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依存

どっかで心理士が呟いていた、「一人に依存するのは良くない、色んな人に分散して依存するようにした方が良い」って。
そんな分かりきった話をしないでくれよ。できるならやっているから。

メンタルに問題を抱えている人の多くが、依存先を探して彷徨う様は、さながら砂漠にオアシスを求めて右往左往する旅人と相違ない。

多くの人間の悪い癖で、私も反省すべき点なのだが「自分が簡単にできること」って「他人も簡単にできる」って勘違いしてないか。
つい自分がやっていることって、他人もできると思いがちと言うべきか。

例えば毎日風呂に入るのは当たり前の人が多いわけで、お風呂が苦手な人が現れた時「えっ」ってなるのは、そういう「できて当たり前」に囚われているからだ。

これは今日の話の芯ではない。

依存という問題を考えたとき、「人に依存する」「誰かに依存する」っていうのは、問題の中でもだいぶんマシな方に入ってしまう。
ギャンブル依存症、アルコール依存症、薬物依存症などが精神医療の中でも重要な部類を占めていることを考えれば、恋人や家族に依存してしまうなんて優しい部類に入ると思わないか。

かくいう私も、経済面では親に依存しているので、他人の事とやかく言う事ができないわけだ。それでゲーム依存にインターネット依存まであるから、どうしようもないのである。

全ての人にとってそうであるように、ついつい比重を置きがちな「依存先」を持っている人って、いっぱいいると思うのだよ。

依存=悪って決めつけてしまうと、生きづらい人がもっと増えると思うので、ひとまずそれを悪とすることをやめないか。
宇宙人がある日やってきて、地球に生きる人が全員「重力依存症」だって言われた時に、我々はどうやって反論するんだい?

メンタル病んでる人を、僕はアサガオに例える。アサガオは、最初芽吹くときは一人で勝手に育っていくので「手のかからないやつだ」と放っておく。すると次第に伸びてきて、あっちこっちへ蔓を伸ばすので、段々手に負えないものになっていく。そこで「どうしてこいつは変な方向に育つんだ」って思うのだ。これが大人の発達障害であったり、愛着障害であるわけだ。

なので、アサガオの蔓を支柱に巻き付けて、依存先を作ってやる。
するとアサガオは天に向かって綺麗に伸び始め、花を綺麗に咲かせる。
大事なのは、しっかりした支柱を依存先として作ってやることなんだなあ。

精神面での不調っていうのは、依存先がなくなってしまったり、あるいは不安定であったりして、上手く伸びていかないときに起こりがちなのだと思う。

死にたいほど辛い人は、ひとまず誰か助けてくれそうな人を見つけてみればよいでしょうね。もちろんそういう人がいないから辛いって事は分かる。
でもまずは歩くところから。砂漠を行ったり来たりして、水がどこで沸いているかを探すのだ。

まずは趣味とかで良いから(お酒や薬はだめですよ)依存する先、蔓を伸ばす先を取っ掛かりにして、ゆっくり伸びていけばいいんじゃい。

私ものんびりやるから。
あんたものんびりやってくれ。


インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。