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とりあえず生きることさえ

5 とりあえず生きることさえ

年をまたいで、年始。
ちはるさんのファンクラブ『タマニア』からの年賀状が、私の家に届きました。
ちはるさんは、かならず手書きで、一言添えてくれます。
そこには、こう書いてありました。

「今年もとりあえず生きて(笑)」

とりあえずかよ、と、力が抜けて笑いました。
しかし、こうも思ったのです。

――そうか、生きるのも、とりあえずで良いのか。

その瞬間は、とても楽になった気がしていました。

その瞬間だけは。

その年賀状が届いて数日後、私は自殺未遂をしました。

普通にお酒を飲んで、普通に動画を楽しんで、ふぅやれやれ、と一息ついたその直後、「死のう」と思いました。
特に大きな理由はありませんでした。
強いて言えば、いつもよりも怒りを覚えていたり、やるせない気持ちになっていたから。
本当は誰かに話を聞いてもらいたかったけれど、どうしていいかわからなかったから。
そして、「いつも通り死にたかった」からでしょう。
15年も毎日死にたいと思っていれば、そういう日もあるものです。
サッカーをしてはいけない少年が、サッカーをしたいと毎日希うように。

そうして私は真冬の北海道で夏服に着替え、窓を大きく開けて、ビニール袋を被り、友人に「死ぬ」とひとことLINEをしました。
首を絞めることはその時失念していました。
それさえ覚えていれば、私の人生の終焉はすでに訪れていたでしょう。
一人暮らしの自殺というのは面倒なもので、できるだけ迷惑の範囲を狭くして死ぬのであれば、誰かに連絡をしないわけにはいかなくなります。
誰にも気づかれなければ体が腐ってしまうからです。
この、誰かに自分の死を知らせる作業というものは、非常に厄介な課題になりました。
たとえば誰かが老衰で死んだとしても、その死を連絡するには大変な手間がかかります。
それを自分で死んで自分で知らせるわけですから、その難易度は格段に跳ね上がります。
誰かの迷惑になりたくなくて死ぬのだから、迷惑はできるだけ少ない方がいい。
どうしたって迷惑はかけてしまうのですから、それをどれだけ少なくできるのか。
「死にたい」と発言するにあたって、絶対に考えなくてはいけないことでした。

ただ生きていればそんなことを考えずとも済むのに、とお思いかもしれませんが、生きていれば、未知の迷惑を大いにかけるのです。
これからかける迷惑のすべてをなくして、一度大きすぎる迷惑をかけて死ぬか、
これから多大な迷惑をかけて、死んだときの大きすぎる迷惑だけはかけずに生きるか。
死を希うとき、比べるのは大体それです。
結局私は阿呆な生き方そのもののように、「首を絞めるのを忘れた」という阿呆な理由で、死を免れてしまいました。
友人は車を走らせて私の家までたどり着き、警察まで呼んでいました。
泣いて私の首で留められたビニール袋を破り取り、「生きててよかった」と言いました。
何が良かったのかその時の私にはわかりませんでしたが、友が来てくれたことをただ純粋に嬉しく思っていました。
そして抱き着いて泣きました。
何事かを喚きながら大声で泣きました。
その後はまた友人の家で過ごして、両親が迎えに来たはずですが、あまり覚えていません。
実家に帰って少し落ち着き、2月には自宅に戻りました。
「とりあえず生きる」ことさえできないんだと、自分を責めました。


2月も末に差し掛かったある日、ちはるさんとコウちゃんが札幌にやってきました。
ちはるさんはお仕事でしたので、私はその最中、札幌に単身赴任しているご主人様のお家で、コウちゃんの面倒を見るお仕事をいただいていました。
久しぶりの再会にコウちゃんはとても喜んでくれました。
パパとママが揃っていることに加えて、2月の札幌にはまだまだ雪が残っています。
コウちゃんは嬉しくてたまらなかったことでしょう。
まったく予定にはなかったのですが、お泊りまでさせていただきました。
単身赴任のお父さんのところにお母さんと息子がやってきているというのに赤の他人が何故か泊まり込むというわけのわからない状況でした。

ちはるさんといると、そんなことがよく起きます。
このとき、ちはるさんは私にとある曲を歌って録音したものを聴かせてくれました。
さだまさしさんの『窓』です。
私の為にカバーして歌いたかったのだと、言ってくれました。
音楽ファン、ちはるさんのファンとしては垂涎ものです。
私は自分がどうしてそんな幸福な状況下にいるのかと混乱を覚えつつも、その歌をじっくり聴いて、涙していました。
とてもきれいな歌でした。
サビ終わりのメロディが、ちはるさんの力強くも清々しい柔らかい声に押されて、心にぐん、と染みわたります。
その歌声にそのまま押し出されるように、心臓がきゅうっと切なくなって、涙があふれてくるのです。
この楽曲は後にCD化され、私はそこでまた何度も涙することになりました。
現在好評発売中ですよ。(宣伝)

コウちゃんとの雪遊びはとても楽しいものでした。
絶対に雪遊びをするだろうと思い、持っている中で一番長いブーツを履いていきました。
駐車場の狭い雪山でも、コウちゃんは大喜びです。
雪山の上を歩き、足が雪に埋まっては、そこから抜け出すことを繰り返し、楽しんでいました。
埋まってしまったコウちゃんを助けに行って、私も埋もれて。
道民なのに、本当に久々にそんな雪の楽しみ方をしました。

夕方、大雪が降った時、コウちゃんと一緒にベランダに出ました。
突風とともに雪が舞い上がり、見上げればどこから流れてくるかもわからない雪が迫ってきます。
コウちゃんは大変な興奮ぶりで、花火もかくやという勢いで叫んでいました。
無邪気に、そして全力で、その体いっぱいに、雪を浴びていました。
自然を全身に感じたように、コウちゃんは満足気な笑顔を浮かべていました。
私は、コウちゃんがベランダから乗り出したり足を滑らせたりしないように気を付けながらも、その様を、どこか厳かな気持ちで見つめていました。
寒さも、暑さも、雨も、雪も。
全力で楽しんでいる、純粋な生命体。
彼は、私よりも余程きちんと、生きているんだな、と。

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