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【論争】「ハビル人」は古代イスラエル人の起源なのか

古代エジプトやイスラエルの史学の間で「ハビル問題」という論争があります。

これは主に発掘された紀元前二千年の楔形文書にたびたび登場する「ハビル/ハピル」という集団をどう解釈すべきかという議論です。なぜ論争となっているかというと、その「ハビル」という名前が「ヘブライ」と似ていて、このハビル人こそヘブライ人=ユダヤ人の祖先であるのではないか、というユダヤ人の自らの起源探しのネタになっている側面があるからです。

とはいえ、時代が古く資料も限られている中で、どう解釈すべきかはなかなか難しい問題であります。

1.旧約聖書のユダヤ人の子孫

古代イスラエル人は自分たちがどこからやってきたか、自分たちの祖先はどのような人物だったか、いま世界のどの場所にいるのか、に強い関心を抱きました。

我々は何者で、どこから来て、どこへ行くのか。

どこの誰もが抱く観念ですが、その思いが古代イスラエル人は人一倍強かったようです。自分たちのルーツを古代イスラエル人は調査し旧約聖書にまとめました。

旧約聖書では、イスラエルの祖先はアブラハムという人物であるとされています。童謡で「アブラハムには七人の子」と謡われるあのアブラハムです。

世界の民は大洪水を生き延びたノアの三人の息子、ヤフェト、ハム、セムの子孫であるとされ、この三人から諸国の民が生まれました。

ヤフェトからは「海沿いの諸国民」つまり、トゥルシャ(海の民)、エリシャ(キプロスの一部)、ドダヌム(ロードス島)、マゴグ(リュディア)など。

ハムからはクシュ(ヌビア、エチオピア)、エジプト、カナンなど。

セムからは、エラム、アッシュル、アルパクシャド、ルド、アラム。

旧約聖書では、セムがエベルのすべての子孫の先祖であり、ヤフェトの兄であると強調されており、セムの末裔であるイスラエルの民が重要であるかが示されます。さて、セムからアブラハムに至る血筋は以下の通りです。

セム→アルパクサデ→シラ→エベル→ペレグ→リウ→セルグ→ナホル→テラ→アブラハム

旧約聖書によると、アブラハムが生まれたのは、セムがアルパクサデを生んで290年後のことです。セムはアルパクサデを生んで後500年生きたと旧約聖書にあるので、このまま信じたら、セムはアブラハムに会った可能性があります。旧約聖書ではこの当時の人は大変な長寿であるようです。アルパクサデは403年、シラは403年、エベルは430年、ペレグは290年、リウは270年、セルグは200年、ナホルは190年生きたとされます。

そのため、アブラハムは祖父ナホルはおろか、曾祖父セルグ、高曾祖父リウ、その以前まで同じ時に生きたということになります。アブラハムとその子孫たちは神の啓示を受けてカナンの地(パレスチナ)に住まうも、飢饉によってエジプトに逃れました。

アブラハムは多くの子を儲けますが、老妻サライとの間に嫡子イサクを儲けました。このイサクの子ヤコブを祖先にしてイスラエル十二部族が派生したされています。

イスラエル十二支族とは、アシェル族、イッサカル族、エフライム族、ガド族、シメオン族、ゼブルン族、ダン族、ナフタリ族、マナセ族、ルベン族、ユダ族、ベニヤミン族。

後にユダ族とベニヤミン族を除く十族はアッシリアによって王国が滅ぼされ、その後捕虜になって連れ去られ、以降行方が分からなくなり、以降のイスラエルの民はユダ族とベニヤミン族の末裔であるとされています。

失われた十支族についての詳細はこちらにまとめています。

これまでがユダヤ民族に語り継がれている民族起源の伝説です。

次から本題に移ります。

 

2.「ハビル問題」とは

ハビル問題とは、紀元前の楔形文書に登場する「ハビル/ハピル」という集団をいかに理解すべきか、という考古学的な議論のことを言います。

音韻が似ていることと、エジプトやレヴァント周辺など古代イスラエル人との関連が深い土地から多く出土するから、このハビル人は実はヘブライ人のことなのでは? と考えられ研究が進んできました。

もともとの始まりは1862年。

古代エジプト学者のF.J.シャバが、ラムセス二世時代のものとされるパピルス文書に登場する固有名詞「アピル 'prw」をヘブライ人の呼称と解したのが最初です。

わが主が次のように書き送られた書面を受け取りました、「兵士たちおよびラムセス・ミアムンの大塔門に石を運ぶアビル人たちに穀物を支給せよ」と。

「アビル人」に関する古代エジプトの文書は紀元前十五~十二世紀に集中しており、現時点で十四点発見されています。

その後、1888年にエジプトのテル・エル・アマルナで発掘されたアッカド語のアマルナ書簡に「ハビル habiru」という表記される集団がたびたび登場することがわかり、この集団は果たして古代イスラエル人のことなのか、とにわかに注目を集めることになりました。

というのもアッカド語の記録によると、ハビル人はエジプトの属臣であり、シリア・パレスチナの諸都市に攻め入るなどして、レヴァント地域の諸都市の脅威となっていた上、エジプトの都市間抗争にも関与する勢力とされていたからです。

例えば、グブラ(ビュブロス)の領主リブ・アッディの書簡によると、アムルの支配者アブディ・アシルタはハビル集団を糾合してハビル以北の諸都市を征服して併合し、グブラをも脅かす存在となっていると書き残しています・アブディ・アシルタの死後も息子たちによって征服は続けられ、リブ・アッディは南のビルタ(ベイルート)に亡命せざるを得なくなった、とあります。

シドンの王ズィルム・エッディの書簡によると、「王(ファラオ)が彼の手に託したすべての町々がハビルに協力している」とあり、ツロの王アビ・ミルクはハツル(ハツォル)の領主がハビルと結果託し「王(ファラオ)の地をハビルのものとした」と訴えました。エルサレムの領主アブディ・ヘパもファラオの支配下にあるカナンの町々がハビルの手に落ち、ゲゼルの領主ミルク・イリやシケムの領主ラブアユがハビルに協力している、とファラオに訴えました。これに対し、ミルク・イリはハビルに対抗するための軍勢をファラオに依頼し、ラブアユもハビルに協力していないと弁明したりしています。

もしハビルがヘブライ人なのであれば、ヘブライ人はエジプトのファラオの先兵でありながらレヴァント地域で暴威を振るい、パレスチナの地を陥れようとしていたことになります。

このハビル人がパレスチナの地に落ち着き「ヘブライ人」と名乗るようになった、という説は人気があります。しかし実際のところは、その音韻的な近さ以外に根拠がありません。

 

3. ハビル=無産集団説

20世紀に入り様々な楔形文書が出土し、ハビルが登場するのはレヴァントに限らず、西アジア全域で見られることが分かってきました。

そして1953年、パリで開催されたアッシリア学会議にて、ハビル=ヘブライ問題はまだよく分からないとしながらも、この時点で知る限りの資料を駆使し、J.ボテロによって議論のまとめがなされました。

それによると、ハビルとは基本的に、血縁や地縁に基づく集団ではなく、社会の底辺にうごめく無産集団で、特定の居住地もなく、傭兵や略奪で食っていた集団であるというものです。

この議論を元にし、M.B.ロートンはハビルの発生と展開について次のように説明しました。

紀元前2000年代半ば、西アジア諸国家に戦車技術が伝わったことで、それまで遊牧民族が農耕民族に対して優位だった戦闘力のバランスが逆転。農耕民族が戦車を活用して遊牧民族を打ち破り、彼らの社会を解体してしまった。そうして社会集団を失った遊牧民族は農耕民族の社会の底辺に奴隷や傭兵として組み込まれるか、あるいは戦車が入ることができない山岳地帯に逃げ込まざるを得なくなった

一方でこのような社会の底辺からの離脱者が、流浪の盗賊集団として集まるようなり、ハビル集団が生まれた、というものです。

ハビルは紀元前一千年ごろに文献から現れなくなるのですが、ロートンはその理由を政治勢力の安定化が理由であるとしています。

なかなかダイナミックで面白い説です。

 

4. ハビル=フルリ人説

1996年、M.サルヴィーニが新たな資料を発表し、ハビル人の正体について新説が出されました。

その資料が、古バビロニア時代末期の「ハビル四角柱碑文」と呼ばれるものです。これは北シリアの都市国家ティクナーヌの王トゥニプ・テシュプが刻ませたハビルの傭兵名簿で、全438名のハビル兵全員の名前が列挙されているものです。

これを見ると、ハビル兵士の名にフルリ語の人名が極めて多いことが分かりました。典型的なフルリ人の名前だけ挙げても約20%はフルリ名であるそうです。

フルリ人は北メソポタミアに住み、ミタンニ王国など強力な王国を建て繁栄した民族です。紀元前13世紀ごろに他民族に征服され滅びています。

元々はハビルは西セム系またはアムル系であると考えられていましたが、この資料によるとそうではなさそうです。しかし、フリル人名が多いからという理由でハビル=フルリ人とは言い切れません。人名の言語系統から100%その民族であるとは言いきれません。また古バビロニア時代の南メソポタミア出土のハビル人名表では、その大部分がアッカド語となっており、フルリ人説を食い違うことになっています。

いずれにしても、未だにハビル人の正体はよく分かっておらず、ハビル=ヘブライ人説も可能性は限りなく低いも、100%違うとも断言できないという状態であります。

まとめ

シリア・パレスチナ地方に暴威を振るった武装集団がパレスチナの地に落ち着き、その後ヘブライ人となった、というのは非常に面白い話ではあるものの、ある特定の集団がイコール民族ということにはなりません。いくつかの言語集団や族集団が集まって一つの集団を形成していた場合もたくさんあります。特に古代の西アジアは様々な集団が興亡を繰り広げているので、ハビル人という特定の集団の解明というのも困難そうです。

今後の発掘調査と新資料の発見によって新たな説が出てくることが期待します。

参考文献

 岩波講座 世界歴史2オリエント世界 前二世紀西アジアの局外者たちーハビル、ハバトゥ、フプシュー 月本昭男

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