屋を分けて、囲炉裏でできる熾き炭を保存し、畳の部屋でその炭を行火コタツや火鉢で使うといいのです。これを群馬の山で、試行錯誤しながら7年ほどやってみました。いま、その囲炉裏と薪火料理の本を書いていて、3月くらいに出版する予です(*27)。

*27 :『囲炉裏と薪火暮らしの本』(農文協2013.3)出版済み。図はその中のワンカット

こんな愉しみも復活させてほしいのです。まあ誰もが薪の火の暮らしをやってくれ、とはいいませんが、せっかくこれだけスギ・ヒノキがあるのですから、熊野で1人でも2人でも仲間が増えると嬉しいです。

突如出てきた「深層崩壊」という言葉のワケは?

最後に一つだけ。
今回の紀伊半島豪雨災害はマスコミの中で「深層崩壊」という言葉で締めくくられましたね。この言葉は「表層崩壊」に対するものとして昔からあったのですが、これまで研究用語として頻繁に使われてきたものではありません。たとえば2005年の京都大学防災研究所で紀伊半島の土砂崩壊の報告書(*28)があるのですが、そこでは深層崩壊という言葉はまったく使われていないのです。「大規模崩壊」で「すべり面」は何々、という表現がこれまでは一般的だったのです。

https://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/web_j/saigai/database/dpri_p00004_20111018.pdf

2012年の2月に京都大学防災研究所主催で「深層崩壊に関する研究集会」が開かれたのですが、それを聴きに行った人のレポートによると、「崩壊深度がわずか2mの例を発表したり、発表者自身が深層崩壊の定義を求めているレベルの、実に曖昧で混沌としたもの」——だったそうです。

このような曖昧な言葉が、なぜ突然出てきたのか? 
この「深層崩壊」という言葉を使うと便利なのですね。誰も傷付かない。林野行政の失策も隠すことができる。また、これまで大規模な地すべり地帯だけで行なわれていた特殊工事を、そうではない場所でも創出することができる。非常に都合のいい言葉なんですね。実際、国土交通省はいま深層崩壊が起きそうな場所を調査し始めています。まあ、これは私の妄想だとよいのですが……。

というわけで、ちょと時間をオーバーしてしまいましたが、長い時間ありがとうございました。          

                               (了)

※本文で紹介した拙著のリンクです。


(人工林の科学/調査紀行編1に続く)

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