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無駄なものとはなんだろう

ファスティングを初めてやっている。
いわゆる断食みたいなものを3日間。

今は2日目。


食べることが何よりの生きがいで、美味しいもののためならエンヤコラな私がどうなることやらと思っていたが、何とか過ごしている。

初日だけで1キロ以上減った体重は、自分の何気ない暮らしの無駄を可視化させてくれる。


ファスティングをスタートする前日2日間、準備食を食べていた。
と言っても、朝を酵素ドリンクに置き換えて昼夜は野菜の煮物みたいなものを食べていただけ。

が、これが辛かった。

実際それだけでは、我慢できずに果物を買ってきてはモリモリ食べていた。

そんな準備食でぐだぐだだった私だが、何とか過ごしている。


そんな中で強く感じるのは自分の暮らしの中にある無駄。

今回はファスティングという形で
口から取り込むものを3日間制限することでリセットする。

その間に自分の食欲をコントロールするために、食べ物系のYouTubeや映画、Instagramなどの SNSもできるだけシャットアウト。


そうして過ごしているうちに
いつもの暮らしの中で
自分に本当に必要かわからないままに情報や映像、音に触れていることに気づく。

本当に必要なもの。
必要最小限なものって本当にわずかなもの。
そこに便利さや虚栄心や様々な感情に左右されて、自分の手に抱えきれないものをどんどん入れている事実に直面する。


無駄もある程度は必要。
人生楽しむために経験や体験や一見すると無駄に見えるものも必要。

だけれど、何を楽しいと感じるのかがまた一癖なのだ。


全く何もかもシャットダウンすることは得策ではないけれど、たまにはリセットもいいかもしれない。

目や耳もきっと疲れている。


そんなこんなしながら、食べたいという欲望と闘いながら炭酸水を飲む昼下がり。


そんな休日も悪くない。

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