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同じやるならがっつりやるのが一流以上

わが戦場では年に数回、試験監督という任務があるわけなのですが、枠組みの関係上、時々「自習」という枠が組み込まれます。

今回の任務の1つがそれだったのですが、まあいつも見ていて思うこと。

ひとり黙々と問題演習やインプット&アウトプットの積み重ねに興じるのが多勢ではあるものの、やはりそれなりに出てくるのが寝落ちするのや、人のしていることばかり気になるのや、ものの見事に先に進んでいない感を全力で醸しているのがいるのですよ、一定数。そしてそれはまさにその常連。

試験問題って、ほとんどのケースが個人戦。しかも脳内情報のアレンジ&アウトプットのみの一本勝負。それをさんざ経験してきているはずなのに、せっかく前準備ができるこの時間をものの見事に消化“だけ”してる感じ。
んで、そういう向きに限って「うまくいかない」だの「問題が悪い」だの「教え方が悪い」だのまくしたてるのですよ。すごいクオリティだなと。

困ったことにこの傾向は中高生に限らず、大学生やオトナの世界でも似たようなところがあります。どちらのフィールドにしても共通しているのは、その人となりが持っているレベルで勝敗の体積が決まっているところだと思います。

個人的主観丸出しでつれづれ書くとこんな感じでしょうか。

超一流は自分の時間と相手との時間を明確にかつ自然に組成しているので、生み出す成果も相手分も積算でまさしく相乗効果をとことん生み出す。
一流は自分の時間を活かす部分は超一流と遜色ないですが、相手分の積算がどうも倍率1未満となっているようで、相乗効果が見えてこない。言いかえれば、最後まで個人戦に持ち込んだときは勝機を掴めるのに、そうでなければせっかくの勝機をとりこぼしてしまっている。やっかいなのは、自分自身の倍率が1未満なのか、相手の持ち倍率が1未満なのかは相手によって変数になっていること。すなわち、勝ち負けはその時によるという体たらく。
二流は自分の時間が必要であることは理解しているが、最適解にたどりつけていない組。実は一流とは大差ないはずなのだが、その理由は明快。最適解にたどりつくだけの経験や実感を手に入れていないだけ。もしくは超一流への視野がそこにない。見えていないのか、見ていないのかは当人次第。
凡人はまさに一勝一敗。その時はその時。ケセラセラ。中長期的な戦略など存在していないから、その時のノリで時間を過ごすことができる。救いなのは、凡人が圧倒的多数(だと当人達は思っているらしい)なので「勝負は時の運」だという言葉がホント都合いい。そういう”何となくマジョリティ”がその温泉をぬるま湯にしてくれているらしい。
三流になると凡人未満であること以外は書く言葉はありません。その場所にいられることで、もしかしたら奇跡のエナジーを使い果たしているのでは、とぐらいしか書けません。

今回見ていた集団は、超一流:一流:二流:凡人:三流で整数比にすると1:1:3:6:2ぐらいですかね。集団としてみれば、それなりに闘えるはずのメンツなのですが、個々のレベルとしては、まだまだのようで。

自分ですか?自分は見かけ倒しの一流、実態は凡人でしょうよ。超一流になるには人徳があまりにもないようなので。磨きは必要だと思っているので、もしかしたらいつか化けるかもしれません。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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