見出し画像

ピアノを弾くということ

ピアノをほぼ毎日弾いている。お気に入りの曲がうまく弾けると、とても気持ちがいい。新しい曲に取り組むときは、正直少々面倒なのだが、弾けるようになると本当に嬉しく気分もいいので、そのことを想像しながら練習をする。

ピアノの習い始めとやめた時期

3歳くらいからピアノを習い始めていたようだ。姉が通っていたピアノ教室へそのまま妹の私もお世話になった。いちばん最初のレッスンの日はひどく泣いて、ピアノ教室の家へ入れなかったのは、ぼんやりと記憶している。

それから小学校4年生くらいまでそこで習っていた。ピアノの基礎練習が好きではなくて、それをやらないことで母から叱られたり、ピアノを弾くことは好きだったけど、そういう毎日のいざこざが嫌だったのだろう。その頃には自分で楽譜も読めるようになり、ある程度弾けていたのでもう十分だ、と言ってピアノ教室で習うのをやめた。親も先生も、もう少し続けたら、と勧めてくれたのだが、私の性格上、一旦やめると言ったらきかなかった。

そこからは自分で弾きたい簡単な曲や、今まで弾いてきた曲を、好きな時に好きなだけ弾いていく日々を続けていた。

ユーミンが好きな時はユーミンの弾き語りの楽譜を買って弾いてみたり、坂本龍一の映画音楽は原曲は難しいので、簡単に編曲されたものを弾いてみたり、ショパンの「別れの曲」が弾いてみたいなぁと思いながら、やっぱり難しくて途中は飛ばして弾いてみたり、と好きなように自己流でやっていた。

自分のピアノ購入!

ピアノが家にあるのが当たり前の生活が変わったのは、結婚した時だ。やっぱりピアノが欲しい!と息子たちが2歳になる頃に住んでいた家で中古のアップライト型ピアノを購入した。

実家のピアノはカワイだったが、今回はヤマハを選んだ。中古から新品までさまざまなピアノが展示してある会場に行って、予算に合わせ、音を聴き比べて選んだのが今のピアノ。

実家のカワイのピアノ音が少しこもったような大人しめの音に比べて、このヤマハのピアノはかなり響く華やかな音が気に入って決めた。

調律に来てもらった時に中身が見られるのが楽しい

そこからは息子たちと一緒に、となりのトトロを弾きながら歌ったり、以前と変わらない自己流、自分流に楽しんでいた。

ピアノを再び習うきっかけ

そんな私が先生に習ってちゃんと弾きたい!と思ったのは、「人と連弾する」という機会が訪れたときである。

学生時代の友人が、実は近所に住んでいて再会した際、ピアノの話題になり、「ピアノ弾くなら、一緒に連弾しない?」と誘われたのだ。しかも、チャイコフスキー「花のワルツ」! 私の方が年下なので、若い人がパート1を弾くのよ、ということに。

そこからは練習、練習、練習、なのに弾けない。自己流の限界を感じて、自分だけならそこで諦めていたかもしれないけど、人と合わせる、連弾をする、となるとそうもいかない。

ここがターニングポイントだった。音楽を人と一緒に合奏する、とても楽しくて素敵なこと。でもそこにはある一定の演奏レベルが必要で、かつ合奏する相手と大体同じようなレベルであることが望ましいのだ。そうでないと楽しくない。相手があまりにも上手でレベルが高すぎると気がひけるし、相手があまりにも初心者すぎると物足りない、実に悩ましい。そう、私は弾けなさすぎたのだ。

これはまずい、相手に失礼だわ、と思ったのと、悔しい、ちゃんと弾けるようになりたい!という気持ちがふつふつと湧いてきた。

ちょうど息子たちを近所の個人の先生のピアノ教室に通わせていたので、その先生に習うことを決めた。
「友達と連弾しようとしている「花のワルツ」を弾きたいのです!そして10年後にはベートーベンの「熱情」を弾きたいのです!」
と今から思うと、よくまぁそんなことを言えたもんだ、くらいなことを先生に言ったのだ。

これがかれこれ、22年前の話。先生は笑いながら、「あらまぁ。すごいわねぇ。」と言って迎え入れてくれた。

とてもユニークで個性的な当時50代くらいの女性の先生に3年間ほど習った。

夫の転勤が決まって引っ越しを機にその先生から習うのをやめてしまったのだが、子供の時は嫌いだった基礎練習のハノンを真面目に学び、憧れだったショパンの「別れの曲」やドビュッシーの「月の光」など弾けるようになり、かなり嬉しくて楽しくて、貴重な時間だった。 

花のワルツの連弾はどうなったかというと、連弾相手とどうしても手がぶつかったり、うまく交差できず、これは2台ピアノがないと無理じゃない?と諦めて、その連弾は消えたのだった。でもその友人とは他の曲で、映画音楽やポップスの曲を連弾したりして、楽しむことができ、良い時間を過ごせた。

そして「熱情」は22年たった今でもまだ憧れの曲。これはこれからの課題。笑

人との刺激が自分を成長させる

やはり人は人によって刺激を受け、成長するものなのだな、と改めて感じている。
一緒に弾く相手がいたからこそ、あの悔しい、情けない、もっと弾きたい、上手くなりたい、という気持ちが起きてきて、先生に習う、という行動に移せたのだと思う。あの時、先生について習わなかったら、今ここまでは弾けていないだろう。

独学で学ぶ選択もあるけれど、やはり切磋琢磨する仲間、指導してくれる先生がいてこそ、上達し成長するのは早い気がしている。あの連弾を声かけてくれた友人のおかげで行動できた。友とはありがたいものだ。

今は別の友人とモーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」を仕上げるために練習している。2020年の夏から1楽章の譜読みを始めて、1年後の2021年の秋、2台ピアノがあるピアノスタジを借りて1楽章を合わせた。3楽章を2022年の先日合わせて、来年は2楽章を合わせ、3年かけて全楽章を完成する予定だ。これもまたとても楽しい!けれど自分ばかり失敗すると情けなくて練習不足が悔やまれる。またコツコツ練習しよう。

今回右側のスタインウェイのピアノを初めて弾きました。
重々しくてとても響きが良かったです!

他にも実はバンドのキーボードを担当している。こちらも楽しく活動している。何度か高齢者施設で演奏させてもらったり、一度ライブにも出させてもらった。今度はライブハウスのオープンマイクに参加する予定がある。こちらも素人の集まりでボーカルは秀逸なのだけど、他はそこそこ、おじさんとおばさんが笑いながら演奏している愉快な仲間たちバンド笑。でもこれもピアノを続けてたからこそ、できることであって、嬉しいご縁だ。

おわりに ピアノを弾くということ

私にとってピアノを弾くということは、趣味の一つであり、生きていく中でとても大切にしていることである。ピアノが弾けることで広がる世界があった。これからもあるかもしれない。人が聴いたら下手っぴの素人でしかないピアノだけど、それでも弾ける、弾いていて楽しい、ということが自分の自信にもなっている。ピアノを弾いている自分も好きで、自己満足でしかないけど、自分を好きでいることは幸せなことなのだ。そんなピアノを弾ける最初の機会を私に与えてくれた両親に心から感謝してこの回を締めたい。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?