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コクリコ坂に潜む昭和30年代の野獣

ここ二週間夏休み恒例の金曜ロードショーで「となりのトトロ」と「コクリコ坂から」がやっていて、改めてこの二つを立て続けに見ると、よくもまあ、という細かいとこまで、どちらにも共通する昭和30年代という時代のドロ臭い『生々しさ』がジブリバイアスと共に綿密に組み込まれている。特に「コクリコ坂から」は時代背景のくみ取りに相当な基礎知識を要求する為、戦後の時代背景についての基礎知識筋肉量が不足している場合、トトロやネコバスのような特段見栄えのするキャラクターが出てくるわけでもないので、見たものの記憶に残らないようであり、改めて勿体ない作品に仕上がっているので、多少、昭和30年代のバックグラウンドについて解説したい。

例えばクラブハウス棟の壁をなおす左官が得意な女の子は、当時はサラリーマン家庭よりも、一家でやっている家族経営の職人のような家庭が多かったことを表している。横浜・元町の商店街がいまのようなファッションストリートではなく、肉屋さんあり八百屋さんあり魚屋さんありの日常生活と密着した小規模の商店で出来上がっているあたりが、とても『生々しさ』を表している。ものがつくられて、届くまでの距離が短く、いまよりもっともっと小規模に分散していたのだ。

独特なインクの臭いのするガリ版(謄写版)による手刷りの小冊子印刷によるビラ撒き。

まだ現在ほど極端にはコンクリートで埋め立てられていない横浜港の港湾。

戦争孤児で孤児院行き寸前だった主人公風間と、その風間の住む長屋と家の前の運河。みなしごを拾ってきたお父さんというのは終戦直後は当たり前の風景だったのだろう。家族は擬似的にも作り上げてでも行かなければ生きていけなかった。
古くなったクラブハウス棟を取り壊して新しくしようとする学校側に対する学生の反抗心は、一度は昭和の初めに葬り去られた民主主義というものの貴重さと、その苦労を親に教え込まれた戦後第一世代の心境を表している。

『古くなったから壊すと言うなら、
 君達の頭こそ打ち砕け
 古いものを壊すことは
 過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか
 人が生きて死んでいった記憶を
 ないがしろにするということじゃないのか
 新しいものばかりに飛びついて
 歴史を顧みない君達に未来などあるか
 少数者の意見を聞こうとしない君達に
 民主主義を語る資格はない』

(ただし、この古きクラブハウス棟を破壊してまったく新しいものを上書きしようとするものたちも、また戦後第一世代のベビーブーマーであり、むしろこちらが圧倒的メインストリームとなって現在に至る。この時代から5年後の全共闘運動、いわゆる学生運動の分裂した終わり方によって、その方向性が決定的になってゆく)

懐かしき桜木町駅(つまり鉄道開業当初の横浜駅)には当然自動改札などはなく、切符切りの駅員がいる。京浜東北線大宮行きの電車は戦時型の三段窓構造の茶色の木造電車だ。新橋駅ガード下の赤煉瓦は今も変わらない。

唯一現代にその姿をほぼ残しているのが、新橋から帰ってきた後の山下公園なのかもしれない。ここで気がつける人なら舞台は横浜だということに気付く。マリンタワー、氷川丸も現在とほぼ同じ姿形のままだ。

終盤、人生の一大事を迎えた主人公二名を乗せたオート三輪が坂をかけ降りた、渋滞している国道133号線沿いには、当時本当に魚の干物が干してあったんだろうか。軒を連ねるカマボコ屋はとっくに絶滅した。

この作品を見て、ただ単に「古い時代は良かった」とだけ思うのならば、もうそこで思考停止のノスタルジスト認定である。問題はまったくそこではない。

一人一人の人間の人生が、今よりもっともっと小さな単位でまわっていて『生々しい』ものがそこかしこに偏在していた。ああ、なんと面倒くさい時代なんだろう!1963年(昭和38年)はその明確な分岐点だったんだろう。民主主義とは本来、その『生々しい』小さな単位のものを、個々の価値観を、複雑に制御し折り合いをつける為の思想だったんだろう。その調整をしようとしない国会などもはやただの墓場でしかないし、そのしち面倒臭いことをこなすための政党政治だったのでは?。インターネットはその『生々しい』しち面倒臭い小さな単位の想いを、一方通行のテレビにはできない多対多の通信でやりとりして相互理解するための道具だったのではなかったっけ?

「どこかで民主主義の行き先の方向性を踏み間違えましたよ!!!」

・・・とは、宮崎駿も吾朗もストレートには言わないけれど。この恋愛物語の皮を被った奥底にそういう煮え切らない野獣が潜んでいるから、この世界観描写にやられるのだろう。

まあ、ジブリに洗脳されてるだけじゃないかといえばそれまでなんだが。また、「コクリコ坂から」は唯一見るに堪える吾朗作品だとも思う。

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