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「おばちゃん×甘栗」がもたらす卓越した接客パワー

百貨店勤務時代、ものすごいパートのおばちゃんがいました。

エスカレーターの降り口すぐ。つまり来店客が食品フロアを訪れてすぐの場所に設けられた、天津甘栗のワゴン。

ワゴン設置と同時に担当として働いていたおばちゃんは、声掛けも接客応対も、すべて自己流。

天津甘栗でございます、よろしかったらお味見を、といった一般的なアプローチではなく、

かなり荒っぽい表現をすれば「近所のおばちゃんがいきなり近づいてきて甘栗を口に押しこんでくる」というスタイルの接客。

個人商店ならそういう人がいても不思議ではありませんが、それ百貨店のフロアで実践した、そして百貨店がそのやり方を黙認した(黙認でしょうね)のには……結果という強い裏付けがありました。

食品フロア内全店舗の中でも、他を圧倒するズバ抜けた売上を「甘栗のおばちゃん」が1人で稼いでいたからです。



「売れたもん勝ち」の特別扱い

百貨店の従業員研修ではいつも教育担当から指摘を受け続け、正従業員の試験を何度受けても合格しないのでバッジは「見習い従業員」のまま。

それでも、売場に立って結果を出す。

自己流を貫いて、自分自身を武器にして甘栗を売り続けるおばちゃんは、百貨店の社員、役職者、さらには役員からも一目置かれる存在となっていきました。

通常なら見習いの状態が続くと退店の対象となるところを、このおばちゃんだけは「特例」として何度も契約が更新されるという計らいまで。

私はその様子を見ながら「これだけできるのなら、百貨店に儲けを取られるより自分でお店を持ったらいいのに・・・」と、素直に思ったほどです。


「おばちゃん店員と天津甘栗」はベストマッチだった

「人柄そのもので接客する」というスタイルは、卓越した対人的才能を持つ人だけが使うことを許される武器といえます。

スッとさりげなく、ごくごく自然に距離を詰め、

初めて会ったような感じがしない親しみ、あるいは「こういう馴れ馴れしい人、よくいるよね」と瞬時に思わせる既知的な感覚で言葉を畳みかけ、

顧客は目の前の商品を買う、というよりも、

「この人に勧められたものを、なんとなく買ってみた」的な、ある意味やわらかな衝動によって購入へと誘導されていく、流れ。

ポイントは決して高価なものではなく、手軽に買えるけれども取り立てて「欲しい、たまらなく欲しい」とまでは思わない。それでもまあ勧められたらたまには買ってみようか。すぐに腐るものでもないし……という印象を持つ商品であること。


よって、このおばちゃんに天津甘栗というのは「鬼に金棒」そのものだったのであります。


クレームの消火方法も独特である

絶対まではいいませんが、こういったタイプの店員さんは、クレーム対応についても「人柄」を使います。

ビジネス上のセオリーとか謝罪の仕方とか、やはり理屈なんかどうでも良くて、とにかく自分という人間を差し出して「ごめんなさいね。許してくれますか?」という体当たり的な応対。

目の前の火に対して、水や消火器ではなく、自分の体を大の字にしてブワッと覆いかぶさる。そんなイメージですね。

こうなると、特に理詰めでクレームをぶつけてくるタイプの顧客は、どうやって責め立てよう、どのタイミングで怒鳴ってやろう、といった事前の組み立てをすべて崩されてしまい、面食らって意気消沈するしかないわけで。


真似できない強みを持つ人の前では、クレームも燃えにくい

いろんなものが良い方向に、低いリスクをもって作用していくこのからくりは何なんだろうと、若き私は客観的に考えたのですが、

やはり大きいのは「炎上するクレームに発展しにくい状況」が揃っていたという点かなと、今になって思います。

おばちゃんにケンカ腰で向かうというのは、ある意味最も、のれんに腕押し的なやりがいのなさといえますし、

そもそもおばちゃんは考えて接客していない。本能のままに、自分をさらけ出して顧客と対峙し、ただ商品を売るという目的のために動き続けている。つまりそこにはあらかじめ練られたロジックなど何ひとつないため、たとえば「何を考えてんだ」と言われても「何も考えていません」と返す刀で済ませられる度胸まで備えている。

さらにおばちゃんは、売上増への貢献をもたらしている百貨店を味方につけており、仮に追い出されたとしても他の百貨店へ行けばいいだけの話なので、結局は怖がるべきもの、恐れるべきものが何もない極上の強みを持って、日々甘栗のセールスに没頭している……

本当に気さくで、快活で、竹を割ったような性格だった「甘栗のおばちゃん」は、クレーム対応のセオリーを無視しても十分に対抗できる「強い例外」でした。


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