診断書

診断書が出ました

今日は病院に行ってきました。精神科の病院というのは多くが完全予約制で、行っても混んでいるという事はありません。今日も予約の20分前に到着し、30分後には診察室に入りました。

主治医はいつもと変わらず、「障がい者手帳向けの診断書を作りました。」と告げました。これも1か月前から頼んでいたものなので、そうですか、と返しました。続けて主治医は、

「診断には、ちょっと受けつけにくいかもしれませんが、発達障害と書きました。」

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少し驚きました。僕は今まで発達障害という診断が出た事はありません。発達障害という病気は、脳の機能の一部に障害がある、生まれつきの病気です。私は発達障害がもっとひどい人の事を指し示す障害だと思っていました。

「あなたの症状には、自閉症スペクトラム的な症状も一部にある。同時に、ADD、注意欠陥障害的な部分も一部ある。双方のグレーゾーンであり、どちらか一つを取ると発達障害とは言えないかもしれない。しかし複数のグレーゾーンの重ね合わせにより、その状態が濃くなった。」

「小さい頃から人と違う面がたくさんあったと思う。それは小さいレベルだったので誰も気付かなかった。特にコミュニケーションにおいて、問題を抱える部分があったと思われる。あなたはそれを努力して乗り越えた。むろん普通の人も努力しているわけだが、あなたは人より努力が必要だったかもしれない。そうではないですか?」

「長い年月と、挫折感の組み合わせにより、あなたはうつ病を併せ持つようになり、ついには希死念慮が増悪していった。この場合、川の源流、川上にあるのが発達障害で、川下にあるのが希死念慮です。ですから、川上にある発達障害の流れをせき止めれば、あなたのうつ病は改善していきます。」

説明の最後に先生は「どうですか?受け入れられますか?」と聞いてきました。私は、先生の事を信頼します、と返しました。あとはいつも通りの診察でした。


僕は他人と違うかもしれないと、そう思ったときは数えきれないほどありました。他人と違う価値観で生きてきました。他人に合わせるだけで、物凄く努力しなければなりませんでした。

いつも集中を欠き、注意力が低かったです。勉強もなかなか手につきません。体育は一番嫌いで、運動はいつもビリでした。物の扱いが粗雑で、整理整頓も上手くいかなかったです。

コミュニケーションも苦手でした。人の前で突拍子もない発言をしました。逆に何か言わなければならない場面で黙ってしまいます。それらにより、いつもいじめられていました。

20代に入ると、僕は様々な経験はあっても、成功体験も誰かから強く肯定される事もなく大人になりました。僕は、自分を社会不適合者だと思い、生きていたくない、死にたいと思うようになりました。


主治医の診断はどこか納得できるものも多かったです。自分が障がい者だと、言い方は悪いですが、分類される事で安心感もありました。

明日、市役所に行って手続きをして来ようと思います。手続きのアレコレなんかはまた書こうと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは

インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。