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矛盾は幸福の鍵②

人間社会は結論的に言うと、周囲を巻き込んでどれだけ評価されれるか?で現時点での社会は決まってくる。

例えば企業内での出世や評価にしても、売り上げ重視、利益重視と言っても本当は、売上一つとっても個人一人で完結出来る仕事は殆ど無い。誰かが売り上げを伸ばしたと言っても、影で多くの人間の補佐があってはじめて成り立っている。そんな事は誰も知っている事実。

しかし、現実はその営業担当者だけが評価される。

「ゴミ拾い」を例にするなら、誰もいないところで一生懸命ゴミを拾っても、評価されることはない。評価されたいなら、やはり人が見ている場ですること。それも、誰よりも熱心に拾って印象付けることが重要になってくる現実社会。

この現象を良しとするのか?ダメでしょ?とするかは千差万別の判断があるので、敢えて評さないが、我々の現実社会は、周囲にいかに評価されるかが重要な人生のファクターになる。そうなれば「嘘」は大きな戦力、武器となる。

現実社会で良く見れるよに、うまく周囲を取り込み、上司に媚をうり、業務以外での対応ができる者を社会は評価するにもかかわらず、上司に媚びるような行動を後ろめたく感じる人も多いだろう。一方でスポーツ選手を想像してみたらどうだろう。野球でもサッカーでも、観衆の前で試合をするから面白く、その場で活躍した選手が評価される。フィギュアスケートもそうだ。練習でトリプルアクセルが何回跳べても、本番で跳べなければ意味がない。会社では、上司の前が“試合会場”だ。そこで頑張っている姿を見せようとすることが、果たして悪いことなのだろうか。むしろ、非難されるべきは、普段も頑張らず、上司の前ですら頑張らないような人ではないだろうか?と言う価値観もある。

この様な「嘘」をつく「媚びる」「うまく誤魔化していく」事を割り切ってできる方々が、組織で上層部に残っていくのである。出世をしたい、評価されたいと思う人は、どうしても「嘘」をついて生きていかなければいけない。

だから誰も観ていないところで、誰にも評価されない善行を継続して行うことを望む人は、組織の中で出世はできない。つまり社会に評価される事を強く望まない、出世に対しそこまで拘らないと言う事になる。上記の様に「嘘」をついて「媚びて」いく生き方も、周囲の評価ではなく、己の心が大事なんだと生きていく生き方、どちらがいい悪いではない。どちらでも貴方が望む生き方をすればいいだけのこと。

では、その周囲の評価を気にせず、己の心を重じて善行に生きている人も、全てが真実か?となれば話は違ってくる。結局人間である以上、利他主義的な「嘘」はついている。己の利益を求めての「嘘」はないかもしれないが、相手を尊重する「嘘」は必ずついている。だから「媚びる」から卑しく、社会評価を気にせず、善行に生きる人が素晴らしいとも単純に言えない。我々人間が認めなければいけない事は、己の利益に生きる人間もいれば、利他主義で生きている人間もいると言う事実と、そう言った様々な人間が存在するから社会であり、他人を羨むのではなく、他人を批判するのではなく、どの様な生き方も貴方が貴方の「自由意志」で選択し、その自由に対する「責任」を取るのが大人と言うものであろう。






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