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どうせ死ぬから住んでみた

本日から不定期で、玉城ちはるさんのnoteをお借りして
エッセイを連載して参ります。
このエッセイは、ちはるさんと、私、なおの共同執筆です。
ちはるさんは『死にたい彼女と住んでみた』
私は『どうせ死ぬから住んでみた』
とタイトル分けをして書き進めて参ります。
本日は、私、なおの『どうせ死ぬから住んでみた』第一章から始まります。
私は素人ですので読みにくいところもあるかと思いますが、
お付き合いいただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。

なお
1990年3月1日生
アルコール依存症、鬱病患者


1 この世界が大好きだから、もう死にたいです


2019年11月のことです。
その日、私は自宅マンションの9階から飛び降りようとしていました。
LINEで友人に、様々なものに関するパスワードと、
『死んだときは頼む。死なないように頑張る』と伝えました。
友人は、『頑張りすぎるなよ』と返信をくれました。
私はそれを見て思いました。

「あぁ、もう、頑張らなくても良いのかもしれない。
15年、考えて、我慢し続けた自殺を、もう、我慢しなくても良いのかもしれない」

その後、泣きながら、ちはるさんにLINEをしました。

『ちはるさん
死なないようにがんばるのにつかれました
もう、一年半もお仕事してなくて
ちゃんと休んでるのに
もし本当に、他人のことを一切考えなくてよくて、自分の好きにして良いって言うなら、死にたい。
仕事をお休みしたときから思ってたことでした。なにもかわってません。
寧ろ、焦るのと、仕事が怖いのとで、なんか、わけわかんないです
15年、死なないように頑張りました。自傷も、たまにやっちゃうけどやめました。
私は私の人生に満足してます。
恵まれた環境で、大学に行けて、バイトもして正社員で働いて、まぁブラックでしたけど。そのあと夢だった服屋にもなれました。
すきなことたくさんして、だいすきなものをだいすきっていって、いろんな本読んで音楽聞いて、
幸せでした。楽しかった。
この世界が大好きです。
だからもう、死にたいです。』

本心でした。以前にも飛び降りようとして、その際に書いた遺書にも同じことを書いていました。
私は私の人生に本当に満足しています。
この気持ちに嘘偽りはありません。
親は私の好きなようにやらせてくれました。
服屋の店員になることは、中学生からの夢でした。
それも叶えられて、本当に沢山の音楽を聴き、映像作品を観て、
本も読んで、恋愛もして、あまり人がしないような経験もしたつもりです。

私は、この世界を、愛しています。
私以外の、すべてを。
私の人生は、本当に幸せでした。

私さえいなければ。


自殺については沢山の方法を考えていて、最も手頃なのは自宅マンションからの飛び降りでしたが、
臓器提供目的の自殺も考えていました。
どうやったら内臓が綺麗な状態で死ねるのか、
せめて誰かのためになる死になるのか、
調べて、調べて、
レシピエント(※臓器を提供される側の人)の手記も色々読んで、考えていました。

でもそのときは、もう、そんなことはどうでも良かったのです。
とにかく、自分が生きていることに疲れた。死にたかった。
そんな私に、ちはるさんはこう返信してきました。

『死にたいか
 死ぬ前にもし、今仕事も休んでるなら高崎に来てここに一緒に少し暮らしてみる?
 私の息子見てくれる人必要だし笑』

青天の霹靂でした。
何を言っているのか解りませんでした。
ちはるさんは立て続けに、こう言ってくれました。

『どうせ死ぬなら、私の家で息子のお世話を一緒にしてからでも遅くはないのではないか? と思うのです笑』

最初は、冗談だと思いました。
私の自殺を回避するために、そう言ってくれているだけだと。
しかし、やり取りを続けるうちにどんどん具体的な話になっていって、
私は完全に混乱状態に陥りました。

まず、高崎がどこにあるのかも知りませんでした。
群馬と聞いて、更に混乱は増しました。
私は地理が壊滅的に理解できない上に、高校の修学旅行以来、一人で飛行機に乗ったことが無いのです。
ちはるさんは更に続けます。

『来ちゃえばいいよ』
『住んじゃえばいいよ笑笑』

「いや『笑笑』じゃない」と、内心思いました。
だけど、「来て良い」と言ってくれるなら、行ってみたい。
もう死のうというときに、居場所があるなら、そこに行ってみたい。
「どうせ死ぬのなら」、そんなことをしちゃっても良いのかもしれない。
混乱した頭の中でも、そんなことを考えていたように思います。

友人や親、かかりつけ医等にも相談すると、
皆「是非行ってくると良い」と言ってくれました。
ちはるさんに教わった通りに、しかしよく解らないまま、
スマートフォンで格安の飛行機チケットを予約しました。
そうして、私は群馬行きを決めました。
30歳を目前に、人生初、女一人旅の始まりでした。

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