_P2052238のコピー2

「十日一水」な陶芸道

常にこわれることにビクビクしながら、20年いや30年、もろく、はかないモノを相手に仕事を進めている。

粘土は、土と水でできていて。
ロクロでひいたうつわの形を乾かすと、粘土のかたまりでなく「砂のうつわ」になる。さらに、コッチョリーノのオリジナル技法はちょっと独特で、そのはかない物体に色をつけて絵柄を彫るという高リスクをあえて施す。あまり話してこなかったけれど、常にこわさないようにビクビクしているのだ。ちょっと気が散ったり、苛立ったり、眠かったり、逆に調子に乗って勢いついたりすると、所作が雑になり、ぶつけたり道具で穴をあけてしまう自損事故を起こすこともある。


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「砂のうつわ」は、さまざまな過程を乗り越えて強くなってゆく。800度の「素焼き」、1230度の「本焼き」と2回窯に入り、この洗礼を乗り越えたものだけが作品となる。

一見、水が抜けたように見える「砂のうつわ」も、化学的に結合水(結晶水)といわれる水が残っているので、素焼きをして無水物にする。すると、彼らは、可塑性や粘性など質的な変化をやめ、今度はただただ水分を求めガラス質の釉薬を素直にゴクゴクと吸い込み、水もれしないうつわ、色や輝きなど芸を披露する「本焼き」という1230度の過酷な旅に出る。

「こわれないで」と、呪文のように日々唱えているが、本焼きという最終旅の前は「こわれないでください」と、頭を下げることだってある。そこに「うまくいきますように」という言葉はない。


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展覧会を行うたびに来廊くださる若い中国人の学生さんがいる。

最初に会ったときは来日1年目で、英語もわからず、スマホの翻訳機で会話をした。転売人でないか?という周囲からの声もわたしの耳に届いたが、どこの国のかたであっても、彼を含めて心から作品を選んでくれる人は、数分、数10分も話して目を見ればわかる。

彼は景徳鎮の学校でデザインを学んだあと、さらなる飛躍と夢を持って来日したと話してくれた。そのときの学友にわたしの作品を届けてくれていると、翻訳機と、子どもに話すくらい簡単でゆっくりな日本語で会話してようやく知った。わたしが最初にイタリアに到着したときにしてもらっていたように。そうなったら今度は、コピーされるのでは?と周囲に言われた。けれどコッチョリーノの作品はコピーできない、そう確信している。


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厄介なウイルスが蔓延している。
社会が、経済がこわれそうな勢いだ。

展覧会でもいろいろな声や意見をいただいたが、結果は倍のお客さまがご来廊くださった。正解はわからない。ただただ、来廊いただいたかたには、何倍も心身の健康を祈った。


そんななか、展覧会に、中国人の彼はまた来てくれた。「よこはま、とおかった、まよった」と、疲れた顔でやってきた。そして、わたしに「にほんご、うかった、にほんのだいがく、うかった、いいにきた!」と笑顔で言った。素直に、展覧会をやっていて良かったと思った。

そして彼はつづけた。「2ねんかん、けっかなかった、いまけっかある、ちゅうごくのかぞくと、たまみさんにつたえたかった」と。「でも、ちゅうごくかえれない」と、またさみしそうな顔をしながら、「ちゅうごくから、びょうき、ごめんなさい」とつぶやいた。

「なにいってるの!それは違う」と、わたしは力を込めて、いつものゆっくりでなく早口で言った。胸が熱くなったが、冷却装置をはたらかせ「互いに、がんばりましょう」と、彼の夢がこわれないように心から願った。

「十日一水」のごとくものを生み出し、人をつなぐ作品でありたい。
窯の故障で一度は延期になった個展「はるのいのち」へのご来廊と応援のお礼に代えて。



あとがきコッチョリーノ 

▶︎先週の金曜日に搬入とディスプレイをしてから10日間、本当にたくさんのかたとお会いしました。1時間ちょっとかけて通勤も毎日しました。10日間で座っていた時間はそのうち数時間だけでしたが、とっても元気です。▶︎イタリアから帰国したての20年前、朝から晩まで毎日在廊をつらぬこうと決意しました。「お礼をいう」ことしかできなかったからです。20年目の個展もありがとうございました。▶︎展覧会前に咲きはじめた庭の梅花。数日前から花びらが散って、東京にめっきり降らなくなった雪の代わりに花びらが庭に積もっています。ずっとずっと花は咲きつづけることはないのだから、散るまでしっかりと見ていたい。▶︎人も物も、心も記憶もこわれます。時間かけて料理しても一瞬で胃袋に入るのと同じです。形がこわれても、栄養となり実となれ、そう願っています。こわれても継げるものはあるはずです。(コッチョリーノ 我妻珠美)







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