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死にたいと言う人間を、神は救わない

死にたかった。死にたい時、孤独だった。
誰も理解しなかった。
「そんな泣き言を言うな」と母は言った。
父は「ワシだって死にたいときはあるけど、我慢しているんだ」と言った。
私は神に祈った。
毎日祈った。
「どうか死なせてください」
首を締めれば死ねるだろうか。橋から川に飛び込もうか。新幹線に轢かれてグシャグシャになってしまおうか。
なぜ、死にたい私の気持ちを、誰も受け入れてくれないのか。
誰か、私の気持ちを分かってくれ。
私を独りにしないでくれ。
神よ、私を導いてくれ。私を救ってくれ。

死を願う時、人は孤独である。
誰もが、人を死から遠ざけようとする。
死から遠ざけようとする時、人は良心から救いたいと願い、死にたい人は孤独に苦しむ。
神ですらそうなのだ。

そして私もだ。
生きていたい人を救うことはできても、本当に死を目前にした死にたい人を救うことはできない。
私まで引っ張ろうとしてくる私自身の死への欲求が、永遠に痛み続けるからだ。

それが分かる。
心が死んでいく音が分かる。
寂しい。つらい。しんどい。
怨嗟の声。

私にとっての救いは、なんだったのだろうか。
心に刺さった棘が消えてなくなるように…
いつからか、泣くことは少なくなった。
6月の雨が洗い流してくれたのか。
蝉の声と一緒に消えていったのか。
私を拘禁した瞳が、いつしか優しく微笑むと、彼は去っていった。

長かった。
その瞳は私を吸い込んで硬直させた。
心を射殺す視線。
医者にかかって5年、生まれて来てから26年。
永遠に苦しみ続けた痛みを、忘れることはできない。
それを無視して、生きることはできない。

明日の朝、私は働きに出かける。
それは一歩目に過ぎない。
また死にたくなるかもしれない。
孤独に苦しむかもじれない。
あの瞳に魅入られるかもしれない。

それでも一歩踏み出そう。
そうしないと何も始まらないことを知ってしまったから。
一人で歩いて行こう。
一人で泣き、一人で笑おう。
独りで。独りで。

私を救えるのは、この世界で私だけなのだから。



インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。