見出し画像

【古代文明】未だに謎が多い世界の巨石遺跡

巨石遺跡と言えば、イギリスのストーンヘンジやイースター島のモアイを思い出しますが、世界中に同じような巨石遺跡があります。
記録があまり残っておらず、よく分かってない謎だらけの遺跡も多く、その分からなさから多くの人々を惹きつけています。


1. バダ・バレーの巨石像(インドネシア)

Source: Collectie Stichting Nationaal Museum van Wereldculturen

インドネシア・スラウェシ島のロレ・リンドゥ国立公園内のバダ谷、ベソア谷、ナプ谷には、上記の写真のモアイ像のような石像が残されています。何かのキャラクターのような、極めて人間の形を簡素にした印象的な形状です。
実はこの石像はいつ作られたのか、何のために作られたのか一切不明。
地元の人もこの石像が何のためにあるのか知らず、確かな情報は「昔からあるよ」程度。犯罪者が石に変わった、遠くの地から歩いてやってきた、などと言われています。イースター島と同じ、太平洋の巨石文明の一部なのでしょうか。

2. ギルガル・レファーイームの石群(ゴラン高原)

Photo by אסף.צ

 ゴラン高原のイスラエル占領地にあるギルガル・レファーイームは、円形が複数重なった構造をしており、何らかの儀式に使われたと考えられていますが、はっきりとしたことは分かっていません。
人骨は発見されていないので墓というわけではなさそうですが、いくつかの埋葬品が見つかっているので貴重品が展示保存されていた場所ではありました。
防衛施設というわけでもなさそうで、一説によると「人体を解体する場所」とか「天文台の役割を担った」とも考えられています。
いずれにせよ証拠が不充分ではっきりと分からず、少なくともこの建造物の建設には、25000日ほどかかったはずとされています。

3. ルドストン・モノリスの墓石(イギリス)

Photo by Stephen Horncastle

ルドストン・モノリスは全長7.6メートルの高さの石で、イギリスにある巨石遺跡の中でもっとも全高が高いものだそうです。ルドストン村の教会の墓地にあります。この巨石の歴史は古く、少なくとも紀元前1600年ごろにはあったと考えられています。

この巨石にはいくつか伝説があり、一つは巨大な悪魔が教会に攻撃をしようとしたときに、巨大な槍を持って攻撃を加えたというもので、その時の槍がこの石だった、というものです。ただし悪魔はルドストン村で死んでしまい、その槍が悪魔の墓石になってしまった、とのこと。

もう一つが、教会の墓を壊そうとしている何者かによって投げられた石の槍であったという説。この遺跡を調査したウィリアム・ストリックランド卿によると、この石の半分は地面したに埋まっており、実際のところ15メートル近くにもなるそうです。

さらにこの石の下には夥しい数のガイコツが埋まっているそうで、何か過去に事件があったか、あるいは何らかの宗教的な意味をもったものだったのかもしれません。

4. トロス・デ・ギサンドの牡牛(スペイン)

Photo by Rafaelji

スペインのアビラのトロス・デ・ギサンドという場所には、現地で「ヴェッラコス(verracos)」と呼ばれる牡牛の像が存在します。
ヴェラッコスとは「動物たち」という意味ですが、見た感じ牡牛のような姿をしており、4世紀あたりからこの地に存在すると考えられます。もともとは角があったようですが、長年の風雨にさらされて無くなってしまっています。牡牛の像はひとつひとつ異なる姿形をしており、牡牛の群れが草原で草を食んでいる様子のように見えます。

この牡牛像は長い間スペインでは知られた存在で、16世紀の小説にも言及されたりしていますが、なぜこの地にあるのかの理由はあまり分かっていません。これらの像はそれぞれ別の地で作られていたのがローマ時代にトロス・デ・ギサンドの地に集められたと考えられており、像の存在理由は不明ですが、悪霊退散や農民の守り神として置かれたとする説が有力です。

5. グレイウェザー(イギリス)

 イギリス・ダートムーアのグレイ・ウェザーズには、巨石で出来た2つの円形サークルが存在します。2つとも30本程度の石があり、直径が33メートル程度。2つのサークルは北と南の位置をかなり正確に示しており、天文学的な知識に基いて建設されています。
石は焦げておりかつて内部で火災が多発していたことが分かっています。
なぜ火災が発生していたかには諸説あり、最も有力なものが宗教儀式で使われたとされるもの。2つあるサークルのうち、一つは「生の世界」を表し、もう一つは「死の世界」を表す。「生のサークル」では最近まで生きていた人間や生物の体を焼き、北にある「死のサークル」への移動の媒介を果たしたのではないか、という説です。
あるいは、この2つが「男用」「女用」であり同性間でのコミュニケーションに利用されたとか、隣り合う2つの部族の会議場として利用されたという説もあります。

6. ドロンベッグ(アイルランド)

Photo by Aaro Koskinen

ドロンベッグは現地では「ドルイドの祭壇」として知られ、ケルト人の宗教ドルイド教の聖地だったと考えられます。
17の石の柱で構成されたサークルで、石の一つは冬至の夕日と一致するように構成されており、何らかの儀式や活動を示しているものと思われます。

発掘作業では石の周辺から埋葬時に故意に割られたと思われる鉢や、割れた陶器、薪などが見つかりました。炭素測定によるとこの遺物は紀元前1100年から800年ごろに埋められたものだそうです。
何らかの儀式に用いられたのは確実ですが、この遺跡の近くに人が住んでいた証拠もあります。ドルンベッグの石の横には2軒の家の遺構が見つかっており、また水槽の跡も見つかりました。

この水槽では熱した石を水に沈めて湯を沸かすために使われたもので、最大で18分以内に265リットルの水を沸かすことが可能でした。聖なる石で沸かすお湯で、調理を行ったり、沐浴をしたり、あるいは酒を作ったりしたと考えられています。

7. 鹿石(シベリア〜モンゴル)

モンゴル北部やシベリアでは、「鹿石」と呼ばれる巨石の一群が見られます。
大きさはまちまちで、1メートルから5メートルに至るものまで様々で、製作時期は紀元前1000年頃。これらの石には鹿の絵が描かれ、方角を意識して設置されているものもあります。古代のモンゴル高原の民は鹿を神聖視しており、鹿の入れ墨をしていました。

時代が下ると鹿は太陽や鳥と同一視され、鹿石の模様にも空を飛んだり、太陽に抱かれる描写が現れます。これは偉大な戦士や人が死後に大地から天国(太陽)に到達するという考えを示していると思われます。

鹿の文様は初期スキタイ文明に見られたもので、中央アジア一帯でよく見られましたが、具体的に巨石遺跡として残っているは非常に珍しいものです。

まとめ

巨石文明はその歴史が古いということもあるし、またどういう背景で、どんな意図のもと使われたかが不明なことが多いので、自由な想像力を働かせることが可能で、我々を惹きつけてやみません。

その土地の人々や文化・文明が移り変わり、周りの環境も変わっていくのに、巨石遺跡だけは変わらず3000年以上も前の建造物がずっと同じ場所にあるって、ロマンですよね〜。 

参考サイト

"10 Ancient Megalith Monuments With Unsolved Purposes" LISTVERSE

有料マガジン公開しました!

はてなブログで公開していたブログの傑作選をnoteでマガジンにしました。
1記事あたり10円でお安くなっています。ぜひお求めくださいませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?