見出し画像

中世イタリアの「為替で儲ける方法」

「楽していっぱい儲けたい」のは人類の永遠の夢であります。
世界史はそんな詐欺師が掃いて捨てるほどいるし、今でも「秒速で数億稼ぐ」とかうそぶくペテン師がもてはやされてしまうのですが、そういう強欲な連中はたいていそれ相応の十字架を背負うものです。一瞬で破産したり、不正取引で逮捕されたり、ライバルとの抗争の挙句殺されたり。
人自身はまったく発達しないわけですが、そのような「強欲さ」がテクノロジーやシステムを発達させてきたことは事実で、
本日のテーマである「為替取引」もそんな中世ヨーロッパ商人の「楽していっぱい儲けたい」思いから発展したものであります。 


1. 「利子を取ることは神に対する罪」

近代資本主義を支える様々な商業技術、例えば銀行や保険、簿記、会社などはルネサンス期の北イタリアで誕生しました。

互いにライバルだったフィレンツェ、ベネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの北イタリア諸都市は、地中海貿易のみならず北ヨーロッパ貿易、黒海貿易でしのぎを削るわけですが、商圏が拡大し商品が多様になると同時に、土地ごとに異なる貨幣制度や度量制度にも対応する必要が出てきました。
商人たちはあるタイミングから、これら複雑な商品や貨幣の流れを紙におこして取引の内容を書き留めるようになります。これが「商業の文書化」と呼ばれるもので、これまで記憶によって管理されていた商取引は一気に合理的で正確なものになりました。

次に商人たちは貨幣や商品を携えて各地を巡ることを止め、商業通信網を通じて各地の代理人とやり取りしながら取引を進めるようになります。これが「商業の定地化」と呼ばれるもので、これにより他者の手で商品や金融商品が運ばれ売られるようになる。
するといかにして安全に届けるかという観点から、商品なら保険や飛脚業、貨幣なら為替や振替銀行が発達。そしてこれらの複雑な取引を把握する手段として、簿記が発達します。
このように、商圏の拡大と複雑化していく商取引をさばく手段として、これらの商業術が生み出されていくことになります。

ところがこれらの商業技術の発達に「待った」をかけたのが、中世で強大な権勢を持ったカトリック教会でした。
中世カトリックにおいて、「金を貸して利子を取ること」つまり徴利は宗教上の罪でありました。

なぜ、徴利はカトリックの罪にあたったのか。

それは「徴利は時間の価格で、すなはち時間を売買することであり、自然法に反している」というのがその理由。

神は万物に等しく時間をお与えになった。時間は神にのみ属するものであり、人間ごときがそれを切り取ることはできず、ましてそのような神聖なものを売って利益を得ることなど言語道断。金貸しは万物に等しく存在する時間を売ることで、自然法に反する罪を犯しているのだ!

そして為替も徴利の一部と見なされ、宗教上の罪とされました。
なぜか。

それは「為替が時間を含むことで徴利を得ている」と見なされたからです。

異なる貨幣の交換(為替手形の交換)を行うには、2地間に物理的な距離があるから時間を要する。なので為替手形は必然的に期限付き手形となり、信用状の性格を持つ。すると「為替手形の移動時間」は「信用供与・金銭賃借の時間」とみなされる。それゆえ、もし目的地での受領額が出発地での支払額を上回っていたら、徴利の疑いが持たれてしまう。

このような時間の概念を教会が唱えて喧伝していた以上、商人たちも大っぴらにこれを無視することはできず、商人たちは「自然法に反する罪」に接触しないように金儲けをするべく、様々な「悪知恵」を働かせていくわけです。

ここから先は

2,206字 / 5画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?