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【死にたいじゃなく生きるのが苦しい】

コンサートに来てくれるたびに
とても綺麗な字でお手紙をくれていた彼女。

ある時の手紙に仕事を休んでいる事が書いてありました。
彼女は自分が大好きなことを語る時ものすごい笑顔で話します。

私の音楽についても
私以上に愛を持って話してくれます。
好きなものについて話す時は

本当ーーによく笑います。
とても楽しそうに

「本当っ好きなんですよーーー」って子供みたいに無邪気に
屈託のない笑顔で話してくれます。

そんな彼女は口癖のように
「私なんて30が来るのにこんなにクズ人間なんです」といい、
自分の話はとても楽しくなさそうに話していました。
「私さえいなければこの世界は本当に美しいのに」といつも言いました。

死にたいんじゃなくて
生きる事が本当に苦しいのだろうな

そう彼女といると感じた事です。
だから今日も生きててくれてありがとうと思ってます。

何故なら彼女のいない世界は私には美しくないからです。

生きる意味を問わずには生きられない人と問わずとも生きられる人


その昔私もよく「こんなにもしんどいのに生きる意味があるのか?」
と問わずにはいられないタイプでした。
人生の岐路に立つ度様々な人、出来事に救われてきましたが
当時好きだった本に「老師と少年」というものがあり
その本には「生きる意味を問わずには生きられない人と問わずとも生きられる人がいる」のだとあり
また他には「私の存在や、私が生きる意味などない」ともありました。

私 という概念がないのだと思いました。

ついつい、自分がどれほど世の中の役に立ち、
自分がどれほど必要とされて
自分が生きる意味にはいったいどんな大きな意味があり、
自分にはどんな使命があるのだろうと

私は大きく期待しているのだとわかりました。
その思いとは乖離していく気がする自分という小さな存在がとても意味のないもののように思えてしまうのです。

でも、そもそもそんなに 自分とは と考える事自体、図々しいのかもしれないと思うようになってから私はとても生きることが楽になりました。

何をそんなに大それた存在だと自分を過大評価しているのだろうと。

この世に生まれ出て生かされているに過ぎない自分をどれ程のものだと思っていたのだろうと。
でもやっぱり生きるのってしんどいなって思う気持ちが完全になくなるわけではないのも事実。
誰かに必要とされたい、愛されたいと思うのも事実。

だから私は同じような思いの人に寄り添いたいと思うのだと思います。

生きるのってしんどいよね。
でもだから嬉しいよねって

「生きるのは苦しい
愛すると悲しい
夢見たら辛い
笑うなんてできない

生きるのは嬉しい
愛するとあったかい
夢見たら楽しい
笑い合う喜び

私は生きてる」

この大きく乖離する2つの思いが私の中にあるからこそ

私は生きてるんだと思っています。

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