自己表現は生きること

最近文章を書けない日が続いていた。
言葉が降ってこなくて、胸が震えなかった。
書きたい!が湧いてこなかった。

いや、書きたいが湧いてくる元になるアンテナも張れてなければ
心の余裕もなかった。


毎日朝起きて
何とか筋トレしてご飯食べて
子どもを預けて仕事をして
お迎え行って帰宅して
ご飯もざーっと作って
片付けやお風呂をこなして
日記を書いて、英語アプリして眠る日々。

間に職場でおしゃべりしたり
夫にイライラしたり
娘のグズグスの相手をするものの、それが書きたいにはつながらない。


私の書いてる文章は日記のようで日記じゃないのだ。


書いていない間考えていた。


ターゲットは誰なのか、何のために書いているのか
これは日記なのか?

読み手にどんな感情を抱いてほしいのか?
何を伝えたくて書いてるのか?



難しく考えなくていいじゃん!
って思う自分がいるが
この問いに答えが出せるかどうかが、大きな違いを産み出すのだと感じている。


音楽でもそうなのだ。
楽器を上手く吹ける人はたくさんいる。
ただ、その自分の演奏や音楽を届けたいターゲットや理由があるかないか
また、自分がどういうものを作りたいのか
作れるのかということを自分の軸として持っておくことがとても大切。


今は文章や音楽で話したけれど、これって何にでも通ずること。


自分がどうしてそのことをやりたいと思ったのか?
そこの根底には、自分の好きや得意が必ず眠っている。
けれど、その根底を掘って分解して自分に問い続ける作業は時間もかかるし面倒くさい。

そして、自分の弱さや見たくないことからも目を逸らさずに続けなければならない。


逃げるか逃げないか。
そこが生きる力としてすごく大きな部分なのではないか。


ここ数日、書けない日々を過ごしていたのに書き出したら筆が止まらない。

昨日の私はそれでも書けなかった。
それはそれでいい。
書けない時や日々があるから、書けるものがある。

書くことは生きること。
自己表現は自分の生き様や生きること。

自分はここにいるよ
自分はこんな考えで、こういう生き方をしているよ

正解も間違いもない世界で、誇り高く表現し続けたい。

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