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10億円当たれば働かないのに

はたらくってなんだろう? という問いは、生きるってなんだろう?という人生の目的や意味を聞かれている気がしてならない。

私は仕事で嫌な事があったり、人生もう嫌だと行き詰まる時、宝くじを買うようにしている。10億円当たれば仕事なんてしないで一生遊んで暮らしたい。そう思う人はどれくらいいるだろう。とりあえず3億でも良い。もう疲れたから働きたくなんてないのである。

世のため、人のため。誰かを喜ばせるために働くのだ。世の中をより良くするために、貢献するために働くのだ。そう信じてやまない時があった。大学を卒業して就職した組織は、とある社会起業家のスタートアップだったので、私は人一倍社会貢献意欲が旺盛な若者だったと思う。お給料は少なくても良い。本気でそう思っていた。

最近、「やりがい搾取」という言葉が生まれたようで。お給料や待遇を低くしても、やりがいがあれば労働者は大丈夫という、医療・福祉や社会貢献系の分野に蔓延る病を現したものであろう。

経験した者は分かる。働けども働けども経済的に困窮する苦しさ。最も弱い立場であるが故に、組織の痛みを逃す受け皿になる悲しみ。逃げる体力も削られ、判断力さえも奪われる恐怖。対話が成立せず、一方的に切り捨てられる絶望。

「大義名分には犠牲が必要なんだ」

雇用主に、そう言われた事があった。私は彼のとある清らかな志に賛同して、新卒カードを捧げたのであった。私は彼の掲げた志、大義名分の犠牲になって欲しいと言われたのだろう。人柱として埋められる人の気分が少し想像できた。

過労と失意で精神病を患い、20代の多くが犠牲になった。30歳になる頃合いで、多少なりとも社会的に認められる立場になったが、懲りもせず社会貢献の分野で仕事をしている。

社会貢献系のキャリアを積んでしまったが故に、私を必要としてくれる居場所は同じ分野だった、それだけの事である。自分の強みを活かして日銭を稼いでいるに過ぎず、かつてのような「世のため人のため」という意識は殆どない大人になってしまった。

私にとって働く事は、生活するために必要なお金を稼ぐ手段である。仕事に生き甲斐、やり甲斐を求めて病気になってしまったので、仕方がない。しかし、それでも生き甲斐のある仕事をもって働いている人には憧れている。働く事で生きる喜びを得られるなら、それはなんと素晴らしい事だろうか。

労働が苦役でしかない。その状態が長く続く事は、自分の人生にとって実はよくない事なのではと思うこともある。もっと自分が自分らしく輝けるお仕事はないのかしら、と考えることもある。ただそれは、荒唐無稽なファンタジー。ただの病的な妄想の延長なのではと、不安に自分を陥れる。理想を追って人生という道に迷子になり発狂した経験が、また理想を追う事を邪魔するのだ。

そんな自分にも、子供ができた。お腹を痛めて男の子を産んだ。今はヨチヨチと歩き始めて、「たいたいたい」「ま、ま、ま」と言葉の真似事をしている盛りである。純真無垢な瞳で見つめられると、この小さい時期はあっという間に過ぎてしまうのだろうと、一瞬の輝きを逃さないよう大切に抱きしめる。

この子が大きくなって、「はたらくって何?」と相談されたとして、私は「生活するために必要なお金を稼ぐ手段」と答える事ができるだろうか。お金の為だけに働くというのは、せっかく生まれた命を一層貧しくさせる気がしてならない。お金が発生しない働きもあるのだから。

なんのために働くのか。なんのために生まれたのか。答えは人それぞれだけれども、幸せになるために生きているのではないか。はたらく事は幸せになる一手段であって、不幸になる事を目的に働いている人なんて、いるのだろうか。皆それぞれの理想、夢があって、無意識ながらも光ある方へと向かっているのではないだろうか。

理想、夢、希望。それらを何度も求め、何度も裏切られ、失望と絶望を味わった人はどうしたら良いのだろう。夢というのは、一時の自分を誤魔化すための安定剤のようなものなのか。

宝くじを買うという行為は、夢を買う事だ。現実の世界で働くと言う事に、何の希望も見出せなくなった疲れた大人が夢見る世界だ。10億円が手に入ったら何をしたいか。経済的な制約を取っ払った先にある希望。それが、もしかしたら自分が求める幸せの形なのかもしれない。

ただ10億円の夢というのも、経済社会がある程度安定している事が条件だ。ハイパーインフレでも起きたら、10億円も無価値になる。この世界は、一人ひとりの働きが積み重なって出来ていて、それも悠久の歴史で育まれた文化、技術によって支えられてきた。より良い世界を作ろうと努力してきた結果が今あって、その意志は受け継がれて未来へと伸びて入るはずだ。

そう考えると、働く事はより良い世界を後世に遺すために、人間の一員として何をするか自分で決める事なのかもしれない。ただし、世の中のため、後世のためと考えると、つい肩の力が入ってしまう。肩の力が入ると、見ている世界も濁ってしまう事がある。だから、あまり真剣になりすぎず、気楽な気持ちで、まずは自分が何をしたら幸せかを考えて、よりマシな働き方を模索する事が良いのではと思うのであった。

#はたらくってなんだろう

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