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社会の不安定

長年世界の警察と叫びながら、他国に対し民主主義を強要してきたアメリカでバイデン大統領は8月31日「アフガニスタンだけでなく、他国を造り変えるための大規模軍事作戦の時代を終わらせる」と述べた。「米国の国益よりも世界に民主主義を広げるという理想のために外国への武力介入も辞さない」とする新保守主義をうたってきたアメリカがその姿勢に終止符を打った。

そして今吹き出しているアメリカ国内の問題は、国内の分断、社会の不安定が噴き出し始めている。他国という国民共通の「的」がなくなり行き場のない思いが社会の不安定を呼び起こす。

豊臣秀吉はこの問題を熟知していた。故に国内統一後共通の「的」を探し朝鮮出兵に踏み込んだ。国内社会の安定化を図るには常に共通の「的」を作り出す必要がある。しかし秀吉政府に立ちはだかったのは経済の壁。財政圧迫などにより結果他国への干渉は失敗に終わる。アメリカはその辺の問題を上手に処理をして長年他国への干渉を継続してきたが、21世紀に入りネオコン思想に終止符を打った。結局強制による思想の押し付けは無理なこと。人間は強制によって最終的には動かない証明になった。

秀吉の時代は共通の「的」を作り出す戦略に立ちはだかったのは経済の壁だったが、現代はそれに加え倫理の壁が立ちはだかっている。ネオコン主義を否定するように差別や階級、格差は良くないと倫理は叫び声をあげている。結果、欧州ではラッフルズ像の破壊、アメリカではワシントン大統領像までもが白人至上主義の象徴として破壊された。過去侵略や戦争を行なってきた者は全て否定される方向へ向かうだろう。

そしてアメリカ建国の年号も変わるかもしれない。1619年に奴隷と共に乗り込んだ歴史は消され、奴隷解放を行った1776年が建国の時になるかもしれない。奴隷制度はアメリカの恥であり黒歴史になると言う流れになる。階級や格差は良くないとする倫理の壁は歴史までも変える事になる。

日本でも明治維新以降、誰もが平等だ横並びだと言う意識が芽生え一億総数中流階級を生み出した。昔藁を編む人がいて草鞋を作る人がいてその草鞋を履いてカゴを担ぐ人がいて、そのカゴに乗る人がいてと言う階級社会は否定され、国民誰もが「カゴに乗る人」になってしまい結果誰も藁も作らない草鞋も編まないと言う社会を作り出した。国民の多くが高学歴社会になり一般主婦までもが世界情勢を語り、政治を語り、経済を語る社会となり一億総数エリートと化して、収拾のつかない叩きあいの議論、相手を否定する批判だけが社会に広がり結論の出ない環境を生み出し結果国力が衰退した。

人間という動物をまとめ一丸となって前に進もうと思えば、共通の「的」を作り出しそれに向かって邁進することが重要になる。しかし同時にそれには経済と倫理の壁が立ちはだかる。

今世界はその経済と倫理の壁にぶち当たり、国内回帰を始めている。それは国内における社会不安定を呼び起こす事になる。多くのエリート意識だけが増大し批判の仕合を繰り広げ正解の無い答えを探す無限回廊に入り込み社会の土台は揺れ始める。日本は80年代以降間違いなくその道を辿っている。アメリカもこれから社会が不安定になり国内分断の騒ぎが一層吹き荒れるだろう。

動物である人間が善の世界へ入り込めば無理が生じる。

人間は善を求めるが悪を楽しむ動物である。

人間は平和を望むが戦いを楽しむ動物である。

人間はアガペを崇拝するがエロスに身をまかす動物である。

人間は清流に住めない動物なのである。

そこを忘れてはいけない。

人間社会の不安定を呼び起こす善の意識。保有を必要とするお金は消費を無くして存在はしない。この矛盾の調和を我々は図る必要がある。

差別階級格差が良くないとする一方的な思考ではなく、差別階級格差の必要性を理解しその上で過去生み出した悲劇を繰り返さない様に対処することが我々の行うべきこと。決して闇や影を切り落とす事ではない。

今時代は善という武器を持った者たちが時代を荒らしている。善という武器で社会を責め撃ちまくっている。アメリカも日本もその善という武器の使い方を間違え国内社会の不安定化を激化させている。早めにその狂気に気づくことを願う。

人類の共通の「的」は他国でも他人種でも主義の違う相手でもない。人類共通の「的」は善悪両方を必要とする人間そのものであり、混沌したカオスでどの様に調和を図るのかである。

経済でも収支のバランスを調整するように、倫理においても善悪のバランスを調整する必要がある。一方的な決めつけや押し付けなどで排他的になってはいけない。善と悪は決して切り離せないものである。

お金を増やすには使わないと増えない。この矛盾性を人類はそれなりに調整しようと努力している。賢くなりたいならバカになり、寛容でありたいなら我がままになり、優しくなりたいなら冷酷になる。善を引き立てたいなら悪に身をそめる。

この現実から人間は逃げられない。

問題はその方法である。

お金をは使わないと増えないが、使い方を間違えると減るのみ。賢くなりたいならバカにならないといけないが、バカのなりかたを間違えば単なるバカで終わる。我がままの使い方を間違えば絶対に寛容性は手に入れられない。冷酷さを履き違えたら優しさからは遠ざかるだけ。

勿論人間は神ではない。

完璧な対応は無理だろう。過ちを犯し失敗し失敗し苦労するだろう。それでも人間は矛盾の使い方を工夫していく必要がある。

社会の不安定さは偏った善意識が生み出すパラドックスだ。

過去人類はその不安定さを意識から消し去るため共通の「的」を外界に作り出し社会を前へ前へと邁進させた。時代は変わり他国への干渉はもうできなくなった。外で共通の「的」を作り出す事には終止符を打つ時代がきた。共通の「的」を失った人間は、内輪揉めを始める。それが人間という動物である。

我々が注視する共通の「的」は人間という動物の多様性であり、善悪、陰陽、プラスマイナス、苦楽などの矛盾の使い方である。善だけの衣を着てはいけない。成長だけの意識ではいけない。前進だけでもいけない。増やしたいなら減らすこと。問題はそのやり方である。早くそう言った議論が社会に出始める事を願う。





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