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やりたいことを貪欲にやった先にあったもの


昨夜、クラリネットとピアノの合わせを一件こなした。
(私、クラリネット吹きです)

やりたい曲をやりたいように吹いて、やりたいように合わせをして終了。
帰宅して録音のチェック。

そこにはやりたい放題やりきった自分の演奏があった。

やりたいことをやること

自分のやりたいことをやる。
それはとても大切なこと。

自分のやりたいことに気づくこと。
とても大切。
気づいたやりたいことを出来ること。
それも大切。

ただ、やりたいことをやるだけではなくてそれを人に提供すること
売り物であり、今回の場合なら聴いてもらえるものにならなければいけない。

やりたいことをやりたい放題なら、誰でもできる。
それを他者の需要であり求めてもらえるものにする、そこが一つの関門になってくる。


芸術や音楽は個性じゃないの?

芸術の世界には、元々の才能がある人が若干だがいる。
確実にいる。
才能だけではない世界だけれど、才能が生まれ持っての環境も含めてある世界だ。

そんな天才たちでもやりたい放題ではやってない。

これまでにその音楽や芸術がどのような歴史とともに積み上げられてきたのか
どのような規則やルールに基づいて作られているのか
知識を持っていて、自分の今の気分や自己流の表現や感じ方で作るようなことはしていない。

していたとしても、それは天才的なのだ。
天才的個性とでもいえようか。。

それくらい個性は突き抜けないと個性にはならない。


やりたい放題だったわたし

今、自分の表現や作るものに疑問を抱いている。
文章もそうだし、音楽もそう。

今までやりたいことをやりたいようにやってきた。
けれど、今それが心地よさを感じなくなってきている。

やりたいことを思うがまま、感じるがままにやってきた。
それがどれだけ独りよがりで幼稚なことだったかを痛感している。

自分のやりたいこと、伝えたいことをただ「聞いてー!」って言うだけでは届けられない。


やりたい放題やり尽くしたのかもしれない。
だって、やりたいを認めてもらえると信じてここまで突き進んでこれたのだから。

やりたいことをやることは大切。
それができる環境に感謝。
そして、今ここからもう一歩。


歩んでいくわたしは、まだまだ成長期。

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