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正月に帰る場所はつくれる

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2020年という一年の状況によって、自転車圏内の人間関係が急激に増え、吉祥寺という町にしょっちゅう行くようになった。その吉祥寺で、先日の「鹿を捌いて食べる」でもお世話になった谷口さん森澤 さん夫妻と、参加するそれぞれの郷土料理かお正月料理を持ち寄る、もしくはその場でつくる試みをしてみよう、という実験を少人数で開催。

僕が、食とアニミズムを書き始めてもうすぐ一年、こんなことを書き始めた一番直接的に大きな動機は、子供の頃のお正月体験にあったと思う。うちは12月31日に父方の実家(東京都内)に集合して、新潟式のお祝いをするというのが定番だった。数日前から、すべてこの12月31日の祝いの場に向けて準備される。そして今日新潟出身の谷口さんがつくっていた「のっぺい」は、まさに我が家では汁物として、もっといろいろな具が入って、イクラに火が通って浮いていて、そして雑煮として出てきたのだが、子供心になにか異様なものを感じていた。たぶん誰しも記憶の中にそういうトリガーが、少なからず埋め込まれているはず。

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これは、東北に通うようになった8年ほど前から徐々に強く感じるようになったことだが、郷土料理というものは、田舎から子供が東京に出ていったとしても、お盆と正月に帰ってきたくなるためのトリガーとして、そしてまたいつか必ず住処としてその土地に帰ってくるようにと。その土地の風土を味の記憶として埋め込まれているのだと、気付いた瞬間があった。そしてこれは、僕のように東京に出て来た三世代目には、かろうじてかすかにその香りが残っているものの、もはや風前の灯火だった。今日、スーパーマーケットをのぞいてみると、売っているものは、牛肉と蟹とマグロばかりで。正月料理というものが単純に高付加価値だと思われているものが高値で売られるバーゲンセールになってしまっていて、資本主義経済の消費の道具に成り下がっているという悲しい状況だったことを再確認したのでした。(本当はタラの白子を料理したかったのだが、スーパーの正月仕様のせいで無い!!)

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で、その土地との接点が薄まれば薄まるほど、生きていく動機を失っていくように思う。年々自殺者が増えていって、特に冬場寒くなってくると、ちょっとした衝動でそういう方に精神的に振り切ってしまうこともあるような気がしていて。家族を自殺で亡くした経験のある人をサポートしている友人が、彼女はそういう人の為に毎年12月31日に集まれる場作りをしているのが、以前からヒントになるなあと思っていた。そんなこともあって、吉祥寺のお二人に、郷土料理かお正月料理を持ち寄る場をつくってみるのはどう?ともちかけた。

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故郷そのものに頼れない、地縁が無いというならば、それはもう自分達でつくり出すしかないのだ。田舎が無いと嘆いている場合ではない。これは、コロナで帰省できないとかいう問題とはまったく別次元の話だ。各々、自分の御先祖、自分の持つ遺伝子に問いかけられたし。

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来年はもう少し準備してお正月に取りかかれれば・・・と、思う。毎年思ってるけど。

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