見出し画像

規律と哲学

自分の人生を振り返るPart3である。前回からかなり時間が空いてしまったが、それには理由がある。ここまでのシリーズは大きく高校時代と大学時代と社会人に突入してからの期間で分けて書いている。

社会人時代についてはまだ続くはずだが、ひとまず先月末で4年ほど勤めた会社を辞めたので、区切りのいいところでこの振り返りを書きたかった。

最初に断っておくと、自分は今の会社が嫌で辞めるのではなく、ただ別の環境に身を置いてチャレンジしたいと考えた末の決断である。会社は自分が成長できる環境を与えてくれたと思っているし、とても感謝をしている。

特に「組織で働くことの難しさ」は身をもって痛感した。自分はどちらかというと規律(ルール)に縛られるのが嫌いだった。また組織で共通の目標を持つことなんて不可能でかつ馬鹿馬鹿しいと思っていた。経験がないゆえに社会を舐めていた若輩者の一人だった。

だが組織で動いて大きな結果を出すには、確実に規律が必要だと社会で数年働いてから理解できるようになった。一人でやれることには限界がある。どんな人間にも共通しているのは1日24時間しかないことだ。有限の時間の中でどれだけ有効に時間を活用できるか、これを組織レベルで整えるのが規律(ルール)と哲学(ビジョン)だと私は学んだ。

強烈な個性や力量をもつ人材は重要だが、どんな人材も規律が整っていない組織の中では力を十分に発揮できない。逆に規律があるからこそ個が輝くのだ。FCバルセロナのメッシも、FCバルセロナの規律と哲学を芯から理解しているからこそ、あれだけの活躍ができるのだ。(もちろん本人に他者を寄せ付けない圧倒的な才能があることは言うまでもないが)

でもだからといってガチガチに縛りつければよいかと言われるとそうではないと思っている。結論から言えば、その組織の人間がその組織の規律やルールに納得できているか否かが大切だと自分は考えている。

誰か一人がルールを破ってしまったら、その瞬間にチームの規律は乱れてしまう。どんなに厳しいルールであろうと、腹落ちしていれば誰も破ろうとはしないだろう。そしてその規律を納得できるものに昇華するのは哲学(ビジョン)なのである。

軽く思いつく具体例をあげると、自分はものすごくコーラが大好きなのだが、サッカー部時代はコーラを飲むことが禁止されていた。科学的な根拠は何ひとつなくただルールとして禁止にされていたのだが、不思議と嫌な感じはなかった。

それは部という組織として「勝利」を求めるために必要なルールだと無意識に自覚していたからであり、それを全員がすることで一種の統一感を産んでいたのだと思っている。(引退した瞬間に真っ先に買いに行ってガブ飲みしたのはいい思い出である)

個人的な意見をあえて言わせてもらうと日本の組織はこのルールとビジョンの納得感が非常に希薄だと思っている。私が働いていた会社もそうだった。何かある度に新しいルールだけが追加されるのだが、それが会社のビジョンと何がつながっているのか(むしろ逆行しているようにも見えたこともあった)が何も説明がないまま施行される。

「トップが言っているから」では現場は納得しない。中間管理職には彼らなりの解釈を常にその下に伝えて納得させる努力が必要だと思う。難しいかもしれないが、それが単なる歯車として働くということから脱するきっかけになると思っている。私もこれから成長していくにあたってそのことを忘れないようにしたい。

最後まで偉そうなことばかり言ってしまったかもしれないが、私が学んだことをまとめると以下のとおりである。

・組織で大きな目的を達成するには規律と哲学が重要
・厳重な規律と哲学の中で個性は輝く
・運営において納得感は非常に重大な要素

この記事は今までの振り返りとして忘れないように自分自身のある種の自己満足として書いたものだが、少しでもこれを読んでくれた人の気づきになればそれはとても嬉しいことである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?