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【読書】「気づきをもらった」のルーツは、3・11東日本大震災~日本独自の「おかげさま思想」~#372
おはようございます、tamamioです(^^)皆さん、「気づきをもらった」という言い方をされたことはありますか?
「わかりみ」「陰キャ」「映え」などは?
今回は、そんな言葉、特に「気づきをもらった」について、コラムをもとに発信します。
1 「正しさ」を求める時代の日本語論
本日のおすすめ本はこちらです、ドン!
エッセイスト・酒井順子さんの新刊です。
「ことば」にまつわるモヤモヤの原因に迫る、ポリコレ時代の日本語論。
これは帯のキャッチコピーです。ちなみに「ポリコレ」とは「ポリティカルコレクトネス=政治的正しさ」のこと。正しくないと叩かれる、ということでしょうか。
2 「気づきをもらった」とは?
特に私が気になったのは、「気づきをもらった」についての考察です。
「色々なことに気づいた」
でもなければ、
「色々なことに気づかされた」
でもなく、
「気づきをもらった」
と書いているところに、私は「今風~」と思ったことでした。
確かに、私も「気づきをもらいました」と書き、感じることが多々あります。例えば先日紹介した、ジェーン・スーさんの新刊。
この中の「プラスサイズモデル」に関するコラムについて、まさに「気づきをもらった!」と思ったのでした。
3 日本独自の「おかげさま思想」がそうさせる
どうして私は、「気づいた」でなく、「気づきをもらった(得た)」と思ったのでしょうか。どう考えても「そっちの方が、しっくりくるから」、としか説明のしようがありません。
が、さすがはプロの物書きさん!酒井さんは、これを「日本人のおかげさま思想」と結びつけて、次のように述べています。
「・・・ということに私は気づいた」
だと、気づいたのは自分自身なので、そこからの広がりはありません。が、
「・・・という気づきをもらった」
の場合は、なにせ「もらった」わけですから、相手への謝意が発生しましょうし(後略)
なるほど。自己完結するか、つながりを感じられるか、ということなのですね。
あと、「気づいた」だと、いかにも自分の手柄のようですが、「気づきをもらった」だと、それを発信した相手に花を持たせることになりますね。これも、「おかげさま」という日本独特の考え方ですね。
4 はじまりは3・11。東日本大震災
そして酒井氏は、この「気づかされた」の源流を、なんと、東日本大震災と考察します。
感情を自らの中から湧き出たものではなく、他者から「もらった」ことにしたいという傾向の源泉をたどると、2011年の東日本大震災に行きつくのではないかと、私は思っています。
えっ!?どういうこと?
酒井氏曰く、震災をきっかけに、主にアスリートから「一生懸命プレーして、被災地の方々に勇気を与えたい」と言う言葉が聞かれ始めたということです。
アスリートの方は、「震災」という非常時にスポーツをすることへの罪悪感を感じていたと思います。
「この非常時に、自分達にできることは何か」。そう考えた結果が「プレーを通して元気を与える」でした。
勇気や元気を「与えたい」という発言に対しては、
「勇気をもらいました」
「感動をありがとう」
というレスポンスが戻ってきました。(中略)勇気を贈呈することによって感謝が戻ってくるという贈答の図式が、あちこちで成立したのです。
なるほど~。もちろんこれは、酒井氏の考察ですので、本当のところは分かりません。
ただ「相手のおかげで得られた」という、日本人独特の「おかげさま文化」が、やはり根底にあると思いました。(気づきをもらいました(^^))
5 tamamioの3.11は、母になって間もない日
そして、本日3月11日は、東日本大震災の日。tamamioの2011年3月11日は、前日に長男を出産したために、入院中でした。
被災地の方にも、私と同じ境遇の方がいる。初めての出産での不安。昨日元気にお見舞いに来てくれた両親が、兄弟が、友達が、もう来ない。考えただけで、胸が張り裂けそうでした。
本当なら、私もTOSSの仲間と共に被災地に行って、子ども達に授業をしたり、イベントをしたりしたはずでした。でも、それもできない。
せめても、と、おむつを差し入れしてもらったことを覚えています。
今では被災地はどうなっているのでしょうか。故郷を追われ、知らない土地で生涯を終えた多くのお年寄り。寂しくて、つらかったことでしょう。
一日も早く、安定した安心にあふれた暮らしが取り戻せることをお祈りしています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今日は追悼の一日です。
私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。