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「やまもりさま」からわたしへ


やまもりさまの声

おととい、新作がわれた。
かけらなんて拾うからさびしいんだし、どんな意味があったのかなぁ、なんて諸行に理由を求めてしまうからさらに感傷にひたるのだ。継ごう、継ごうよ。

そのひ、かたつむりが眠りについた。
殻の中なんてのぞくからさびしいんだし、雨あがりの早朝、庭のツユクサの足元に、さようならなんて手をあわせるから別れだと思うのだ。またね、と手をふろうよ。

きのう、クルマが動かなくなった。
冷たい板金をなでるからさびしいんだし、拗ねたクルマのせいだと思うからやるせないのだ。言ってくるよ、と山を越えて搬出に向かおうよ。


「テイク・ユア・タイム」(下写真参照)」

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作品「やまもりさま」については     
 


やまもりさまと空也

長野の森のなかに設置した道祖神「やまもりさま」は、空也のごとく口からまじないの言葉を吐きながら森の中に結界をつくっていく。口から出た言葉は30くらい。市上人(いちのしようにん)と呼ばれた空也が民間の祖として仰がれるのとはちがい、人間は、よかれと思っていろいろなことを、つい言ってしまう。

「すべらす」「まね」「ぐせ」
「づて」「づけ」「でまかせ」
「まこと」「うそ」「かず」
「わざわい」「さびしい」
「うるさい」「ふうじ」
「やくそく」
「ほどにものをいう」
(クチをつけて読む)


しかし「やまもりさま」にも自尊心があったわけで、土にもどりたい一心で(土を焼いて器を作った人間の知恵ゆえに陶は土にもどれない)言ってしまったまじないの言葉があった。煩悩というのだろうか。

「あめふれふれ」

いや、罪業だ。森のなかで過ごした3週間には台風が2回もきたが、土にもどることなく、気丈な道祖神としての役割を果たした。


これでもか、やまもりさま

きょう、陶芸窯の電気装置がとまった。
来月の個展に焦るからさびしいんだし、疲弊した機械のせいだと思うからくやしいのだ。この独立窯を設置して19年。併走した時間はうらぎらないよ、一緒に歩みなおそう。

またまたそのひ、
「やまもりさま」4体すべてがわれた。
顔と体が上下まっぷたつになった。感情が入ったからさびしいんだし、人はすがりたいと思うからこわいんだ、最後の言葉だよ、となえてごらん。

忍辱(にんにく)の衣厚ければ、杖木瓦石(じょうもくがせき)に痛からず


あとがきコッチョリーノ 

▶︎冗談のような日々を忍耐というのでしょうか。▶︎「耐え忍ぶ心が厚ければ、難も痛くない」悟りを得よという暗示でしょうか。▶︎作品を継いでも、カタツムリに手をふっても、クルマなしで山を越えても、窯と歩みなおしても、やまもりさまと最後の言葉をとなえても、現象がもとに戻ることなんてないのだけれど、識ったり認めたりすることにはつながるんだなと「わざわい」の日々のなかで過ごしています。▶︎長野の森に設置していた作品搬出へ。これだけイレギュラーな心に動かされると野鳥とまで心が交わせるのか。パンを食べていたら、ぴいぴいと、たくさんの野鳥が大騒ぎして寄ってきました。警戒心のつよい彼らの目には、自然から学んだ「忍辱」が映っていました。▶︎ここ数年は展覧会もうまくいき、じわじわと仕事が流れていますが、実を食べれば種を出すように、人間の「身、口、意」の三業でつくられる苦しみの原因「罪業」を、種として出さなくては次に進めないかもしれません。▶︎12月の個展スケジュールを相談したらギャラリーが偉大なる助言と提案をくださり感動してます。作品、作品展の意味を考えなおす良い節目です。公式な日程発表もう少々お待ちください。



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