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今週の日記#9

日記は「日」の「記」なので、今週の日記というのはおかしくないか?と一瞬思ったけれど、毎日考えている取り留めのないことをつらつらと残しているだけなので、まぁ日記と呼んでも差し支えなかろう。最近歴史系の小説を読んでいるせいか文体が寄ってしまった。

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おくすりのめたね、のCMが新しくなったらしく「おくすりのめたねっ♪」の歌の続きが歌われていた。知っているメロディの知らない続きを聴くと、なんだかむずがゆい気持ちになる。

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ところで、他の人の日記系note記事を見ると
・〜〜〜!(文章)
・〜〜〜?(文章)
という、点と改行で区切っていく形式の記事がほとんどのような気がするけど、流行りなのか、私の知らないところで日記系noteはこういうふうに書きなさいね!っていう教科書的存在が有るのだろうか。

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某タクシー代などお支払いする代わりに家についていく番組、デリカシーや倫理観を切り捨ててでもテレビ的に盛り上がるであろう話を聞き出そうとする取材精神がスタッフから滲み出ているような気がして、たまに恐ろしくなる。でも、これだけ赤裸々に語り出す人が沢山いるというのはそれだけ聞き手側の話を引き出す能力が高いんだろうな、と思う。

人生を赤裸々に話す人間はエッセイスト以外にも案外大勢居るものなんだなあ。〈話す〉というのは後悔やしがらみなんかを〈離す〉という意義もある、とどこかで聞いたことがある。テレビスタッフ、テレビを通して打ち明けることによってなにか救われることもあるのかもしれないな。

(後日再放送を見ていたら、故人の存在を知ってすぐ仏壇に手を合わせていたりとか、聞きづらいことは遠慮しがちにインタビューしたりしていて、大変失礼な感想を書いたかもしれないなと思った)

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数年ほどお世話になっている美容師さんに
「ウルフカットに興味があって」
と伝えると、
「あれは毎日スタイリングをしないといけないので難しいと思います🥺」
と、私のズボラさを知った上でハッキリと言って下さった。
そういう否定的な返しが嫌な人もいると思う。けれど、「毎日スタイリング?いや頑張れば私でもできるっしょ!」と自分の性格や後先のことを考えず行動し後悔することになりがちな私にとっては、ものすごく有り難いアドバイス。
勿論、「良いですよね、流行ってますし!やりましょう!」と即決する美容師さんが悪いわけじゃ無い。おしゃれなんて失敗を繰り返して磨いていくもんだと思うので、どういう対応をする美容師さんがいたって良いと思う。

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と、いう些細なことから「自分の限界を認識すること」について少し考えていた。
自分じゃ無理だと思うことも一歩踏み出して挑戦してみるのがこの世の美学とされている。ファイト、一発!それが必要に迫られる場面も沢山あるし、実際世の中の歯車と言うのは人間たちの「えいや!」と気張る努力によって回っているんだと思う。
でも、「えいや!」と一歩を気張るときには、既に自分の限界を超えてしまっているのではないか?とも思う。限界が自己認識できないから、体を壊したりする人が後を絶たないんだと思う。
弱い私らは生きることだけに精一杯で、勿論、労働をしながら休日はジム行ったりアクティビティな趣味を持った人間というも大勢いる。だから、人によって限界値と言うものが絶対にあるのだと考えている。ゲーム的にいうとMP、みたいな。
毎日ヘアスタイリングをすることが大好きで苦にならない人も居れば、くしで梳かすのも本当は面倒くさいし起きたら勝手にまとまっていて欲しい、そんな人間も居る。
美容院のような、前述の文章でいう前者の塊みたいな空間でなかなか後者みたいなことを言うのは憚られるような気がするし、体育会系の職場で弱音を吐きだすのも同様。
限界メーターがあればいいのにな。自分は勿論、他者にも見えるような。
どこかのすごいテクノロジーで、作ってくれないか。
でも、もしもそうなったらそうなったで、限界メーターが95%の時点で「まだ残り5なら働けるだろう」といって無理をさせるブラック企業が跋扈しそうだな。それはやだな~。

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