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【人生】結婚と血痕〜コミュニケーションスキルを学ぶより大切なこと

コミュニケーションスキルって、あれば社会で上手く立ち回れるでしょうが、生きていく上では、もっと大事なことがある気がします。

私の若い頃の話をしましょう。

中学卒業の14歳の時、初めて女性に告白し、フラれました。
そして、37歳の時、妻と出会うまで、23年間、好きになった女性達にフラれ続けました。

妻と出会うまで、私には、男として、何か重大な欠陥があるのではないかと、悩みました。

自分に、もっと、女性に好かれるコミュニケーション能力があれば…と思っていました。


妻とは、当時の出会い系サイトで知り合いました。
今でいうマッチングアプリのようなものです。
携帯会社が運営していたサイトだったので、いかがわしいサイトではなかったと思います。

一カ月位のメールのやり取り後、実際に会う事に。
デート前、何を話そうか、色々考えました。
お互い、本が好きだったので、本の話題にしようか…など。

待ち合わせ場所で、初対面後、喫茶店へ。
ところが、緊張し過ぎて、何も話題が出てこない。
本の話をしようとしても、会話が続かない。
焦ります。
やっぱり、俺にはコミュニケーション能力が無い(T_T)

ところが…

妻の顔を見ると、「ねっ…」と小さな声で言いながら、微笑んでいました。

スーッと肩の力が抜けました。
その日は、その後も、会話は上手く続きませんでしたが、妙な安心感、ホッとした感覚がありました。

そして、何回かのデート後、付き合う事になりました。
その後、同棲、結婚、今に至ります。

妻に、初デートの時、私をどう思ったか、聞くと、一生懸命話そうとする姿が、好印象だったようです。
そして、妻は、話し上手な人が苦手だと言っていました。
そして、私の職業は、清掃ですが、そういう仕事をする人は真面目な印象があると言いました。
底辺仕事ですが、感じ方は、人それぞれだなと思いました。


社会での人間関係で、コミュニケーションスキルがあれば、それは武器になるでしょう。
しかし、自分が大事に思う人、大事に思い合う人と接するときには、ありのままの自分でいたい。

今でも、時々、妻と大喧嘩します。
妻の怒りを鎮めようと、小手先のテクニックを使っても、妻は納得しない。
感情と感情をぶつけ合い、お互いに泣き喚いて、お互いが納得する着地点を見つける。
その繰り返しです。

喧嘩のたびに、お互いを知っていき、妻は、もはや、唯一無二の大事な存在、最高の人生のパートナーです。


コミュニケーションスキルなど考えず、ありのままの自分で、接することのできる人達は、私にとって、大切な存在です。
だから、私は、そういう大切な人達と、支え合って生きていく。
私の使命は、そういう人達を大事にすることです。
それ以外の人は、どうでもいい。

はっきり言ってしまえば、私がコミュニケーションスキルを学び使うとしたら、それは、その、どうでもいい人達に対してです。
仕事で、社会で。
対外的なコミュニケーションを円滑にするだけです。
そこで、失敗して、嫌われようが、ばかにされようが、私は傷つかない。傷つかないと決めた。
私は、ありのままの自分を受け入れてくれる人達を大切にする。
それだけでいい。
そう割り切れるようになってから、生きることが楽になりました。

そうそう、何かの本で読んだのですが、「結婚」と「血痕」、どちらも「けっこん」。
まあ、結婚とは、そういうものなのでしょう。




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