基準(生きる)

人間誰でも生まれて生きて死んでいく。偶然に生まれ落ちた国や家庭の中で人間は時間を過ごして死んでいく。

今回のコロナ問題において日本と言う国の基準が明確に見えた要な気がする。日本の基準は「経済的安定」

各個人のツイッターなどでも判るように、世界比較で言うならば日本は異常な程に対応がゆるい。感染が何百万人になってもおかしくないくらいのゆるさであると、世界を知っている多くの方が忠告を出している。

コロナ問題の出始め頃、日本外務省が一早くホームページで中国人観光客ウェルカムのメッセージを出し、世界では「日本は人命よりもお金が優先なんだ?」と評された。この事実の報道は日本で一切されていないのでは?勿論これは単純な話でも、お金を優先した対応でもなく、あくまで日本の良心からきた対応だっただけである。それでも日本の基準は「経済的安定」である。

特措法にはロックダウンと言う定義はない。政府は緊急事態宣言を発令する事は可能。緊急事態宣言は強制ではなく、要請を国民にできるだけの効力である。ですので発令が出ても出歩くのは個人の自由であり一切の罰則はありません。ので、政府はロックダウンができませんと述べいる。

他国がミサイルを日本へ打ち込みそうだ、、、ヤベェ。でも日本には9条があるので、何も出来ませんと政府は言うのだろうか?赤信号で待っている時、自分に向かって危険な車両が突っ込んで来そうな気配がある。赤信号で動けないので、何もできません。それと同様の事をマジマジと眉間にシワ寄せてもっともらしく述べているとしか思えない。

欧州の基準は「精神的安定」=倫理、人間性の成熟度が問われる。
日本の基準値は「経済的安定」=暮らしが安定度が問われる。
中国の基準は「発展、改革、真理」=常に先へ向かい真理を問われる。
アメリカの基準は「正義」=正誤の葛藤で正義が問われる。
シンガポールは「継続維持」=100年の計を持って人生を楽しむ事を問われる。
タイの基準は「サバイサバイ」

と個人的に見ている。

北欧のコロナ対策も、人間個人の節度を持った自主性で管理されている。国がどうのこうの騒がなくても「子供じゃないんだから」見てれば判るでしょ?キチンと自己管理しなさいよと言う環境である。ましてや自分の命、自分の責任。他の国々は何をしてるの?まるでお祭り騒ぎだよね?と笑っているかの様に個々の自主性で成り立っている。教育問題、社会保障、幸福度問題、全ては倫理的成熟度が高く、大人の世界を普通に垣間見れる。

ドイツメルケル首相発言も非常に倫理的に意味のある成熟した大人の発言であり、リーダーたるものの生きる姿勢がにじみ出ていた。襟を正されたスピーチであったと思う。

地中海側は少々軽視し過ぎた感もあり、政治家も憤慨姿勢を打ち出していたが、、。

中国は常に「真理」を観る様な生き方が基準と思う。先へ先へと改革していくその姿勢が、時に度を超し貪る様な姿勢が「品がない」と評される事があると思う。多くの方が中国人は「お金」だと認識している様ですが、彼らは「お金」の為に靴はなめるが、少なくても彼らは「お金」では死なない。日本人は「お金」の為に靴は舐めないが「お金」を失くしたら死ぬ。何方が「お金」で生きているのか?

アメリカはやはり基準は「正義」。常に何が正しく、何が正義なのか?何事においてもこの基準値で生きている。浪花節じゃない「正義」であり、非常にシンプルで明快な人生を送り易い。自分の中に自分の正義を持って生きるならアメリカという国は非常にマッチする環境だと思う。常にストレートな会話や生き方。スッキリして強く生きていく人生になると思う。

シンガポールは今回の対応でも世界的に評されているが、小国維持の難しさを国民全体が認識している。危機感が常にある生き方をしているし、英国教育の影響もあり、人生を楽しむ事も基準値に入っている。非常に人間の成熟度は高く、非常に住み易い国の一つと思える。リークワンユーの「100年の計」思考がこれからも維持され発展していくと思う。且つエリートの質が良い。英国(欧州)の影響が顕著に現れていると個人的には思える。「人生を楽しむ」と言う基準値を今後も失くさないで欲しいと願う。そのバランスを失った時は住みにくい国へと変貌するだろう。智と心の調和を持った国が新嘉坡であろう。

タイと言う日本人からも人気の国は、常に心地よさを要求される。仕事も楽しい?お金稼ぐにも楽しい?生きているのが楽しい?と常に楽しいことが生きる基準であると非常に明確に打ち出されてる国と思う。非常に混沌であり整備はされていない。ゴチャゴチャの環境で、そのホコリや穴ぼこだらけの環境ですら「別にいいじゃん」「イライラしない」「楽しく行こうよ」と言う生き方がこの国の最大の魅力であろう。キチンと整備されていないとダメな人は合わ無い国だろう。

そして我が日本。

然程の海外を知っているわけではないが、少なくても欧米アジアと見て来た時に、どの国も「精神」を重じている生き方が顕著である。倫理観なのか、正義感なのか、真理なのか、楽しさのかは別として、多くの国々は「精神」を重じて生まれ生きて死んでいる。

日本の最大の特徴は「生活の安定」であり、物質的なものが常に要求されてくる。コロナ対策も人命より「生活の安定」が基準であることが明確に打ち出されている。非常に現実主義者的な環境である。「霞じゃ生きていけない」と言う日本人はこの「生活の安定」が崩れた時崩壊へと向かう。つまり「生活維持の為」に生きているのである。子供の問題、夫婦問題、恋愛、家族、全て「生活安定」が基準となった生き方をするのが日本と言う国と思える。

多くの日本人は「生活の安定が幸福なんじゃないの?」と思うでしょうし、「じゃぁ何故幸福度が低いの?」と問い直されると「、、、」となるでしょう。

この矛盾点が見える人は、日本と言う国は生き難い環境だと思っている事でしょう。言葉とは難しいもので色や形や臭いがない分、理解するのに「読み解く」能力を要する。

「生活の安定」とは何か??

そこが日本と世界の違いなのである。

昔から目的と手段を履き違えている国と称されている。

きっと多くの人は何を言われているのか解せないだろう。

だからと言って日本を否定している訳じゃない。日本と言う国はそう言うもんじゃないの?と思っているだけで、良し悪しでも批判でもない。それが普通に落とし込める人達にとっては日本と言う国は素晴らしい環境の国なのである。

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