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1.キャリアウーマンを辞めるまで②

写真「政治家たち」鳩山さん、沖縄で頑張っていらっしゃいますね。麻生さん、今も同じ顔。志位さんはレンガ色のおうちに住んでいそう。

●40歳で会社が倒産

2008年40歳、リーマンショックで勤めていた仏系投資銀行が閉鎖されることになった。「これで自由になれる!」そう思う反面、「これからどうしよう?」と不安でいっぱいになった。転職を何度かしたとはいえ、外資系金融に勤めてから10年以上経っていた。長すぎた春ではないが、もうすっかり飽きていたので、違うことがしたかった。しかし、この地位を捨てるのは怖い。いい歳をして仕事もなく、結婚もしてないなんて、きっと後ろ指刺され、生きづらくなるに違いない。やはり転職するしかないか。もう40歳だから、新しいことを始めるなんてできないかも。いや、最後のチャンスとも考えられる。歳を取ればとるほど、身体も老化して動けなくなる。ああ、どうしていいか、わからない。と悩んでいた。
2009年3月末で早期退職を募った。辞めるなら、結婚してなくても皆に認めてもらえる仕事をしなくてはいけない。だけど、どうやって?起業して女社長にでもなるか。全然わからなかった。周りの同年代は皆、「定年まで勤められる会社を探すしかないでしょ」と言っていた。生きること=お金を稼ぐことになっていた。
早期退職申し出の締切日前日は夜も眠れず、天井を見ながら悩んだことを、今でも覚えている。 翌朝、同じ課の入ったばかりの若い子が人事から呼ばれていた。結局、勇気のない私は、残務整理をする人員として残ったのである。


●死んでもいいから、好きなようにやってみよう
結局、残務整理を2年した後、2011年1月、42歳の時に、有名な米系証券会社に転職が決まった。これでなんとかキャリアウーマン歴を繋げることができた。けれど、一方で同じ状況を続けたら、会社に疲れて人生が終わってしまうと危惧していた。
3月には東日本大震災もあり、いつ死んでも悔いのない生き方を私はしているだろうか、と自問自答する日が続いた。新しい仕事は同業種といえども、異なる環境でトラブルの連続であった。帰宅途中、会社のあるビル、恵比寿ガーデンプレイスタワーを眺めながら、モヤモヤした気持ちを持て余していた。だって、どう考えても「死んだように生きている」から。
この頃、会社近くにあるカフェ「アサンテ・サーナ」主催の女性起業セミナーに参加し、起業計画書を作成してみたが、さっぱり書けず、ショックを受けた。あとで聞いたところ、この講座を受けても、本当に起業するひとは、2割もいないと言っていた。自分で起業するって半端ないことだと思い知る。
そんなある日、上司と喧嘩してしまい、売り言葉に買い言葉で退職すると言ってしまったのである。本当に退職することが決まると、怖くなり、取消依頼をするため、上司に電話をしたこともあった。もちろん「ノー」と言われましたが。もう後には戻れない。肚をくくって、やってみよう。死んだようにいきているなら、死んでもいいから、好きなようにやってみよう。
2011年の10月末で米系証券会社を退職した。ついに温室を出て、後戻りできない棘の道を歩き出した。


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