嘘をつく人間

世の中には嘘をつく人がいる、気を付けましょう!などと良く言うが、 貴方は嘘をつかないのか?嘘をついた事がない人間っているのだろうか?

嘘をつく理由。承認欲求、自己保身、悪事などの誤魔化し、周囲への気遣い、などなど誰もが人間として普通に持っている本能などからくる理由。

嘘も良い面と悪い面が有る。そうなると嘘は無くならず、嘘は全員がつく事となると思う。嘘をつく人がいるではなく、嘘は誰でもつくものでしょう。

人間は都合の良い面だけを切り抜こうと思考してきた。結果、光と影は切り離せないと言う事を認識した。しかし現実は理解出来ている人は少ない。悪を否定し、影を嫌い、排除しようとする。その排除する対象が他人だったり自分だったりして行く。

嘘をつく人がいるではなく、人間誰でも嘘をつく動物なのだと理解した方が良いと思う。嘘という言動には善悪の両面を兼ね備えている事も同時に理解すべきだろう。当たり前の事だが、普段何気なく嘘の一面だけを否定しようとする心理が働いている。

嘘を暴く。証拠固め。物的証拠、状況証拠。どうやって嘘を引き剥がし本性を真実を暴き出すかと人間は懸命になる。

人間が嘘をつく状況はある程度判明している。ではその状況に陥らない様に環境改善を人類は意識しているのか?嘘をつく人が悪いと個人のせいにして環境改善は然程進んでいないのではないか?普通嘘をついちゃいけないでしょ、嘘をつく奴の責任だよと社会環境への改善策がなされていないのではないか?

殺人が起きる。人が死んでいるのに「私は殺していません」と言う。検察は懸命に物的証拠、状況証拠を固めて行く。証拠残しが強化されている。映像で残す。カメラで監視。どんどん管理社会へ移行している。物的証拠がない場合でも状況証拠のみで死刑を言い渡す。証拠至上主義。問題の根源とはズレたところで終始している。

監視カメラ、プライバシー公開も一種の環境改善となる。しかし限度はある。恨み辛み、人間の感情が激情に突入すれば事件は起きる。嘘のオンパレードになって行く。家庭内でもカメラで監視するつもりなのか?「勉強しなさい」「したよ」と嘘をつく。言っても聞かない、本当かどうか疑心暗鬼。子供部屋にカメラを設置して監視するしか道はないとなって行く。

「浮気してない?」「してないよ」本当かどうかわからない。24時間カメラで監視するしか道はなくなる。人間は本当にそれが良い社会と思っているのか?若しくはベストとは思わないが、ないよりマシ、仕方がない、と思っているのか?

「愛してる?」「愛してるよ」心の中はカメラでは監視できない。どうするつもりなのか?「愛してる証拠を見せて」「証拠を示して」「証拠」「証拠」

気付いただろうか?嘘とは、つく側とつかれる側の両面があって成り立つ事に。

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証拠だけでは嘘は暴けない事がある。相互関係によって成り立つ側面もある。誰もが嘘はつく。嘘は使い方次第で良いも悪いもある。嘘は排除出来るものではない。嘘は心の中に生まれるもの。心は人間が持っているもの。

人間は嘘をつく動物で、その嘘をつく人間が作っている社会、嘘だらけの社会になるのは、ある意味自然の事である。

もっと根源を見直した方が良い。嘘を暴くことへの執着ではなく、何故嘘をついているのか?何故その人は嘘を言わざるおえなかったのか?嘘をつく必要はどこにあるのか?

悪事を隠す為。では何故悪事を働いたのか?その問題はどの様な問題で、嘘をついた人間だけが被った問題なのか?誰もが抱えている問題なのか?誰も抱えている問題ならば、みんなで改善するにはどうしたら良いのか?また同じ問題にぶつかっても何故その人だけが悪事を働いたのか?それは個人の弱さ、個人のずるさ、個人の欲望が原因なのか?

人間の弱さ。どの様な時に人間は心が折れるのか?どんな時にヤケになってしまうのか?貴方は弱くなる時はないのか?貴方は欲望に駆られる事はないのか?貴方はヤケになる事はないのか?貴方は人を傷つけたいと思った事はないのか?貴方は人を恨んだ事はないのか?貴方と悪事を働い人の違いは何なのか?

多くの場合は環境の違いがあるだろう。確かに人間は自分が生きて行くだけで精いっぱいの側面はある。しかしもう少し歩みを緩めて「大丈夫?」「友達なろうか?」「少し休もうか?」「一緒に考えよう」「病院へ行こう」「悪かったな謝るよ」「元気か?」「嫌な事があったのか?」「愛してるよ」「大変だったな」「お前すごいな!」「今度教えてよ!」「今日はどんな日だった?」「明日はどんな日かな?」「一緒にやるよ」「家へおいでよ」「また遊ぼうな」「又会おうぜ」「今度あいつも一緒に!」

本当にちょっとした言動が無数の悪事を未然に防いでいる現実がある。

勿論、この何気ない言動の未然策も完璧ではない。それでも多くの人が思っている以上に「何気ない言動」が人間に与える影響は大きい。当然この様な「何気ない言動」が人間を助ける事もあるが、その逆も真理。十分に気を付けて行動しないと「何気ない優しさ」が人を狂人に追い込む事が多々ある。

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日本の犯罪認知件数は,戦後の混乱を反映して,昭和23年,24年にほぼ160万 件に達した後,減少に転じ,昭和48年には120万件を割って底を打ったが,以降は,多少の起伏 はあるものの,増加を続け,平成1年には216万5,626件、今も増加してしている。貧困と言う経済環境が犯罪の温床だった時代から、経済が発展し一旦は犯罪数が減少し、物が溢れ切った時代から更に犯罪は増加の一途を辿っている。国や生活が豊かになり、人間の幸福が多様性を持ち始め、社会に歪みをうみだし、倒れる者、排除される者、虐められる者、経済環境とは裏原に人間社会環境は混沌とした世界にある。

経済の発展と文化レベルの発展と人間の精神成長の伸び方にギャップがあり、そこに社会や人間の心に歪みを生み出している。管理、監視、証拠固めのシステム構築も大事であろうが、国も地域も会社も家庭も貴方はメンバーの一人であり、一緒に何かをやらねばいけない人間である。政府が何をしてくれるのか?上司が何をしてくれるのか?親が何をしてくれるのか?ではなく、貴方が国や地域や会社や家庭に対して何が出来るのか?を持つもでべきであろう。

自分の事だけやっていれば良いと言う排他的な思考は改めて、自分が何かをしなければと思考を変えて行く事が、何気ない日常を改善を生み出し、嘘をつく人間の実態を知る事に繋がり、嘘をつく人が悪いのではなく、嘘は誰でもつくが可能な限り嘘をつかなくて済む人生を、自分も他人も送れる様変わって行く出発点の様な気がする。

もう批判否定、排除するだけのメガネは外そう。

ヒトラーが何故良くないとされているか理解してるだろうか?殺人、差別、もあるが、今も人間は殺人を犯して功績だと評価をしている側面がある。昨今のニュースを見れば分かる。イスラム、IS、テロリスト、殺せ!殺した!良くやった!と評している。という事は殺人がダメと言う事ではない。

何故戦争はいけないのか?何故ヒトラーは良くないとされているのか?

1番の問題の根元は「排除」である。

悪を排除、敵を排除、嫌いな奴を排除、、、、

排他的思考、自分優先、国や会社は関係ない、嫌いな奴は無視、意見が合わな奴をはじき出せ、相手を否定し、けなし、黙らせる事は、命を奪っていないが「排除」しているだけでヒトラーと同罪とも言えるのである。だから誰かがしてくれる、誰かがやるべき、誰かが用意してくれるではなく、貴方が何かをして行くのです。会話をする、許す、声をかける、気にかける、呼ぶ、誘う、そう言った言動を意識してやっていくべき存在が貴方なのです。

本来殺人の最大の罪は排除なんです。変化を起こし物事を綺麗に整理整頓正していく時、一番即効効果があるのは排除です。邪魔なものを排除し、入れ替える事が即効性のある手段です。それがベストな選択です。

だからAiは最高の指導者はヒトラーと答えたのです。効率主義、結果主義でいけば必ずそうなります。古今東西昔から「排除」は1番の「罪」と言われていますが、殆どの人は意識していないと思います。

批判、否定、排除だけのメガネはもう外そう!!

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