玉光神社

東京・井の頭にある神道系新宗教です。 玉光大神を主祭神として、日々お祭りなどを行ってい…

玉光神社

東京・井の頭にある神道系新宗教です。 玉光大神を主祭神として、日々お祭りなどを行っています。 ここでは神社有志に日々の出来事や思い、あるいは教えや行事などについて、「自由」に書いてもらう予定です。 公式ホームページ http://www.tamamitsujinja.or.jp/

マガジン

  • 玉光神社:ポンチ井の頭記事

    玉光神社のポンチ井の頭さんの記事をまとめたものです。

  • 玉光神社:ひろり記事

    玉光神社のひろりさんの記事をまとめたものです。

  • 玉光神社:ハレ記事

    玉光神社のハレさんの記事をまとめたものです

  • 玉光神社:AM記事

    玉光神社のAMの記事をまとめたものです。

  • 玉光神社:M.F記事

    玉光神社のM,Fさんの記事をまとめたものです。

最近の記事

人気マンガ「グージ君」 第5回 グージ君中国に行く:p.m.

この作品はフィクションです。登場する人物(?)や出来事、施設(萬来亭を除く)等は架空のもので、「グージ君」と玉光神社の宮司は関係ありません。 過去回は下記リンクをご覧ください。

    • 日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行6:ポンチ井の頭

      最初に掲げた疑問(上記リンク参照)のうち、 「(疑問3)超作というものが本当にあるなら、他の著名な宗教家たちが殆どそのことを言っていないのはなぜ?」 という疑問に対し 「(仮説1)超作はある。しかし、超作における神様の感応は極めて精妙かつ霊妙で、凡人の感覚では到底感知出来ない。」 という仮説を当てはめれば一応の答えにはなっている。 しかし、過去の著名な宗教家達は果たして凡人なのであろうか。 推測すれば、霊的な感知・感応力が人並外れているからこそ一つの宗教的な世界を打ち立てられ

      • 一歩踏み込んで考える習慣:ひろり

        私達の多くは普段、日常の大部分の時間で、その時々に浮かんでくる想念に流されて生活しているのが実態だと思います。 しかし私達は、日常の中で一定の時間、意識して一つのテーマについて、逃げずに一歩踏み込んで考え抜くように心がけることで仕事や人間関係に関する課題に対して、よりよい解決を多く得られることがあります。 私達の日々陥りがちな、その時々に浮かんでくる想いに流された生活態度では、どちらかというと、自分の欲望や感情に左右された生活になってしまい、自分の本当に実現したいことを実現で

        • 遊行寺・鶴岡八幡宮ワンデイツアー:ハレ

          6月29日(土)、玉光神社の本山一博宮司始め総勢25人の関東圏信徒仲間で遊行寺・鶴岡八幡宮ツアーに行きました。 藤沢駅10時集合。暫く雨続きの日々でしたが当日は徐々によくなり、貸切バスで一路遊行寺へ。15分ほどで到着です。 遊行寺は踊り念仏で知られる一遍上人開祖の時宗総本山として有名なお寺で、藤沢市の観光スポットでもあります。玉光神社では神社の祝詞であります「玉の光」の元となった経典「恵厳顕蔵経」が見つかったお寺(玉光神社の前身、玉光教会の頃には自前の祝詞はありませんでし

        人気マンガ「グージ君」 第5回 グージ君中国に行く:p.m.

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        • 玉光神社:ポンチ井の頭記事
          6本
        • 玉光神社:ひろり記事
          5本
        • 玉光神社:ハレ記事
          6本
        • 玉光神社:AM記事
          7本
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        • 玉光神社:ハチドリ記事
          5本

        記事

          玉光神社の「場所」の神学(西田幾多郎の哲学用語を使用する本山博について):AM

          玉光神社における西田哲学用語の使用 玉光神社は、玉光大神という神様が教祖・本山キヌエに降臨したことに始まります。 その後、教義を体系化したのは初代宮司・本山博でした。 本山博(1925~2015)は、他の新宗教と同様、様々な宗教的伝統の言葉で、自身や教祖の体験を言語化しようとしてきました。 ただ、おそらく玉光神社に特徴的なのは、本山キヌエと本山博の神秘的な体験を、様々な宗教的伝統だけでなく、西田幾多郎の哲学用語を使用して語っていることだと思われます。 西田幾多郎(187

          玉光神社の「場所」の神学(西田幾多郎の哲学用語を使用する本山博について):AM

          人の思いやりに触れて―やさしさについて感じたこと―:M.F

          ハチドリさんが、人のやさしい行為についてのお話を書いていらっしゃいましたが、私も人の思いやりに触れて同じように感じたことがあります。 以前通勤電車の中で、考え事があり、頭を下に向けてじっと考えていると、前に座っていた若い女性が、「大丈夫ですか?」と心配して、席を譲ってくれようとして立ってくださった。もちろん何でもなかったので、丁重にお断りしたが、その方の思いやりが大層うれしかった。 また、足を骨折したときにも、片方杖をついてバスに乗ったのだが、奥の方から、「こちらに来てお

          人の思いやりに触れて―やさしさについて感じたこと―:M.F

          生きとし生けるものすべてに「つながり」や「連携」がある(重々帝網と一切同胞の倫理):ハチドリ

           日々の出来事の点と点が結びついて、ある気づきにつながることがあるという話です。 武部貴則さんと弘法大師・空海の重々帝網  先日(8月4日日曜日)、日経新聞の日曜版が、My Story TheSTYLE/Interviewというページで、再生医療研究のトップランナーだという武部貴則(たけべたかのり)さんを特集していました。  記事の見出しでは武部さんのことを「多くの人を巻き込んでプロジェクトに仕上げ、実行に移す科学者兼プロデューサー」としていて、医科学研究者という肩書が

          生きとし生けるものすべてに「つながり」や「連携」がある(重々帝網と一切同胞の倫理):ハチドリ

          最高に生きよう―玉光神社 「愛と超作のトレーニング」 の勧め― :はなこ

          玉光神社では、人々が愛と調和のある社会を築くための学びとして、どなたでも参加できる「愛と超作のトレーニング」という講座を毎月開催しています。Zoom参加も可能で、遠方の方々も多く、参加してくださっています。この講座は、神の愛を感じ、そしてそれを実践することで、より豊かで平和な人生を歩むための道しるべとなります。  ここで言う「愛」は、人間の恋心や、感情的な好き嫌いのような、自己中心的で移ろい易いものではなく、すべての人や自然、ものに向けられる、普遍的で永続的な「神の愛」を指

          最高に生きよう―玉光神社 「愛と超作のトレーニング」 の勧め― :はなこ

          日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行6:ポンチ井の頭

          最初に掲げた疑問のうち、「(疑問3)超作というものが本当にあるなら、他の著名な宗教家たちが殆どそのことを言っていないのはなぜ?」という疑問に対し「(仮説1)超作はある。しかし、超作における神様の感応は極めて精妙かつ霊妙で、凡人の感覚では到底感知出来ない。」という仮説を当てはめれば一応の答えにはなっている。 しかし、過去の著名な宗教家達は果たして凡人なのであろうか。推測すれば、霊的な感知・感応力が人並外れているからこそ一つの宗教的な世界を打ち立てられたのであると私は思う。 だ

          日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行6:ポンチ井の頭

          玉光神社の「考え抜く瞑想」―七星会:AM

          玉光神社では、だいたい月に一回「七星会(しちせいかい)」という行事を行っています。 これは、信者・非信者問わずどなたでも参加できる会で、宮司である本山一博が玉光神社の教えや瞑想などを指導し、実際に参加者全員で瞑想する、そんな会です。 本山は瞑想を「自分の心や身体を意図的に明確に意識化すること」と定義しています。 瞑想といっても様々なやり方がありますし、目的によっても変わります。 本山自身も、様々な瞑想法を教えていますが、その一つが「考え抜く瞑想」です。 「考え抜く瞑想」

          玉光神社の「考え抜く瞑想」―七星会:AM

          中村天風の積極心:ハレ

          時々、中村天風を熱心に実践している方と話します。 彼は、天風を極めようと天風の主立った著書数冊を毎年数回読み返す程熱心に研究しているのです。 先日、ちょっと質問してみました。 「天風は積極心と言っていて消極的な心を全く捨てるように言っていると思うけど、なかなかいつもイケイケドンドンとは出来ません。」 私は彼程ではありませんが、天風は読んだこともあり、天風会のメルマガを毎朝読んでいて、啓発されることも多々あります。 「確かに天風は積極心と言っているけど、それは単なるイケイケド

          中村天風の積極心:ハレ

          地球温暖化について:S.P.

          玉光神社の本山博初代宮司は、今から20年前くらいにIARP(※)で、会長クラスという、IARP会員なら誰でも参加できる講習会を毎年開催していました。その講習会で初代宮司は少し雑談もしていて、いくつか印象に残っているものがあります。 (※IARP…初代宮司が創設し会長を務めた、ヨガや瞑想を実践するための団体) その一つが地球温暖化に関するものです。地球温暖化について、人間の活動によってCO2排出量が増えて地球温暖化が起きていて、このままでは大変だと、ある意味普通のこと(科学の

          地球温暖化について:S.P.

          神と共に―日々の生活の中で神のところに自分をおいて―:M.F

          毎日の生活の中で、静かにお祈りをしているときには少し心が落ち着くのですが、様々な活動をはじめると、心がコロコロとあっちへ向いたり、こっちへ向いたり。 特に子供に対してがなかなか難しい。 神様のところに自分をおいて、話したり行動しようと思うのですが、子供のことになるとどうしても感情が先に立って、怒ったり悲しんだり心配になったりと・・特に心配が大きいですね。 子供はもう二十歳、大人です。 大学に入ると、一気に開放的になり、もう私は置いていかれてついていけません。 うるさく言えばう

          神と共に―日々の生活の中で神のところに自分をおいて―:M.F

          日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行5:ポンチ井の頭

          まずは、本山博が以下のような超作が出来ている場合の自己判断基準を示している。 超作ができているかどうかの七つの基準(以下、本山博『仮想から現実へ:コンピュータ時代における良心の確立』宗教心理出版、1998年、第2章5B〔133~138頁〕から抜粋) 個性をもった他人をそのままで認め、受け入れることができるかどうか 他の人と共存ができるかどうか 働きの上で、他の人と一つになれるかどうか――チームワークでぴったり息が合うかどうか 適切な時期に、その人がまさに進歩しようと

          日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行5:ポンチ井の頭

          人気マンガ「グージ君」 第4回 いのりの考察:p.m.

          この作品はフィクションです。登場する人物(?)や出来事、施設等はすべて架空のもので、「グージ君」と玉光神社の宮司は関係ありません。 過去回は下記リンクをご覧ください。

          人気マンガ「グージ君」 第4回 いのりの考察:p.m.

          時代によって表現は変えないといけないよねっていう話:あるいは『星を継ぐもの』で引っかかった話〔AM〕

          先日、今更ながら1977年に書かれたSF小説 『星を継ぐもの』を読みました。 月面で人間とみられる死体が発見され、それが人類が月に至るはるか昔、 5万年前の死体であるとわかり、どうしてそこに死体があるのか、 本当に人間なのか、本当に5万年前に死んだのか、 そんな謎をめぐる、ミステリーでもあるSFです。 SF小説として重厚で、ミステリーとしても秀逸です。 その中で、科学者ハントとグレイという男性二人が その死体が持っていた、未知の文字の書かれた手帳の読解を試みているところに

          時代によって表現は変えないといけないよねっていう話:あるいは『星を継ぐもの』で引っかかった話〔AM〕