見出し画像

自殺を考えている余裕も無い

4 自殺を考えている余裕も無い

ちはるさんのおうちに住んで数日が経ち、保育園のお迎えに行く練習の日がやってきました。
私がちはるさんの電動ママチャリを借りて、ちはるさんと一緒にお迎えに行き、コウちゃんを乗せて帰るところまでを練習する日でした。
私は19の時に自転車を捨てたので、そもそも自転車に乗ること自体からの始まりでした。
けれども電動だったので、走り出してしまえば楽でした。
電動自転車の素晴らしさを知りました。
成人して以来、いえ、約6歳の頃以来、初めて保育園というものに入りました。
保育士さんが何をしているのか、お迎えとはどういうものなのかを知りました。
ちはるさんは、玄関に飾られていたコウちゃんが描いた絵を写真に撮って「パパに送ってあげなきゃ!」と言っていました。
そういうものか、と私は思いながら、ちはるさんが保育士さんとお話をする様子や、上着を着せる様子、ご飯を食べて偉かったと褒める様を、つぶさに観察しました。
次は、私が一人でやらなければならないからです。

コウちゃんを乗せて自転車を漕ぐのは私です。
「前の籠に乗りたい」と駄々をこねるコウちゃんにお願いして、安全な後ろの席に乗ってもらいました。
それでも怖くて怖くて仕様がありませんでした。
手はがくがく震え、足もおぼつきませんでした。
緊張しすぎて、逆に危ない状態だったと思います。

途中、コンビニエンスストアに寄って、コウちゃんが大好きなアイスクリームを買いました。
私は、「ひとつだけお菓子を買って良いよ」と言って、コウちゃんのためにご褒美を用意することにしました。
その間も冷や汗ものでした。ちはるさんと2人で同時に別のレジに並んでしまい、目を離した隙に、コウちゃんがいなくなったのです。
慌てて外に出てみると、きちんと自転車の前で待っているコウちゃんがいました。
私はまた思います。

――なんてことなんだ。

オーマイガ!
まさしく「おお、神よ!」でした。
コウちゃんが大人しく待っていてくれたから良かったものの、走り出して車道にでも飛び出していたら大惨事です。
2人もいたのに、一瞬目を離した隙にこの有様でした。

その後もコウちゃんを後ろに乗せて自転車を走らせましたが、私はもう必死です。
いつ倒れて転倒するかも解らない、通行人や同じ自転車の人と接触したらと、思うと、緊張と恐怖で道も覚えられませんでした。
なんとか家に着いて、コウちゃんを降ろしたとき、私は思わずコウちゃんを抱きしめていました。
「よく頑張ったね! ありがとう!」
心の底から出てきた言葉でした。
以降、何度か私一人でお迎えに行きました。
保育園に行く前に、「今日はおねえちゃんがお迎えだから、後ろに乗ってね」と約束して、コウちゃんが好きな玩具を抱えて保育園に行きました。
上手に補助ベルトに足を通せなくて、痛いとぐずるコウちゃんに、「おねえちゃん下手でごめんね」と言うと、「うん」と真顔で返されました。
私は、それこそが心強く、彼が強くて本当に良かったと思うのでした。
 
そんな経験をして、今日はお祖母ちゃんが見てくれるということになった日、私は微熱を出しました。
万が一インフルエンザだったらいけないと思い、近所の内科にかかりましたが、旅の疲れだろうと言われ、精神科の処方薬との飲み合わせも考えて、極軽い風邪薬を出されました。
一人になった途端に、どっと疲れが来て、ちはるさんの家にも拘わらず必死に死ぬ方法を考えていました。
慌てて頓服薬を飲んで、一生懸命ご飯を食べて落ち着かせました。

コウちゃんといると、自殺を考えている暇なんか無かったと、そのとき思いました。
私のすべてをかけて、彼という人間を生かさねばらないと思っていました。
それは、コウちゃんが、ちはるさんという、謂わば「他人」の子だからです。
私の子だったら、私はとっくに自殺か心中していたでしょう。
「他人」であるからこそ、大事にしなければならなかった。
私のすべてをかけて、守らなければならないと思った。
ちはるさんが、どれだけ大変な思いをしてコウちゃんを産んだか、想像に難くありませんでした。
だからこそ、私は私の命を張れた。
私自身の身勝手な自殺なんか考えもしないで、ただコウちゃんという人間に全力で向き合った。
彼のために、私は絶対に死んではならなかった。
こんな思いは初めてでした。
私は、親のために生きていようと思ったことはあっても、絶対に死んではならないと思ったことは、ありませんでした。
私がいなくなった方が良いと思うことばかりでしたから。
でも、死んでも、死んではならない。絶対に私がいなくなってはいけない。
だって、私がコウちゃんを守らなくちゃいけないから。
そう思う経験は初めてだったのです。

ちはるさんは、コウちゃんを一人で見ることを怖がる私に、よく言いました。
「死ななければ良い」と。
多少怪我をしても、泣かせても、おやつを与えすぎても、死なないから良いと。
それは、私にとっては心の支えでした。
初めて誰かの子をお世話することに恐怖を覚えていた私にとっては。
「大丈夫、死んでない。これで死ぬことも、無い」
全力で死に向かう特性を持った〝こども〟と呼ばれる存在を前に、それを頭の中でずっと唱えていました。
予期せず嫌なことをしてしまって、怒らせて泣かせても、「死なないから大丈夫だ」と思い直して、また向き直れました。
そして、私がコウちゃんを信頼して、一人の人間として謝罪すれば、コウちゃんも後からそれを受け入れて、「ごめんね」と言ってくれました。
「お願い、これしたらこれやろうね」と言って、やらなくても、待っていれば自分から「やる」と言ってくれました。
私が子供だましをしたときは「ゆるさない」と言われましたが、「そうだね。今のはおねえちゃんが悪かった。ゆるさなくて良いよ」と言いました。
なんて、素直な人間関係なのだろう。
余裕が無くて自殺を考える暇も無いほどに忙しく、心も体もリソースを割いて、そして得られる、あまりにも純粋な人間関係が、私には驚愕でした。
そして、強欲にも思いました。
いつか、私とのこの関係を思い出すときがあれば、「あのおねえちゃんは一人間として向き合ってくれた」と思って欲しい。
本当に強欲ながら、見返りを求めてしまいました。

別れの時は、非常にあっさりとしていました。
まだ日も昇らない早朝からバスの停留所に行き、コンビニで、コウちゃんの好きなユーチューバーのコラボ商品を買いました。
ちはるさんとコウちゃんといる羽田空港は、とっても綺麗でした。
そこで、大変高級そうなアイスクリームと、白ワインをご馳走してもらいました。
コウちゃんは、広いソファで、まるで自分の砦のようにくつろいでいました。

――おお、なんと気品に満ち溢れた王のような振る舞いよ。

私は彼にかしずいて、手遊びをしながらワインを楽しみました。
私よりも先に、ちはるさんとコウちゃんが出立します。
ついに別れの時が来ても、コウちゃんは悠然としていました。
飛行機に乗る方法を、私よりも余程理解していました。
ちはるさんは、出会ったときのようにハグをして、「またおいで」と言ってくれました。
搭乗口に並ぶ二人を眺めながら、私は手を振り続けました。
不思議と、涙は出ませんでした。
 
こうして、私の群馬旅行は、幕を閉じたのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?