詐欺師フェルディナンド・デマラから学ぶキャリアアップの仕方
アメリカ犯罪史上にその名を残す男がいます。
その名をフェルディナンド・ワルド・デマラ。
彼は23年間のキャリアの中で、医師、教授、刑務所長、僧侶とさまざまに職業を変えてきましたが、「ハッタリ」と「ウソ」を効果的に駆使し、高い身分と地位へと出世を遂げたキャリア・モンスターです。
人は彼を詐欺師、ペテン師、身分詐欺師と呼びますが、彼の使った手口は群衆心理や人間心理をうまく突いたもので、研究に値するものです。
フェルディナンド・ワルド・デマラ(1921~1981)
ハッタリ人生の始まり
デマラは「高い地位に就いて皆から尊敬されたい」という欲求を強く持つ人物であったようです。
1935年に学校を卒業したデマラは、神父や学者、軍人のような尊敬される職業に就きたいと考えていましたが、彼には決定的な欠点がありました。
それは「忍耐力」。彼の地頭は悪くなかった、むしろ良いほうでしたが、地道にコツコツ努力して資格や肩書を得ることに我慢ができませんでした。そこで身分や書類を偽装して「最短距離」で出世しようとしたのです。
16歳の時には、年齢を詐称してトラピスト修道会の修道士に加わるも、18歳のときに「気質が合わない」という理由で追い出されてしまう。その後、マサチューセッツ州ウェスト・ニューベリーにある宗教施設「ブラザーズ・オブ・チャリティ」など、他の教団に入ろうとしたが、やはり規則を守れませんでした。1941年に19歳で陸軍に入隊するもやっぱり肌に合わず、友人の身分証明書を盗んで逃亡し、海軍に入隊することになりました。
海軍で医療将校になろうと思いついたデマラは、医学部を卒業したことを示す書類を偽造し提出。しかし偽造がバレたので、自分を死んだことにして、逃亡しました。
大学講師セシル・ハマン
1942年、デマラは元海軍士官で心理学者のロバート・リントン・フレンチ博士になりすまし、1945年8月まで大学の講師をしていました。しかし本当の身分がバレてデマラは捕まってしまい、脱走の罪で逮捕されてしまいました。
しかし、刑務所での素行が良かったため、6年の刑期のうち18ヵ月の服役で出所。今度はセシル・ハマンという新しい身分を名乗り、ノースイースタン大学に入学しました。
今度は改心したのか、法学の学位を取得するため勉強をして博士号を取得。1950年の夏、メイン州にあるキリスト教系大学ブラザー・オブ・クリスチャン・インスティテュートで再び講師となりました。
ここでデマラは、カナダ人医師のジョセフ・シルと出会います。彼は移民の手続きの手伝いをしてほしいとデマラに依頼。快諾したデマラは、シルの身分証明書を受け取り、それをコピーしてシルに成りすましてカナダに渡りました。そしてカナダ海軍に赴き「医療将校として国に貢献するつもりであるが、もし海軍に入るとしても将校身分にしてほしい。でないと陸軍に入る」と宣言。「経験のあるシル医師」を手放したくない海軍は、デマラの要求を受け入れたのでした。
医療将校ジョセフ・シル
デマラは1951年、駆逐艦HMCSカユガの船医に任命されました。時あたかも朝鮮戦争が勃発しており、デマラの責任は重大なものがありました。しかし彼は治療を部下であるボブ・ホーチン下士官にすべて一任します。ホーチンは、自分の仕事を邪魔しない上官がいて、さらに責任ある仕事を任されていることに満足していたようです。
あるとき、朝鮮人の難民3人が船に乗り込んで治療を求めてきました。デマラは教科書を頼りにして3人の治療に成功し、1人の男性の足の切断にも成功しました。医療などズブの素人のくせに、よくやったものです。
その功績が認められて彼は表彰され、写真付きで本国カナダでも大きく報じられました。しかしシル医師の実の母親がこの記事を見つけてしまいます。
「こいつは誰だ!うちの息子は軍医なんかじゃない」
当然大問題になり、カナダ政府は1951年11月にデマラをクビにしてアメリカに強制送還しました。
刑務所の看守ベン・W・ジョーンズ
アメリカ帰国後の1955年、デマラは今度はベン・W・ジョーンズという人物になりすまし、テキサス州ハンツビル刑務所で看守として働き始めました。
デマラはやがて最も危険な囚人を収容する最高警備の棟を担当することになりました。しかし1956年、囚人の一人がカナダの詐欺師デマラを特集した『ライフ』誌の記事を見つけ刑務官に報告。デマラは刑務所長に対し、自分はジョーンズであり断じてデマラではない、ときっぱりと否定しました。ところがどういうわけか刑務所から逃亡。1957年にメイン州のノースヘイブンで捕まり、6ヵ月の実刑判決を受けました。
出所後、彼はテレビ番組や映画に出演したりするも、最終的に教会に入り、最後はデマラという自分の名前で聖職に就き、カリフォルニアの病院でカウンセラーとして働き、1981年に亡くなりました。
デマラの騙しのテクニック
デマラはなぜここまで周囲の人々を騙して他人に成りすますことができていたのでしょうか。
彼が非常に記憶力がよく、洞察力があり、人を惹きつける魅力も備えていたという指摘があります。彼は人間社会や集団の心理を目ざとく見抜き、習慣や社会通念を利用し、いかにして「信頼される書類を作るか」を努力しました。デマラは、他人と正面から戦うことなく「権力の空白に入り込む」ことで、自分を権威ある人物として設定する方法を心得ていました。例えば、既存の学者グループに加わるのではなく、自分で新しい委員会を立ち上げてそのトップになるなど。
彼がセシル・ハマンとしてブラザー・オブ・クリスチャン・インスティテュートで働いていた時のこと。この時デマラはガン研究者を名乗っており、彼はこの大学を州公認の大学にして、自分が学長になることを提案しました。結局この作戦は失敗し、デマラには新大学での重要な役割は与えられませんでした。その後彼はシルの身分を奪ってカナダに渡り、新たなチャンスを求めたのです。
委員会の責任者という権威ある立場でになることで、デマラは自分にはまったく門外漢の仕事を行っていました。しかし、彼は駆逐艦HMCSカユガの時のように、自分がやるべき責任ある仕事を完全に部下に任せていました。このことで、デマラのスキルは疑われることなく、また責任を与えられた部下は発奮して組織もうまく運営されたのでした。言葉だけみると納得性がありますが、これを実際に実行するのは並大抵の努力がないとできないはずです。あるいは天才だったのでしょう。
心理学者のロバート・チャルディーニは、ビジネスにおける説得のテクニックとして以下の6つを挙げています。
1. 互恵性 2. 一貫性 3. 社会的証明 4. 人に好かれること 5. 権威 6. 希少性
デマラは、さまざまな場面でこれらを効果的に使いました。
1. 互恵性 … 自分の知識不足を隠すために部下に権限を与える
2. 一貫性 3. 社会的証明 … 他人の資格を利用することで、組織の規則を逆手に取って自分を受け入れるように組織を操った
4. 人に好かれること … カリスマ性があり、面倒見も良い人物だった
5. 権威 6. 希少性… 需要が高い割に希少な学者や専門家になりすました
デマラのストーリーからは、いかに我々が実力や能力ではなく、見た目や書類上のデータ、人当たりの良さで他人を信じているか、という事実を暴いてしまいます。さすがにデマラのように、偽造書類や身分詐称を駆使して登りつめるのはあり得ませんが、上に立つ人物は大なり小なり、このようなハッタリや自分を強く見せるためのテクニックを用いるものではないかと思います。組織や社会によっても程度は異なりますが。
このような詐欺師には、カッコウの托卵やクジャクの羽の擬態のように、相手を騙して生き残る動物的な部分が垣間見えつつ、そのような動物らしさが人間社会の「バグ」を突く不思議さと面白さが感じられます。
参考サイト
"Ferdinand Waldo Demara: One of the greatest imposters the world has ever seen" Independenct
"FERDINAND WALDO DEMARA, 60, AN IMPOSTOR IN VARIED FIELDS" New York Times
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