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時代によって表現は変えないといけないよねっていう話:あるいは『星を継ぐもの』で引っかかった話〔AM〕

先日、今更ながら1977年に書かれたSF小説
『星を継ぐもの』を読みました。

月面で人間とみられる死体が発見され、それが人類が月に至るはるか昔、
5万年前の死体であるとわかり、どうしてそこに死体があるのか、
本当に人間なのか、本当に5万年前に死んだのか、
そんな謎をめぐる、ミステリーでもあるSFです。
SF小説として重厚で、ミステリーとしても秀逸です。

その中で、科学者ハントとグレイという男性二人が
その死体が持っていた、未知の文字の書かれた手帳の読解を試みているところに、
国連の重役秘書リンという女性が入室してくる場面があります。

リン・ガーランドが入ってきた。
「ハイ、皆さん。今日の演目(だしもの)は何?」彼女は二人〔ハントとグレイ〕の間に割り込んでスクリーンを覗いた。
「あら、表だわね。わあ、面白い。これはどこから? 例の手帳?」
「やあ、ラブリー」グレイはにっこり笑った。「そのとおり」
〔中略〕
〔リン〕「これ、なあに? わかっているの?」
「それが、まだなんだ。今もそれを話しているところへきみが来たんだよ」
 彼女はつかつかと研究室を横切り、上体を屈めてスキャナーの中を覗いた。小麦色の形のよい脚と、薄地のスカートの下にこれ見よがしに盛り上がったヒップに、二人のイギリス人科学者は嬉しそうに視線を交わした。〔中略〕
「わたしが見たところ、どうやらこれはカレンダーね」彼女は反論を寄せつけぬ声できっぱりと言った。
 グレイは笑った。「カレンダーか、え? やけに自信たっぷりじゃないか。すると何かい……きみは絶対に間違うことのない女の直観を披露しようっていうわけか?」彼は頭から取り合わぬ態度で冗談めかして言った。
 彼女はぐいと顎を突き出し、両手を腰にあてがって挑むようにグレイに向き直った。「いいこと、英人(ライミー)さん、わたしにだって意見を言う権利はあるわ。そうでしょう? だからわたしは言ったのよ。今のはわたしの意見よ」

ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』池央耿訳、創元SF文庫、1980年、73~75頁

この作品は近未来を描いたものですから、
舞台は1970年よりもずっと先のことです。
しかし、この作品の女性観はまさに1970年代のものです。
それが先の引用によく表れています。

女性を性的な目で眺める(不必要な?)描写があったり、
「女の直観」という半ば侮蔑的な冗談があったり、
女性が発言することが「当たり前」でないような描写だったり、
訳文(1980年頃)も過剰なまでに「女言葉」であることが、
当時の女性観を示唆しています。
(リンの言ってることが、この後手帳解読のヒントになるので、
必ずしも作者は女性を能力的にバカにしていたわけではないと思いますが。)

私は、女性の平等性やジェンダーフリーが叫ばれる現在の視点から、
過去の女性観を断罪しようとしているのではありません。
ただただ、女性観、もっと大きく言えば倫理観というものが、
たった50年ほどでこれほども変わる
のだな、
とあらためて認識をしたということです。

玉光神社ももちろんそうですが、
宗教もまた、時代毎の倫理観を強くうけています。
いくら教祖が女性でも、
今の倫理観から見て女性差別的な側面が皆無ということはあり得ません。
しかし、時代の影響を受けるのは当然のことであり、
また、その時代の倫理に沿って話をしないと、
その時代の人には受け入れてもらえないし、伝わらない、

というのもまた事実です。
(だから差別は許されるというわけでもありませんが)

私が『星を継ぐもの』を読んでいて現代を生きる私が引っかかった、
上記引用箇所は、
当時の人にとっては当たり前で、引っかからなかったでしょう。
むしろ、男女が平等に働いていた方が、引っかかりを覚え、
当時の人は読むのをやめてしまうかもしれません。
(何度も言いますが、だから差別が許されるわけではありませんが)

宗教に限らず、
何かを伝えるというのは、難しいですね。

とにかく、
『星を継ぐもの』を読んで、女性観の違いに驚いたという、
それだけの話でした。
(トップ画像に特に意味はありません。)