見出し画像

きれいですよね、にモヤっとする

先日、短期間で開催されているアートの展示会に行ってきた。
以前にもこの種の展示会には行ったことがあり、宮城ではなかなか見ることができない美術作品と出会えた感動を胸に、今回も楽しみにして向かった。

きれいですよね、にモヤっとした

会場で受付を済ませ、さてどんな出会いがあるだろうかとワクワクして絵の前に立つ。
私はアートに疎いが、見るのは好き。いろんな想像を膨らませながら見るのが好きなのだ。

一緒に行った姉と、感想を言い合っていると後ろから
「この絵、きれいじゃないですか?」と会場のスタッフが声をかけてきた。
その後、アーティストの出身地、普段どういうところで飾られているかなどを説明した後「ゆっくり見て行ってくださいね」という言葉を残してまたどこかに歩いて行った。

なんだか、モヤっとした。姉の顔をみると、姉も同感のようだった。

絵をいくつか見ていると、またあのスタッフが来た。
言葉は同じ。
「この絵もきれいですよね」という言葉とともに、私たちの会話へジョイン!
そして最後の一言に「絵も素敵ですけど、価格も素敵なんですよね」と言って去っていった。

また、モヤっとした。
そこでは、販売のブースもあったから、
「絵を買ってほしい!」という一心での接客だということは理解できたけれども。

決めつけと一方通行

なぜここまでモヤっとしたのかを考えて、分かったことは2つ。

・突然、同調を求められるような声かけだったから
・相手のことを考えないような接客だったから

アートを「綺麗かどうか」で見ていない人は多いような気がするけれど、どうだろう?
なんとなく惹かれるとか、なんか不思議なバランスだな~とか。
それを「きれい」という概念軸をもって質問されたことに、モヤっとした。

そして、鑑賞をしている私たちは価格についてあまり気にしていなかったし、魅力的な絵はそれなりの価値があることも分かっているつもり。
スタッフから伝えられた「価格も素敵」の意味はいまだによく分かっていないが、明らかに分かることは”価格の話をするタイミングではなかった”ということ。

素敵な絵がいろいろあったけれど、一つの絵の前に長く立つとまたスタッフが来るんじゃないかと思って、あとはサーっと見て退出してしまった。
ちょこっと消化不良なアート観賞だった。

もし自分だったら、を想像する

サービスの提供側として、「もし自分が相手の立場だったら」を想像することは非常に大切だと改めて実感する機会だった。

自分が想像したことと現実が違うこともあるかもしれない。
だって、十人十色ですから。
感じ方もいろいろ、考え方もいろいろ。

でも、分かる限りの相手の状況を踏まえて、何を求めているのか想像することは、サービス提供者として必要なことだと思う。

この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,991件

役に立ったと思っていただけたら、サポートお願いします。いただいたサポートは、活動費に使わせていただきます!:)