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ゴルフと瞑想について:ひろり

こんにちは、玉光神社note担当のAMです。
今回はひろりさんによるゴルフと瞑想についての随想です。


今年で58歳になる。仕事のためにゴルフをしなければならないのでやっている。断れないこともないのだが、球技はきらいではなく、責任感からと自分に言い訳して、20代からプレイを散発的に続けてきた。

しかし練習は嫌いだ。プレイの直前になると1回か2回練習して、ボールが前に飛ぶことだけを確認して不安のままに当日を迎える。

当日になると他のメンバーのプレイはそっちのけで、自分のプレイのみ意識して走り回る。へとへとになりながら、なんとかチームのプレイ全体を遅らせて、後ろのチームに迷惑をかけることだけはしないようにして、だんだん数を数えるのと息を整えるのが大変でプレイに集中できなくなってくる。

メンバーとのコミュニケーションはろくに取れない。スコアは人に言える数字ではない。一日が終わると、へとへとで翌日はどんよりとしている。何番ホールでどこにボールが飛んで、どこがよくて、どこが悪かったかなんて全く思い出せない。昼ごはんをみんなで食べながら、あなたのあそこのショットはよかったですねなんて言える余裕はない。

3か月連続して毎週1回先生についたこともあるが、3か月後もスコアが同じだったのでゴルフは自分には向いていないと思った。
家の近所の練習場は、歩いて行けるところは2つつぶれた。3つ目は遠い。自動車の運転はしないので、歩くと30分かかるので、行き帰りだけで大変。行っても先生がいないので、上達しない。会社の後輩で大学のゴルフ部出身の人に教えてもらったが、翌日のゴルフ場でかえってスコアが悪化した。

そんな私に救世主が現れた。なんと歩いて10分のところに室内シミュレーションゴルフ場ができ、毎回先生が短時間だがついてくれる。
月額がかなり高いが、暑くても、寒くても、雨が降っても、風が吹いても、快適な環境で練習ができる。会社の帰りがけに行っても、靴もクラブも貸してくれる。受付の女性がかわいく、私のお気に入りの貸しクラブが空くと、わざわざ届けてくれる。
週4回通ったこともあるくらい熱中した(練習に)。金額が高いので、早く上手くなって脱会しようと思った。
でもさっぱり上手くならない。先生が何人かいて代わる代わる教えてくださるが、先生によって言うことが違う(ような気がする)。見てるだけでさっぱり教えてくれない先生もいる。
仕事をゆっくり休んだ日曜日は比較的飛ぶが、平日疲れているときは、さっぱり当たらない。というか疲れてなくてもジャストミートする感覚がほとんど掴めない。何番のアイアンで打っても100ヤードしか飛ばない。
と思いながら1年以上だらだらと続けて。100回以上通ったころに、また救世主が現れた。

その先生には3回ついた。先生の言う通りに打つと、面白いように当たった。7番アイアンでよくて120ヤードくらいだったのが、140飛ぶようになった。
自分は球に当てよるとすると右手に力がはいって、剣道の袈裟切りのようになるので、当てようとしないで、左手の小指を引っ張るように打ちなさい、遠心力で勝手に当たるから、という教えだ。この打ち方でアイアンによって飛ぶ距離が違うことが初めて体感できた。
調子に乗って5番アイアンを新品で買ったら全く当たらなかった。しかし、打つ事が比較的楽になったあるとき気がついてみると、自分の打っているところをビデオで見て、確かに通い始めたころより打っている姿が安定してきたと思った。先生にもそう言われた。
しかしまだ上手い人の打ち方とは違う。違うけれどもどう直せばいいかわからない。自分が悪いと思うことよりも、先生方は別のことを指摘する。
だからまだ練習は続けなければならない。お金はなくなっていくけど、今やめるのはもったいない。
だいたいその道のプロになるのは1万時間の練習が必要という。私の35年間の総練習時間は、1000時間もないと思う。あと10倍やらなければならない。

普段からスポーツをやっている人で、ゴルフを始めて、1回くらい鳥かごへ練習に行ったら、すぐコースに出て、100くらいで回れる人がいる。才能である。しかしその才能がある人というのは、自分を客観的に見れる人で、意識すると身体の動きをすぐ直せる人だと思う。
すると、自分の場合は、自分の身体の動きを客観的に見る力と、身体の動きを意識的に直す力が足りないのだと思う。
身体の力はだんだん衰えていくが、意識の力は60歳でも伸ばすことができる。

自分の身心をコントロールする意識の力を高めるのには、瞑想が向いているという。マインドフル瞑想や坐禅、ヨーガの瞑想は、意識の力を高めるのに役立つのではないかと思う。
自分はヨーガの瞑想を30年くらいやっているが、意識の力は前よりはついたと思う。でもなんでゴルフに活かせないのだろう。

プロ野球選手が坐禅をしたら、ホームランを800本も打てたという話を聞いたことがある。ボールが止まって見えたという話も読んだ。もちろん数年間、酒も飲まずに、毎日試合後も練習に精を出した賜だと思う。
一方身体的鍛錬だけでは壁にぶち当たるので、自分を客観的に見る練習も必要なのだと思う。
自分の場合は身体的鍛錬が不足しているのだと思うが、身体的鍛錬と意識の訓練のバランスのよい実習が、スポーツの上達に限らず、技術の上達には有効なのではないかと思う。