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人生の終わりまであなたはどうやって過ごしたいですか?ACPについて

ACP(アドバンス ケア プランニング)
って聞いたことありますか?

https://www.mhlw.go.jp/content/10802000/000536088.pdf

厚生労働省のホームページにも出ており、病院などで目にしたり、家族やご自身が医療従事者から説明を受けた人もいるだろう。

医療の発達に伴って、いろんな治療法ができた。医者の言うことが絶対!!という風潮はなくなってきつつあるが、実際の医療現場ではまだまだ根強いと感じる。セカンドオピニオンやインホームドコンセプトなどの言葉は、一般的に広まってきているが、いったいどれくらいの人が自分の終末について考えているだろうか。

まだそんな歳じゃないし、考えられない。という人は多いと思う。実際、医療従事者である私の夫も「そんな簡単に決めれることじゃないから」と、茶を濁す。

先に言っておくが、ACPは決めることではない。一度決めたからと言ってその通りにする必要はなく、その時その時の状況や感情によって変化するものだ。だから、素直に今もし自分の身に何か起きた時にどうしたいか、自分が喋れなくなった時誰に決定権を委ねたいかを考えておくことは、年齢関係なくしておくべきだと思う。

理学療法士として働いているといろんな患者や家族をみる。障害を受け入れるには時間がかかる。医療用語では障害受容というが、時々聞かれるのが、
「この方まだ、受容ができてなくて。方向性が決められないんです。」
「障害受容できてなくて、歩けると思ってて、転けてしまうんです。」
という、スタッフの声だ。

たしかに障害を受容することは大切だ。だが、自分の人生が前日までと大きく変わることを数ヶ月で理解して受け入れろというのは酷なことなのではないかと私は思う。

「そんなこと言われても、期限があるんで、とりあえず方向性だけでも決めてください。」

本人の意志や障害の程度、回復の見込み、どのような介護生活が待っているかなど分からないことばかりの中で、家族は追い詰められていく。

そんな光景は日常茶飯事である。

「家に帰りたい」

それはほとんどの人の希望だ。それを実現するために、リハビリスタッフはあらゆる知恵や技術を使い、なんとかしようとする。
だか、一度病気や怪我をすると100%元の身体に戻ることはない。過去には戻れない。怪我や病気をした自分で生きていく必要がある。リハビリテーションは元の身体に戻すことが仕事ではない。と私は思う。その病気や怪我の回復をできるだけ促し、予後を予測し、あらゆるパフォーマンスでその人らしい生活につなげることだと思う。これはあくまでも私見だ。

だから、「家に帰る」という本人の希望を叶えるためには、あらゆる変化を本人にも家族にも受け入れてもらう必要がある。理学療法士は魔法使いではない。いくら時間をかけても過去の元気な身体に戻すことはできない。そこで必要になってくるのがACPだと私は思う。より具体的に、個別に対応する必要がある。テンプレートはない。地域、家、職歴、友人関係、経済力、家族構成、宗教、学歴、趣味、、、数々のその人を形成する環境によってゴールは変わってくる。それに加えて本人の想いがある。本人しかわからないのは当たり前なのだ。


私は現在、子なし、夫の実家の一軒家で夫と義母の3人暮らし、無職。実母生存。そんな環境因子に加えて私の想いを考慮して、こう夫に伝えている。

私のACP
・脳死およびこれ以上の延命処置をしても意識が戻る可能性が低いと判断された場合は、あらゆる延命措置を止めてほしい。その判断は、その時の主治医と夫によって決めること。

・臓器提供をすることができる状況であれば、臓器提供をすること。保険証に意思表示あり。

・重度障害によりコミュケーションが取れない状況になった場合は、施設および療養病院へ入所。在宅介護は望まない。

・身の回りのことが自分でできるくらいの障害、自身で意思決定ができる脳機能の残存があればその時の自分の判断に任せる。ただし、認知機能テストなどで正常な判断ができていないとなった場合は、このACPを優先する。

・私がコミュケーションを取れなくなった場合の代理人は夫。不慮の事故で夫もコミュケーションがとれない場合は、実姉を代理人に指名する。

以上だ。子どもができたり、環境や考え方が変わるとまた変わるかもしれない。それでいいのだ。何かあることを考えるなんて不謹慎だとか、縁起でも無いとか、そんな将来のことを考える必要なんてないとか言う人もいるかもしれない。そう思う人はそれでいい。
私は、自分がいつどうなるか分からないからこそ、今を幸せに感じ、生きていると実感ができるタイプだ。

強要するものではないが、誰とどんなことをしたいか、どんなことをしてほしくないかを考えることが当たり前になる世界がくればいいのにと思う。そうすれば医療はもっとその人のアイデンティティを大事にできると思う。


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