見出し画像

【全責任を負えるという覚悟があるのか?】


なおちゃんが我が家にやってくると決まってから
事後報告で旦那さんにお伝えしました。

うちの旦那さんについて少し書いておくと、
専業主婦の優しいお義母さんに、グレープフルーツの薄皮まで剥いて貰っておやつに出して貰えるほど大切に育てられており、 

結婚してから
桃と言えば自分で皮を剥いて食べるものと思っていた私は丸ごと旦那にデザートで出した時に

「え?剥いてくれないの?」と言われ、
「は?かぶりつくのがいいよ」と言ってしまって
 「そんな食べ方した事ない」と言われた時に

これが育った環境の違いというやつだ!

と衝撃を受けたほどでした。
そして、長年単身赴任の優しいお義父さんという両親に育てられた主人は
高卒の私とは違い、高校、大学と留学も何年もして、進学校を卒業し団体職員となった極めて常識人なのが私の旦那様です。また現在単身赴任で離れ離れに暮らしております。

結婚してから私は、日々主人から学ぶことが多く
また主人も

「君、これはこうしなさい、君なんでこんな事するの」と注意を受けることがほとんどで

私が主人に何か注意をするというのはありません。というか注意をする必要がないほどの常識人です。


そんな主人に「あのね、数年前からLINE相談にのってる女の子でね、3年ほど引きこもり気味で
少し前から希死念慮があってね、どうしても死ぬって言うから、私と一緒に住んでみてから死ぬのはどうかって言ってみたらここにくるって話になってしばらく住むことになりました」と伝えると


当たり前ですが ザ!常識人の旦那様は絶句して言いました。

「えっと言いたいことは100以上ありますし、
君は今世ではもうダメだとわかってるので
来世で頑張ってくださいとしか言いようがないのもいつもと同じ意見なんですが
今回のことに関しては一つだけ確認させてください。

君はもう40歳になったと思うんですが
40にもなった人間が、3歳の息子を危険に晒さない
その子が我が家にやってきても息子の安全を守れる、全責任を負うという覚悟で言っているという事で良いですか?」と言われました。

そうなんです。
3年引きこもって希死念慮があり、自殺未遂を繰り返し、アル中で精神科病院に入院歴のある人を3歳の息子がいる2人暮らしの家に迎えます。
と言われれば旦那さんが発した言葉や、反応は決して差別でもなんでもなく、
1人の親として全て真っ当だと思いました。

正直な気持ちを今ここに書けば旦那さんの質問に対して
「全く自信ない」が答えでした。

だけれどもそんな事はもちろん今更言えないし、
言うつもりもなく、私なりに数年やり取りして

なおちゃんは危険ではないと言う思いを強く持っていました。
なので私が言えることとしては

「はい!40にもなった大人が責任を取れると思って言っております」とお伝えしました。

基本旦那様はいつも私のやることにあれやこれやと注意はしますが私の決断を尊重してくれる人です。
そこは本当にいつも心から感謝しています。

旦那さんは私の返答を聞いてそれ以上は何も聞かず
「わかりました。これからそこにくる女の子の命も大切ですが何よりも最優先は僕たちの息子の命だと言う事だけ忘れないでください」と言って電話を切りました。


画像1


私がなおちゃんに

「それなら一緒にここに住んで息子の子育てを手伝って欲しい」と言ったのは決して
なおちゃんが死のうとしてるのを止めるだけのその場凌ぎの言葉ではありませんでした。

私はちょうどその3ヶ月前に群馬県に移住したばかりで、単身赴任の旦那さんと離れ、旦那さんの親戚しかいない、知り合いも友人もいない全くのはじめての地に単身来たばかりでした。

明るく前向きな性格の私ならなんの問題もないと思っていましたが
ワンオペという現実は思ったよりも重く、
3歳の子供は大変手がかかります。

コロナ前の私は仕事が大変忙しく月のうち2週間以上は他県での仕事という毎日でお姑さんに息子を預けることが多く、
肩身が狭い思いをすることもありました。
もちろんすごく助けられましたし嫌な事を言われたわけでなく

単にたった1人での子育てと仕事の両立に困難さを抱え、私自身に余裕がないと感じていました。

そんな時になおちゃんから本当に死ぬというLINEが来たのです。
あの日のことをよく覚えています。羽田空港に着いたばかり、やっと群馬行きのバスに乗り込んだ私の携帯がなりました。
数日間の出張を終え、これから3時間かけてバスで群馬まで帰るのです。
家に着いたら速攻で義母の家に息子を迎えに行き翌日からまた怒涛の息子と2人きりの日々。

仕事でも失敗はあるし、誰かに話したい時もある、でも仕事の愚痴を言えば「では辞めたら良いのでは?」と言われることになるので
私は仕事で何かあっても決して仕事を辞めたいなんて誰にも言いませんでした。辞めたいことなんてないんですがそれでも毎日何かはあります。
自分が情けなくなることだってあります。

それと同じくらい数日息子を義母に預けての仕事ですから、「息子を人に預けてまで私は何やってるのかな?」と思わない日もないわけではないのです。


そんな気持ちの時に彼女からのLINE

思わず綺麗な夕焼けを見ながら彼女に「今日は空が綺麗だね」
「そっか、死にたいかぁ、、そりゃしんどいよね
死んで良いとは言えないからどうせ死ぬなら私と住んでからにしませんか?笑笑」

「私も息子を一緒に育ててくれる人ほしいし笑笑」と送っていたのです。

私は彼女を助けたいだけでなく

本当に共生することで、私も助けてもらおうという思いもあったと思います。


また、それと同時に家の中で他人に子育てを手伝ってもらえるという

「地域で子育てを」と声高らかに色んなところで発している
地域共生、地域包括ケア、多文化共生、

それを実践してみたかったのだと思います。

本当に多文化共生を世に訴えるならば
まずは私が他人と子育てをできるのか、しかも助け合いながら
ベビーシッターのように私だけが助けてもらうのでなく
彼女自身も生きづらさを抱えていて
どこかでは他人の手助けを必要としている

そんなもの同士が本当に助け合えるのかやってみたかったのだと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?