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連載小説。仮題「網代裕介」⑬(最終話)

 翌日の午後のことだ。ナースステーションの脇に患者が数人集まり、笑い声が起きていた。明るい笑い声だった。デイルームがペヤングの匂いでいっぱいだと言って笑っているらしかった。網代君がいつもの席でうつむいて割りばしで焼きそばを食べていた。私は立ち止まることなく網代君に近づいて、「お帰り」と言いながら、正面の椅子に座った。
「やっぱりあのお湯は100度ないな。だけどそういうお湯で作ったペヤングがダメかというとそうじゃない」
網代君はデイルームにある給湯機のお湯でペヤングを作ったらしかった。
「わかる。小学校の時に同級生のお父さんが家族でスケートに行くときに私を混ぜてくれたの。大きな水筒を持ってた。お昼に、そのスケート場の食堂でカップラーメンをご馳走になった。水筒のお湯が少し足りなかったから、平等にみな少なめのお湯だった。醤油のラーメンだった。かき混ぜようとして箸が重いの。麺が完全にほぐれてないわけ。そしてそれが最高に美味しいの」
 連れて行ったもらったスケート場は遊園地の中にあった。休憩所はレストランのエントランスに続くホールに置かれたベンチやテーブルだ。私も家族で訪れることがあったからよく知っていた。いつもはレストランで食事をした。父はタバコを吸うために、ちょくちょくそこでコーヒーを注文していた。同級生の名は恵ちゃんといった。やけに私を追いかけまわす恵ちゃんを幼稚で手に負えないと思った。しつこい恵ちゃんとほどほどに付き合い、うまく振舞う自分を、恵ちゃんよりはるかに精神が成熟していると思っていた。
 お昼だと呼ばれ、おじさんがリュックからカップラーメンをいくつも取り出したとき、いやな気持になった。恵ちゃんのどこかバツの悪そうな表情に心が苦しかった。おばさんの笑顔も、おじさんのその善人さも、なぜか私を苦しめた。なぜみんな、私に沁み込んでしまうのだ?雑多にしみこんだ自分を汚いと感じる。色々なことを同時に思う自分がいつも嫌だった。自分をよくないと思った。今でも変わっていない思いがある。私の人に対してとるべき距離は、傍観だという思いだ。傷つけたいなんて思わない。けれど結果的にもれなくみな傷つけ、通り過ぎた。さみしいと思うから出かけていき、そして人を眺めている。私に優しくしようとしないが、悪意も持たない人たちを眺めている。

 昔、少しの間通院した病院の医師に訴えたことがある。
「もしかしたら、人には分からないのですか?見えないの?明らかなのに。例えばこの本の作者、とても優れた思想家で、たくさんの著書がある。けれどこの人、愛着の障害から、摂食障害を起こしてます。いつも本当はとてもイライラしている。退行するみたいに目をつぶってただ食べていたいのにそうできない。そして…」
「そういう精神世界について、見えるからって人にべらべら喋らないことだ。身のためですよ」
聖人君子のようだと評判の若い優しい男の先生だった。いつも奥手そうに振舞っていたのに。突然、ベッドに女性を突き飛ばすみたいな言い方に、つい身構えたような声が出た。
「なるほどね。気を付けます。先生も…息子さんに嫌われて寂しいと、奥さんに素直に言ってみてはどうでしょう?」
先生はこんな時代に生きる息子が心配だとよく言っていた。レッドツェッペリンが好きらしかった。人に評価を求めたりせず、精神科医の倫理と責任について熱く真剣な人だった。けれど、その時私は、先生の息子へ愛されたいのにと未練たらしく縋り付く思いや、生真面目さに嫌気が刺した表情の奥さんへの復讐心に似た恋心が当たりまえの光景の様に見えていた。「これは机です」というように見えた。

 私は笑って、網代君に繰り返した。
「網代君、水筒に入れたお湯は100度じゃないよね。けどそのお湯で作ったカップラーメンをスケート場で食べるのって最高に美味しいの」
網代君の前に座って、本当に、おいしかったと今気づいたみたいに思い出すのだ。網代君は「とてもよくわかるよ」と言って、ペヤングの容器を捨てに行った。私も立ち上がり、コーヒーを入れた。二人分だ。
 網代君の足元にまだ帰ってきたばかりだという雰囲気のリュックが置かれていた。屈んでリュックのジッパーを開け、手提げの紙袋を取り出し、私の前に置いた。私も無言でその中に手を入れる。箱に入った綺麗な和菓子だった。黒蜜のかかった餅のお菓子だ。とても柔らかく甘い。
「網代君も食べる?」
ナースステーションの付近でペヤングの匂いに笑っていた人、デイルームの椅子に姿勢悪くに座り、午後のワイドショーを見て暇つぶしをしている人、壁際に並べられた椅子に並んで座り、女性の看護士に足の爪を切ってもらう順番を待っている人、電動の車いすで通りかかり、自販機に背を伸ばし、やっとお金を入れた人の目に、網代君と私の姿が入ったかもしれない。私にのみ網代君がお土産を買ってきたことや、皆が入院中ほとんど食べる機会のないお菓子を私が食べていることについて、一瞬何か感想を持ったかもしれない。それは嫉妬という感情に似ていてもそうじゃない。運命の様に止まらずやってくる、もっと複雑で大きな感情だ。世界を飲み込むみたいなものだ。飲み込むときに少し大きいと感じるが、飲み込めないほどじゃない。なるほどという感じで喉を通っていく。

 だって選ばずに私たちはどうしたら恋した人を大切にできる?どうして優しいままで人を愛せる?私は親を善人だとずっと勘違いしてた。
愛情に付き纏う残酷さ、無慈悲さ。私たちの体も細胞も物体だ。時間の中にある。そして体は時間と共に冷める。

 デイルームは病院の角にある。窓から陽が差し込む。真上から少し降りてきた太陽が、ここから見える。太陽はこのデイルームを照らしている。光を浴びて、デイルームが黄金に燃えるみたいに輝いている。太陽は使命をもって動いている。全てを等しく同じく照らし、焼いて止まらないという使命だ。

                             完

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And Special thanks for 金聖

小説を書きながら一人暮らしをしています。お金を嫌えばお金に嫌われる。貯金額という相対的幸福には興味はありませんが、不便は大変困るのです。 ぜひ応援よろしくお願いします!