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自分の言葉で話すことを恐れないで
私の後輩におしゃべりモンスターがいる。
本当に何時間でもおしゃべりできるような、おしゃべりモンスター。
内容は他愛のない世間話で特にこれといったはないのに時間が経っている。
昨日そんなおしゃべりモンスターと話して別れた後、なんだかモヤモヤが残った。
モヤモヤと不安の正体
第一に感じたのは自己開示しすぎたかも…という不安だ。
お互い様だし、悪口を言ったわけでもない。
でも、会話というものは言葉の端々に自分らしさや自分の考え方が滲み出る。
そのことで、自分の扱い方を知られたのではないか?という不安や恐怖心が湧いてくる。
会話をすることで価値観の違いを知ったり、共感し合ったり。
それがあるから人との出会いや会話は面白い。
自分の思っていた事と同じであれ、違ったとしても他者の価値観に触れることが楽しい。
なのに話し終えて別れた後、私の中に残ったのはモヤモヤとした不安。
どこかで自分の話が解釈の違いで全く違う話になっているかもしれないという不安。
自分の話をその場では何も言わずに聞いてくれていたけれど、本当は反対意見を持っていてそれを影で言ってるかもしれないという不安。
話していた自分の言葉の選び方や態度が悪印象を与えなかったかという不安。
相手のことを信頼していないわけではない。
逆を返せば、相手だって同じじゃないか。
相手から聞いた話を私だって、いくらでも悪くみることも使うこともできる。
話す場所を選択すること
心理的安全性が確保されている場所やコミュニティなら自分の考えや意見を言える。
その環境設定や、そういう場所を持つことはとても大切。
でも、すべての場所がそうではない。
だとすれば、安全性が低いところでは口を閉ざして過ごすのか?
誰なら、どこなら信頼できるのか?
それを見極める目を自分は持っているのか?
傷つくことを恐れて黙っていると自分の言語化能力や考える力も鈍ってくる。
会社内を見渡すと、イエスマンになることに慣れすぎてしまったオジサンたちが何人もいる。
この人たちもかつては自分の考えや意見を持っていたはずではなかろうか。
いつのまに、そしてこれから
いつのまに、こんなにも自分の考えや意見を言うことや話すことが怖くなってしまったのだろう。
子どもの頃は「聞いて聞いてー!」って話をしていたはずなのに。
その「聞いて聞いてー!」の態度が悪印象に感じるような人に出会ったり
話した後に、それが思わぬ悪口のように利用されたりという何かしらの嫌な出来事があったからかもしれない。
生きていると何かしらの嫌な出来事や人に遭遇する。
そして傷ついて、傷を負いながら生きて行く。
同じ傷を負わないように気をつける。
もう傷を負わないように何もしないこともできるし、やり方を変えてみることもできる。
自分の考えや意見を目の前の人に話すことはこわい。
それはプレゼンや会議、講演ならもちろん、日常会話でも同じこと。
いつだって怖い。
だからこそ、気をつけて言葉を選ぶことができるんだ。
傷ついても何度も立ち上がって進む。
すぐに立ち上がれなくても、立ち上がらなくてもいい。
立ち上がることでしか未来は作れないから。
色々な人と話をしよう。
話して聞いて、素敵な言葉を真似していこう。
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