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「真のイスラム国家」を巡る議論の歴史

ごく普通の日本人が持つ「イスラム」や「イスラム教」についてのイメージは

  • 戒律とか教えが厳しそう

  • なんか良く分かんないけど、いっつも戦争やってる

くらいの極めて曖昧なものではなかろうかと思います。

ただどっちも半分は合っていて、イスラムの歴史は外敵との戦いは勿論、コーランの教えの解釈を巡って同じイスラム教徒同士で戦い続けた歴史でもあります。

日本では大規模な宗教戦争や国を二分するような論争が起こったことがないため、なぜ解釈の違いだけで殺し合うのかイマイチ想像ができないのですが、当のイスラム教徒にとっては本当に生きるか死ぬかの大問題だったりします。

ということで、今回は「正しいイスラム国家」とは何かを巡る争いの歴史です。


1. ムハンマドの社会改革

イスラム教の聖典「コーラン」では、人間は神に絶対的な服従を要求されています。服従しない場合は、地獄で罰を与えられ永久に苦しみを受けることになります。
神はアダムの時代から人間に正しい生き方をするようたびたび伝えてきたのに、その都度無視されて人間は堕落してしまった。最終的に神はムハンマドを選び、彼に神の意思を正確に保持し、神の意思の通りに生きる共同体を組織させた。それがイスラムの共同体ウンマであり、ウンマは神の命に従い地上に神の意思を具現化する努力をせなばなりません。

それゆえ、日常生活はおろか政治的にも、共同体が現在歩んでいる道が神の意思に「叶っているか / 背いているか」という点が非常に重要な問題になってきます。共同体全体で神の意思に反していたら、そこに住む人が丸ごと地獄行きになるわけですから大変です。

イスラム教の開祖ムハンマドは、これまで家族を単位とした血族に属する人々に、イスラムの教えを共通の拠り所とするウンマ(共同体)という新たなアイデンティティをもたらしたと言われています。
一方でイスラムでは家族を社会の中核として認めて重要性を強調すると同時に、アダムを祖先とする人類全体への意識にまで同胞意識を拡張させました。図にしたらこういうことでしょうか。

これは、ウンマと国家が一致した場合は爆発的なパワーと人々の統合をもたらしますが、いったんウンマが分裂して各地に軍事政権が林立していくとたちまち破綻してしまいます。

本来は「1つのイスラム教=1つのウンマ=1つの国家」でなければならないのに、あちこちにウンマが出来てしまうと、そもそものイスラムの教えと相容れないものになってしまいます。
この矛盾を正当化するために、歴代のイスラム君主や哲学者たちは、この状態が神の意思に反していないことを証明しようと四苦八苦するわけです。

2. スンニ派「平和が1番じゃん?現実的にやってこーぜ」

まず最初の宗派の対立は、ウンマがどうあるべきか、指導者として誰がふさわしいか、といった論争でした。
ムハンマドの没後4人がカリフが選ばれますが、ハワリージュ派はウスマーン以降のカリフを全て大罪人であるとし、シーア派はアリーとその子孫こそ正統な後継者であるとしました。指導者が悪人であると「共同体全体が悪人=みんな地獄行き」になるので、 めちゃくちゃ真剣です。
指導者を擁するスンニ派は、分派のこういった批判に対する自己正当化からスタートしなくてはなりませんでした。すはなち、カリフは通常選挙で選ばれなくてはならないが、スンニ派のカリフはこの時既に世襲となっていました。そこでスンニ派のイスラム思想家は「カリフの即位の際の服従の意思を示す儀式は、是即ち選挙と同じ」と言って、スンニ派のカリフ継承に正当性があると言い切ったわけです。

スンニ派の思想家マーワルディーは、カリフは「シャリーア(イスラム法)の諸問題について自分で判断を下せる聡明さと知識、公正さ」が求められるとし、単に現状擁護だけではなく共同体をより良くするための指導者の質について厳しく説いていました。しかし、その後のスンニ派法学者たちは「変革をして既存の権力が危うくなれば、無秩序と無法がのさばってしまう」として、徹底的な現実擁護を唱えることになりました。
それは、無秩序でなければどんな悪政でも独裁者でも黙認され、新たな軍事指導者がカリフを倒せば、その者が新たにカリフとして認められる、という武力による支配が認められる結果となりました。
イスラムの教えは、軍人たちの支配を正当化するためのものでしかなくなってしまったのです。

3. イブン・タイミーヤ「純粋なイスラムに戻らなくては!」

 イスラム法学者が権力に追従する状態を非難したのが、14世紀のスンニ派の思想家イブン・タイミーヤであります。
彼は、ウンマの父祖の時代の純粋なイスラムに戻らなくてはならないとし、そうなるにはシャリーア(イスラム法)を唯一正当に解釈するイスラム法学者がウンマの指導者になるべきだ、としました。

ムスリムはシャリーアに背く命令を出す軍人指導者の言うことは聞かなくていいし、また聞くべきではないと主張し、現実の権力への反乱と無秩序を否定しつつも、安易な権力への追従を戒めて後のイスラム思想に大きな影響を与えることになりました。

4. ワッハーブ「イスラムを改革することで西洋を駆逐できる」

支配者が軍人出身とはいえ、曲がりなりにもシャリーアによって支配されていたイスラム国家でしたが、19世紀にヨーロッパの法体系が入ってくると、大混乱に陥ります。

外国製の法律がシャリーアよりも上に来ることになり、「神の法」による支配そのものが破綻。同時にヨーロッパの商品が入ってきて伝統産業は崩壊強い資本が土地をガシガシ買い占めて農村共同体が壊滅します。これまでの常識や秩序が一気に無くなってしまった衝撃は、我々の想像をはるかに超えるものがあるでしょう。

イスラムの危機を受けて、様々な変革運動が世界中で起こっていくわけですが、権力への追従がイスラムの危機を招いたのではなく、イスラムの危機が権力への追従を招いた、と考えられました。
そんなバカなと思いますが、前者のように考えるとスンニ派のこれまでの歴史そのものを根底から否定することになるからそう考えざるを得ないのです。
そのためイスラム改革運動は「ムスリム社会の堕落した現状を打開し、真のイスラムを実現する」ことを目指しました。真のイスラムが実現し神の意思を具現化できると、ヨーロッパ権力への追従はなくなり、ウンマは発展し強盛になる、という論理です。

一番最初にスタートしたのが、アラビア半島です。
ムハンマド・ブン・アル・ワッハーブはダルイーヤの小豪族サイード家の力を借り、イスラム復古運動を展開。特に聖者崇拝に代表されるスーフィズムを批判し、それらを擁護する地方の豪族への武力闘争を開始しました。

この運動はオスマン帝国とエジプト総督ムハンマド・アリーによって鎮圧されますが、長い戦いの末、1902年にサウジアラビア王国を建国するに至ります。

 5. ムスタファ・ケマル「カリフは死ね」

オスマン・トルコは開祖ムハンマドから連綿と続くカリフを唯一擁する、イスラムの覇権国家でありました。
ところが第一次世界大戦でオスマン・トルコは連合国に敗北。アナトリア半島は列強の占領下におかれ、分割の危機に直面します。これに対し軍人ムスタファ・ケマルは、アンカラに「トルコ大国民議会」政府を設立し、連合国と妥協しようとするオスマン朝に対し武力闘争を開始。アンカラ政府は奇跡的な勝利を続け、最終的にオスマン朝スルタンは国外に亡命。オスマン朝は滅亡します。

1924年、アンカラ政府はカリフ制の廃止を可決しました。
西洋式の政教分離の国民国家を目指したケマルは、「カリフ制は本来啓示とは無関係な単なる便宜的制度であり、既に歴史的意義を終えているため、ムスリムは状況に応じていかなる政体も採用できる」と宣言します。地上からカリフが消え去ったことは、他の地域のイスラム教徒に衝撃を与えました。

6. リダー「西洋文明と伝統の両方理解するカリフが必要」

 この新生トルコのカリフ廃止を批判したのが、シリア出身のイスラム法学者ムハンマド・ラシード・リダー。カリフ制はシャリーアで義務とされているため、絶対にカリフは必要であることを主張しました。

リダーの求めるイスラム国家論は単なる復古運動ではありません。
新たなイスラム国家では、「解き結ぶ者」と呼ばれるリーダーを新たに設定することを主張しました。
「解き結ぶ者」はウンマの主権の代行者であり、カリフと協議を行いウンマの政治を運営する。場合によっては、「解き結ぶ者」はカリフを罷免すらできる。「解き結ぶ者」は、シャリーアはもちろん、国際法や諸国間条約、各国の政治状況、国力・経済などに関する知識が不可欠であり、そのような者がウンマを率いることでイスラムの復興が成し遂げられる、としました。

7.  アッラーズィク「カリフ?そんなもんいらねーよwww」

一方で、イスラム法学者の立場からカリフ制を否定してしまったのが、エジプトのシャリーア法廷裁判官アリー・アブド・アッラーズィク。

まずアッラーズィクは「カリフ制はシャリーアの義務ではない」と主張します。

予言者ムハンマドは神から言づてを委託された予言者的機能しか保持せず、カリフのごとき政治機能は持ち合わせていない。政治体制の選択は人間の理性に委ねられており、実際にムハンマドはイスラムに参加した部族の政治体制に口出ししなかった。神の予言者たるムハンマドが政治について全く何も言わずに死んだことは、イスラムの目的は政治体制を作ることではないということ。ではなぜカリフ制がシャリーアの義務となったのかと言えば、それは多くの人が初代カリフ、アブー・バクルを宗教的権威と誤解したからである。つまり、ムスリムはどんな政体でも選ぶことができるのである。というのがその論理です。

これはこれまでのイスラムの歴史を根底から否定する大問題作となり、激怒した伝統法学者たちはアッラーズィクを法廷裁判官から罷免させてしまったのでした。

まとめ

このように、

何か物事が上手くいかない → イスラム的に堕落してるからだ
本来のイスラムに戻す → オールOK!

という発想はイスラム原理主義の根底的思想にあるもので、我々からすると「おいおいマジかよ」と思っちゃいますが、「神様が言うことに間違いはないだろう!」というのが彼らの根本原理。

イスラム国の主張も、この流れに添って考えると非常に分かりやすいものになりますね。

  • 統一イスラム国家の樹立

  • カリフ制の復活

  • シャリーアの施行

  • 堕落したウンマの解体と統合

これまでの流れや権力を踏襲する必要がないから、ゴタゴタと小難しいリクツを並べて権威を正当化する必要がない。非常にシンプル。

そこが多くの人を引きつけるのかもしれません。

参考文献
シリーズ世界史への問い10 国家と革命 岩波書店

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