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生きとし生けるものすべてに「つながり」や「連携」がある(重々帝網と一切同胞の倫理):ハチドリ

 日々の出来事の点と点が結びついて、ある気づきにつながることがあるという話です。

武部貴則さんと弘法大師・空海の重々帝網

 先日(8月4日日曜日)、日経新聞の日曜版が、My Story TheSTYLE/Interviewというページで、再生医療研究のトップランナーだという武部貴則(たけべたかのり)さんを特集していました。

 記事の見出しでは武部さんのことを「多くの人を巻き込んでプロジェクトに仕上げ、実行に移す科学者兼プロデューサー」としていて、医科学研究者という肩書がついていました。

 研究分野も武部さんも初めて知りました。

 記事によれば、武部さんは再生医療研究で「オルガノイド」と呼ぶミニ臓器の研究のトップランナーであり、iPS細胞から肝臓の芽を作り、肝臓、胆管、膵臓をiPS細胞から連続した組織としてつくることにも成功したとんでもなくすごい人らしい。

 私なぞには武部さんの医科学の世界ははかりしれないですが、記事中の以下の記述が私を揺さぶりました。

……「いろんな人とつながり緩やかに関係を持っていると、物事が動くタイミングがわかる」という。その機会を逃さない。根底にあるのは生きとし生けるものすべてに「つながり」や「連携」があるという思想だ。臓器でも人間関係でも同じ。これこそ祖父が大切にしていた弘法大師の言葉「重々帝網」(じゅうじゅうたいもう)だと気づいた。横浜の拠点を新たなつながりと発見の場にしたいと考えている。

2024年8月4日「日経新聞」19面(太字は引用者による)

 この文章で弘法大師・空海の「重々帝網」(じゅうじゅうたいもう)という言葉を初めて知りました。ネット検索すると。「重々帝網」とは、空海の『即身成仏義』にある言葉とのことです。「華厳経」の世界観を表すという説明もありました。
 帝網とは、帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり、網の結び目の一点一点は宝珠になっていて、その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映しており、すべての存在がつながっている様子を言い、宇宙の相互依存的なネットワークの在りようを示す言葉のようです。
(参照:高野山真言宗十輪寺ホームページhttps://www.jurinji.jp/y48/

(参照:真言宗智山派青龍山真福寺ホームページhttp://www.okaya-shinpukuji.jp/blog/20140611post-49.html

 武部さんは祖父の大切にしていた重々帝網の世界観が、臓器においても、人間関係においても成立していることに気づき、縁によるつながりと連携を大切にして、関わるプロジェクトを成功に導いているのだろうと思いました。

本山博の一切同胞の倫理

 玉光神社初代宮司本山博は、1988年の小豆島大祭講話において、「玉光大神様は宇宙創造の神である」と述べられ、(現宮司は「玉光大神様と宇宙創造の神との関係はわからない」としています。)創造主を信仰することと不可分なものとして語られたのが、すべての自然、すべての人、そしてすべての霊を同胞として愛するという一切同胞の倫理でした。
 そして、この講話において、一切が同胞であるのは一切が同じ創造主によって創られたからだとされました。
 創造主がつくられたこの世界は一切に繋がりと連携があるネットワークだから、一切は同胞としてのつながりの中にあるということです。

縁に気づき、縁を活かす、縁を大切にする生き方

 さて、私は武部さんの重々帝網の世界観と本山博の一切同胞の倫理に通底している世界観がきわめて近いと感じました。本山博のほうが、生きとし生けるものという範疇をも超えた宇宙の顕界霊界すべてを含む広さがありますが、この2つの世界観は「縁を大切にする」という生き方につながると思いました。
 網の目のように結ばれたつながりの相互の連携や影響関係の中にある世界を見つめれば、つながりの相互依存性の中に、この世界のネットワークを活かす道が見えてくるはずです。
 武部さんが科学者でとどまっていないのはそこにあると思われます。重々帝網の世界観を持っているから、武部さんは「多くの人を巻き込んでプロジェクトに仕上げ、実行に移す科学者兼プロデューサー」であるのだろうと思います。
 私達玉光神社の信徒も一切同胞の倫理に立つのであれば、縁に気づき、縁を活かす武部さんのような生き方ができるはずだと私の中で深く得心したのです。