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出汁についてつらつら

最近、出汁をとって味噌汁を作っている。
と言っても出汁パックからだが、ずっと顆粒だし派だった私からすると1ランクアップした感がある。
そもそも顆粒だしを使って味噌汁を作り始めたのも、結婚して夫に言われたからだし、そこからすると遠い所まで来たものだ。
料理における「うま味」が感覚的なものではなく定義されたものであることも初めて知った。イノシン酸さんとグルタミン酸さん、こんにちは。

出汁って無形文化遺産にもなったり、食品やお店でこんだけ出汁出汁言われている割に印象が曖昧模糊なのは、その多様さのおかげかと思う。
昆布、鰹、いりこ、しいたけ、その他沢山のものからとれるので味が一つではないし、出汁単品だと別にそんな美味しく ないものもある。
(昆布出汁とか。そうでもない?)
塩味と言われたら大体似たようなイメージになりそうだが、出汁(旨味)と言われてどんなイメージになるだろうか。

昔からなんとなく出汁に憧れはあった。
引くんだかとるんだか知らないが、出汁は「手間暇かけて良いものを作る」もののというイメージがある。いわゆる「丁寧な暮らし」というものか。
日々の暮らしに余裕がある人のもの、もしくは意識高い人のもの。
あとは古典的な嫁いびりや若い人への批判の材料に使われているか。
「出汁の取り方も知らないの」みたいな。言われたことないけど。
憧れる反面「けっ、カッコつけて。余裕があって良いね」と横目で見ていた気もする。

そもそも出汁について興味を持ったのは、「おせん」だったように思う。
食を始め、和や美について描かれた漫画で、大学時代の友人に貸してもらいはまった。
手元に無いので詳細はうろ覚えだが、本枯節を求めて鹿児島(確か山川)に行く回で出汁というものが文化であること、本枯節や荒節といった種類があること、何よりやたらと美味しそうだということが印象的だった。
と言っても漫画では大きな鰹節(昔ながらの贈答用とかにある塊のもの)を削り箱で削っていて「そこまではなぁ…」と憧れに留めだけだった。
日常におけるささやかなエンタメとしてやってみるのは良いけど、日々の食生活に取り入れる気はおきなかった。


まあそんなこんなで時は流れ、私も毎日の食事を作るようになり、顆粒だしを経て出汁パックを使うまでになった。
使ってみれば簡単なもので、水から熱して沸騰してから数分置くだけで取れる。顆粒だしの味噌汁より、角がなくコクがあるような気がする。気がするだけかも。
出汁パックという事もあり、増えたのは上記の通り煮出す5分程度。
別に丁寧な暮らし感はない。ないけど、お味噌汁が美味しいのでなによりだ。



おせんの本枯節回。出汁の茶漬け食べたい〜〜







(料理とんちんかんだった為、「あじのもと」と「だしのもと」の区別がついておらず、」あじのもと」とラベリングされた「だしのもの」がそのまま使われている。)

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