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好きな番組にコメントしたことから気づいたこと

先日、いつも聞いている音声配信の番組に初めてコメントをしました。

長年聴いている番組で、以前からコメントしたかったのですが中々勇気が出ず行動できませんでした。

今日はそんなコメントからの気づき、学びのお話。


自分で書くよりコメント難しい!!!


私はnoteを読むことがとても好きです。

色々なnoterさんがいらっしゃって、それぞれが自由に思考や感情など文章や言葉を紡がれているのを読むこと・触れられることがすっごく楽しいです。

読んでいて「わかる〜!!!」って感じることもあれば
「そんな風に捉える人もいるのか!!!」と感じることもある。

また、自分では体験したことのない経験を聞かせてもらったり
これは真似したいな〜という知識をもらったりしています。
(ありがとうございます〜感謝!!!)

けれど、そのほとんどを私の場合はコメントとして残すことはありません。
ハートのいいねボタンをポチッと押しておしまい。
というよりも、読んだ後そのままハートのいいねボタンすら押さないことも多々あります。

コメントを残すってとってもハードル高くないですか?!(私だけ!?)


なんで怖いんだろう


私にとって何が一体ハードルになっているのか考えてみました。

まず、第一に
お相手に感想を伝える必要性があるのかわからない。

私がどう思ったかなんて、お相手や周りの方からしたらどうでもいいよねと思って躊躇。
そして、そんなこんなのうちに時間は過ぎていく。。。

そして次に
他の読者さんが目にした時にどんな気持ちを感じるかを想像して怖くなる。

うざコメントとか思われたらどうしよう!?と思って躊躇しているうちに、時は流れて終了。。。

自分の投稿ならどうせそんなに多くの人に読まれもしないだろうと書けるのですが
他者へのコメントになると読者さんがもっと多くいるかもしれない…と思い一気にハードルが上がるのです。

また自分自身の発信は
自分が感じたことが「基準点」であり、「常識・当たり前」と思って自信があったのかもしれません。

他者の考えにコメントするということは
他者の考えが基準にあって、その上に自分の考えをのせるようなイメージが私にはあります。
それが私にとってはとても難しく、怖く感じていることに気がつきました。

いいところ探し、いいところ伝え


野球観戦をしていると思わず
「何でやねん」とか「そこでちゃんと振らんかい!」とか思わず言ってしまうことありませんか?
自分では、全くできもしないのに。

ブログや他者の発信に対しても、そんな気持ちを持つことが私はあります。
自分がやってないし、やらないからこそ好き勝手言えちゃうみたいなこと。

それだけ、これまでの自分が言葉を雑に、乱暴に発したり使ってきたことを痛感しました。

相手のことを応援して、いい面に目を向けて伝えること。

それが当たり前になるように意識することで、他者の発信を受け入れる器が自分の中で育っていくし、できたらもっといい循環が起こりそうな気が今しています。

言葉をもっと大切に扱いたい


今回コメントをするという行為を通して、もっと言葉を大切にしたいと改めて感じました。

それは、忖度したりするのではなくて
自分の文章や言葉の選択の癖を自分で知って意識しようということ。

私の場合はちょっと強めの言葉を選んだり、無駄に回りくどくなりがちな癖があります。。

そんなことに気づき出せたのも、日々文章を書いているおかげかもしれません。

これからも自分の発信を続けながら、色々な方の発信に触れて
その発信がより効果的に、魅力が広がるようなコメントがつけれたらいいな〜!

たくさんのポジティブ連鎖のコメントが広がりますように!

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