「受入れる側から送出す側への転身」(後編)
1.運命を変えたLINEメッセージ
縫製会社を退社した穴沢啓太さん(39歳)は、地元群馬県前橋市で転職活動を始めようとしていた。年齢的なことを考えると、妥協して決めるのではなく、残りの人生を賭けられるような仕事に就きたいという思いが強く、「これが最後の転職」と心に決めていたそうだ。
そんな中、運命的なLINEメッセージが入った。
「穴沢さん、ベトナムへ来て、日本語の先生になってください。」
前職の部下で、すでにベトナムへ帰国した元実習生のグェン・ティ・タイさん(25歳)からだった。
タイさんは、4年前に穴沢さんが最初に指導したベトナム人技能実習の第一期生だ。誰よりも仕事や日本語習得に熱心で、就業後の日本語勉強会には毎回参加し、実習期間中に日本語能力検定二級を取得したほどのがんばり屋だ。人懐っこい性格で、いつも明るく、実習生のリーダー的な存在だったタイさんは、特技の日本語力や、日本での経験を活かし、技能実習生の送出機関に就職していた。
折しもそこで優秀な日本語教師を探しており、タイさんにとって誰よりも信頼できるベスト・ティーチャーは、穴沢さんの他にはいなかったのだった。
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2.いざ単身ベトナムへ
そんな教え子からのまさかのラブコールに、最初は困惑したそうだ。
それまで仕事として教育関係に携わった経験もなく、ベトナム語が話せるわけでもない。そもそもベトナムどころか海外旅行に行ったことすらなかった。そんな自分が、海の向こう側へ渡って、仕事をするということがあり得るのだろうか、そんな懸念の一方で、実習生と関わった時のやりがいや達成感がよみがえってきた。4年間、日本の受入れ企業という実践の現場で、実習生を育ててきたという自負もあった。
自分ならば「日本語」だけではなく、「日本での働き方」まで教えられる教師になれるではないだろうか。そんな自信も湧いてきた。
これから日本へ実習生として旅立つ若者のために、自分にしかできない役割がある。
「気がついたらベトナム行きの航空券を予約していましたね」
と穴沢さんは当時を振り返る。
最初のベトナム渡航から、僅か3ヶ月後には、腹をくくってベトナムへ移住し、正式に日本語学校の教師に転職を遂げたのだ。
3.新米日本語教師としてデビュー
「受け入れる側から送り出す側への転身」は、元実習生との固い絆がもたらした奇跡といえる。穴沢さんは今、バクニンの宿舎で実習生たちと寝食を共にしている。日中の授業は当然のことながら、一日の始まりの朝礼やラジオ体操から夜の自習のフォローまで、24時間、実習生たちに寄り添っている。実習生と共に暮らす宿舎の環境は、ベッド一人分のスペースだけで、エアコンもなく、決して快適なものではない。給料も日本で働いていたときの半分にも満たない。
しかし、間もなく不惑を迎える新米日本語教師は、実習生への日本教育に全身全霊で打ち込んでいる。
これから、穴沢さんの多くの教え子たちが、日本へ羽ばたいていくことだろう。
穴沢さんの人生の新しいステージでの活躍に、心からエールを送りたい。
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(※このnoteは、ビル新聞2019年10月14日号掲載「リアルタイム外国人技能実習24時」Vol.13を加筆転載したものです。)
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