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すべての「なれない」あたし達 -aiko「アップルパイ」読解-

aikoは人生な文章書く系&小説書くオタクのtamakiです。PNはおきあたまきといいます。
aikoのデビュー記念日の7月(前期)と誕生日の11月(後期)にaiko歌詞研究として2曲ほど読んで発表する活動をしています。
今回の読解は後期分です。文中にも出てきますが、11月にサークル参加するイベントがあったので、あまりにも多忙を極めるのが予想出来ましたので(そしてマジでその多忙の渦中に未だにある)スケジュールの都合上、今回は1曲のみの読解となりました。かなし~。

このくだりは恒例の前置きです。ほぼコピペ。もうちょっと先から本編。
2020年までは個人サイト「愛子抄」で掲載していましたが、2021年からnoteでの掲載に移行しました。マガジン「aikoごと」にこれまでの読解のnoteをまとめているほか、一部愛子抄からの転載もあります。

これもコピペですが、過去作について、こちらに転載していこうよ~~……と思いますが、思った以上に時間がかかるので現状全然出来てません。
それもあるけど昔の自分の文章が正直見れたものではないので、あんまりやる気がないです。

だいたいですねぇ! 数年前の自分なんて! もはや! 他人! 内容に保証が出来~ん! せいぜい2018年くらいまでがまあギリ保証出来るかな~くらいな感じです。今の書き方が定まったのも大体その辺なので…。

今時ビルダーで編集してる個人サイトなのでしぬほど読みにくいですが、もし他の曲が気になった方は是非「愛子抄」の方にアクセスしてみてください。「カブトムシ」はこっちにあります。

本題にいきます。2023年後期は「アップルパイ」を読みました。


はじめに

「アップルパイ」はaikoの2023年現在最新のアルバム「今の二人がお互いを見てる」の9曲目に収録されている一曲である。
aikoによると2023年に入ってからレコーディングされた曲とのことで、最新も最新の一曲と言える。2023年9月末まで開催されていたライブツアー・Love Like Pop Vol.23のメンバー紹介のターンで披露された曲でもあり、aiko本人もお気に入りの一曲なことが最近のラジオのコメントでも伝わってくる。

この曲今回はツアーでやった中でとても自分の中で最強の曲だったなーと、
作れてよかったなーってすごい思ってる曲です

2023年10月9日放送
FM802 HOLIDAY SPECIAL Q・B・B ベビーチーズ presents aiko Baby Darlingでの曲紹介にて

また、先日放送されたNHK-FM「今日は一日aiko三昧」において、名だたる強豪曲を蹴散らし、発表されてから一年も経っていないのにリクエスト数第4位にランクインを成し遂げたという、aikoファンからも絶大な人気を誇る曲である。筆者もこの読解作業中にどうにもたまらなくなってしまって衝動的にリクエストを送ってしまった。しかもそれがリクエスト二通目である。
あっ!筆者リクエストメール読まれました!!!あの子の夢で!!!あじがとうございます!!

Spotifyの再生回数だけを見てみても、リード曲である「荒れた唇は恋を失くす」の再生回数を越えて、「今の二人をお互いが見てる」のオリジナル曲のみで言うと再生回数第一位になっている。「アップルパイ」がいかに多くの人の心を捉えたか、揺るぎない証拠であろう。

まさしくTHE・aikoであり、aikoがaikoたる要素が余すところなく詰まっている、とも言える曲だと筆者としては思っている。
「今の二人をお互いが見てる」には失恋を歌う曲がいくつかあり「ワンツースリー」のエグさ、「玄関のあとで」の徹底された容赦のなさもさることながら、「アップルパイ」は叶うことのなかったあなたへの想いと、執着する自分の惨めさと哀れみを、あくまで明るい曲調で軽やかに歌い上げているところが、非常にaikoらしい作風と感じるところである。

なお、冒頭の序文にある通り、今期は例年と違い、東京のイベントにサークル参加するスケジュールの都合上1曲だけの読解となる。その貴重な1枠でアップルパイを選曲したのは「全アルバム一曲以上は読解している曲がある」という実績を作りたいのもあるが、やはり私が、この「アップルパイ」がアルバムの中でそれはもうむ~~ちゃくちゃ猛烈に好きな曲だからである。

最初は「のぼせ」とこの「アップルパイ」が二強だと思っていたが、一ヶ月も経たないうちに「のぼせ」は転がり落ち(のぼせも好きですよ!)気付けば「アップルパイ」のことしか口に出来なくなっていた。他にも好きな曲あるけどさぁ! アップルパイが好きなの~♪

まあそれはさすがに大袈裟な言いざまだが、読解していくうちに、これだけ「アップルパイ」に夢中になってしまう、その理由もわからないではなく感じた。
冗談ではなく、これはaikoの文学で何度となく描かれているテーマの2023年最新版であり、私達が惹かれるのも、aiko三昧でいきなり第4位を取るのも、まったく無理はない話なのだ。

資料を読む

今回は何と言っても最新作のアルバムである。なのでwebにインタビューがいっぱいだぞ~~!ウッホホ~~ウ!と、発売時に出てくるインタビュー記事をかたっぱしからブックマークしローカルに保存し、時には録音もしていたのだが、振り返って見ると意外と「アップルパイ」への言及が少なく感じた(リード曲の「荒れた唇は恋を失くす」以外だと最後の曲の「玄関のあとで」が結構多い印象。体感)
もう一本くらい何か、たとえばスペースシャワーTVの特番などを参照したかったのだが、スケジュールに余裕がなく見送りとなってしまった。面目ないことこの上ない。私が当たらなかった資料で読解が覆ることがあるかもわからないが、今回は当たれた資料だけで述べさせていただく。と言うかいつもそうです。

しかし、少ないながらも「ある珍しい事象」により、aikoからの言及もとい解説が特別多い資料となっている。そのため、他の曲に比べればかなり読解のしやすい、導線の見えやすい曲になっているように思う。体感だけど。

オフィシャルインタビュー

『アップルパイ』は、好きになった相手がこっちを向いてくれた気がしたけど、実は違っていたという曲。この歌詞は自分でもすごく好きですね。ずっと大切にしていきたい気持ちが書けました。

今の二人をお互いが見てる オフィシャルインタビュー
(現在は閲覧負不可)

「好きになった相手がこっちを向いてくれた気がしたけど、実は違っていた」というaikoの言に、ものすごく思い当たる節がある。と言うか曲がある。
それは今から遡ることもう24年前だったり23年前だったりする、aikoの初期の名曲「相合傘」と「アスパラ」である。勿論「アップルパイ」と状況も文脈も違うので一概にどうこう言えるわけではないのだが、この曲達もまさにaikoの言う「好きになった相手がこっちを向いてくれた気がしたけど、実は違っていた」に該当、もしくは該当に準ずる内容だからである。

アップルパイに近いのはどちらかと言えば「相合傘」の方だろう。

 周りに集まった友達 何も言ってくれないのは
 あなたのそのまなざしが遠くのあの子映したから

aiko「相合傘」

ただ「アップルパイ」はaikoにおける、あなたが想いを寄せる第三者である「あの子」の存在はないので(彼女・ヒロインはあるが、アップルパイではあくまで代名詞としての用法なので)辛さがより強いのは「相合傘」と「アスパラ」の方かも知れない。昔の曲の方が強いのってなかなかにエグさありますね。なんか。若さゆえの(※今適当言ってます)

「相合傘」と「アスパラ」は一旦置いて深掘りしていこう。「実は違っていた」というのは実に悲しくはないだろうか。aikoの言葉のニュアンスからすると「勘違い」が一番的確かと思われるが、お互いに見えているものが違っていたと言うか、そもそもの出発地点がズレている可能性もあるわけで、そうなると想いが通ったことや交差したことも、あたし側の一方的な勘違いによる完全なる観測のズレかもわからない。本当は何にも、二人は相通じることなどなかったし、幻の恋とも言えたわけだ。
そう。「アップルパイ」は読解の中でも書くが、どこまでいっても平行線なのである。この曲は「絶対に叶わない、叶うことのない恋」の話、なのだ。

しかし「勘違い」と取ると、それはかなり本気で「相合傘」と「アスパラ」の時代まで戻ってしまうことになる。
いや、戻るという言い方は少し違う。aikoは別に戻っていない。aikoは常に前へ前へ動き続けている。アップルパイはれっきとした2023年の最新曲だ。

つまり、「アップルパイ」は初期の初期からaikoが描いていたテーマの2023年最新版、今風に言うなら令和最新版の曲である、と言うことだ。
そしてそれが真ならば、そんなもん私にブッ刺さらないわけがないのである。何せ私はaiko幼少期の頃(aiko幼少期の頃?)「相合傘」と「アスパラ」の二曲に情緒をボコボコにされたのだ。当時中学生の小娘だった私にはとにかく、衝撃的な歌詞だったのだ……。
もっと言うと、詳しい言及はしないが(ここからほぼ適当言ってるゾーンです)なんとな~く「運命」の系譜、遠い親戚くらいにありそうな気がする。何となくね、歌詞の根底にあるものが似通う気ありませんこと? そりゃあたまきさんアウトですね……と言う感じで、「運命」が大好きな私が猛烈なまでに「アップルパイ」に沼るのはそれこそ運命だったと言ってもいいだろう。

そろそろ冗談はやめて本筋に戻ろう。aikoが「この歌詞は自分でもすごく好きですね。ずっと大切にしていきたい気持ちが書けました」とまで言うのだから、これは読解するこちらとしても腰を据えてしっかり読み込まねばならない。

「アップルパイ」は聴いてわかる通り、切ないというか、悲恋ではある。「絶対に叶わない、叶うことのない恋」と書いたように、あたしの願いは果たされず、歌詞に引用するなら「ワンシーンのヒロインにも彼女にもなれない」まま終わってしまう。しかし、そうでありながらaikoが「ずっと大切にしていきたい」と語るものが、アップルパイにはあるのだ。
それがどこかと言うと、端的に言うなら、おそらくはサビの最後にある「心の中に貼っておいてね」のことを指すのだろう。これは「赤いランプ」や「シャッター」や「あたしの向こう」などで語られているものと共通していると言ってもいい(下記参照)

 たまにあたしを思い出してね
 そして小さな溜息と肩を落とし切なくなってね
 長い月日が経っても アザとなり残る記憶

aiko「赤いランプ」

 あなたとあたしの目の奥に生きる二人が
 同じ笑顔でありますように

aiko「シャッター」

 あなたの心に変わった形のままでもいいから
 いられたら

aiko「あたしの向こう」

ここで挙げた中で「アップルパイ」に一番近いのは「あたしの向こう」だと思うが、これらが描写しているものは言ってみれば「永遠」、である。

その恋自体は、「絶対に得られない、永遠に手に入らないものであり、手にすることは出来なかった。叶うことは出来なかった」けれども「(あなた及びあたしの)思い出にすることで、ずっと忘れないことで、思い出してもらうことで、永遠に自分のものにする」のである。
……ただ、歌詞を見た感じ、自分のものにする、と言うよりは「相手に思い出してもらう」のニュアンスの方が「アップルパイ」も含めて圧倒的なのが、絶対に相手の記憶に残らんとするあたしの気概、と言うか怨念にも近い執念を感じさせて非常にaikoらしくて良いと思う(良いのか?)

話を戻し、これはまさしく、aiko文学の“サビ”(何度も繰り返されるもの)と言ってもいいもの、なのである。少なくとも私はそう読みたい。
「アップルパイ」はその最新作なのだ。aikoはずっとこれを繰り返し描いていくのだろうし、おそらくこの先も第二第三の「アップルパイ」が現れてくるのだと思うところである。

RollingStone

―「アップルパイ」は、ずっと気になっている男性への思いを映像的に描いた楽曲。この歌詞も実体験がもとになってるんですか?

基本は全て実体験が元になってできています。写真みたいな感じでいろんな場面が記憶に残ってるんですよ。その場にいるときも、もう一人の自分がいるような感じで、「今、こうやってこの人の表情を見てるけど、この角度から見るのはこれが最後かもしれないな」とか、「今悲しい顔をしたような気がしたけど、何が悲しかったんだろう。私の気のせいかな」みたいなことをずっと考えていて。実体験の中では、一緒に映画に行ったわけではなかったのですが、“一瞬でもいいから、この人のヒロインなれたらよかったけど、なれなかったな”と思ったのがきっかけでこのフレーズが出て来たんだと思います。

aikoが語る、一貫性と「少しずつ変わっていくこと」のバランス

映像的に描いた曲、という紹介がされているが、まさしくその通りであり、どこを取ってもかなりイメージがわかりやすく脳裏に浮かんでくる。歌詞の中でも映画を見に行っているが、まさしく映画的な曲と言ってもいいだろう。

「“一瞬でもいいから、この人のヒロインなれたらよかったけど、なれなかったな”と思ったのがきっかけで、このフレーズが出てきたんだと思います」と話しているが、aikoの日常で見てきたいろんな場面、それに紐づいているaikoの思考や感情が「アップルパイ」の物語を導き出したんだなあと思うと、やはりすごい作家だなと改めて感服する次第である。
引き出しが多すぎる上にいつでもすぐ開けられて、繋げられる技術がある。彼女は歌手を選んでいるが、作家だったとしても大ベストセラー作家として活躍していたのではないかと強く信じられるところである。
とにかく、これまでの楽曲の誕生の瞬間を参照するまでもなく、aikoは本当にどこからでも曲を作れる、とてつもない作家なのである。

それにしても「なれたらよかったけど、なれなかったな」という諦観の滲んだaikoの言葉が、なんとも言えずただ辛い。
先述したが、この曲は聴いてわかる通り叶わなかった恋の歌であり、普遍的に言うと「なれなかった」側の人間の曲なのである。どんなにいろいろやっても上手くいかなかった、どころか上手くいきようがなかった、そんなやるせなさも煮詰められた曲と言えよう。

ツモるの誤用の話

以下に挙げる二つの資料は歌詞に出てくる「ツモって」の「ツモる」という言葉の、“誤用”に関しての話である。なお、誤用とは書くがaikoの視点では誤用しているわけでは決してない。一応aikoの名誉の為に記しておく。

これは「アップルパイ」の編曲を担当したトオミヨウ氏の指摘により判明したものである。もしトオミ氏が指摘しなかったら、本作の「ツモ」を私達リスナーは一生誤読していたまである。
実際、私は聞いていて、文脈的にはそうは思えないのになんで「ツモ」なんだろう…? と不思議に思っていたのである。aikoは好きだけど楽曲のインタビューを調べない人はずっと「何でツモなんだろう?」と思う可能性すらあると思うと恐ろしい(文脈で理解出来るとは思うが)

aikoのSpotifyライナーボイスを聞いて、本来の意味とは真逆の意味でaikoが使っていた、誤用していたことを知ってようやくそういうことか、と腑に落ちたのをよく覚えている。数々の素晴らしいアレンジを手掛けただけではなく、歌詞研究の界隈においても偉業を残されたトオミさんには一生美味しい物食べていて欲しいところである。
ということで、最初に書いた「ある事象」とは、aikoが言葉を誤用したことで追加の解説が必要となり、その結果、読解が非常にしやすくなったという事象のことだ。こういったケースは過去にも例がなかったので、「アップルパイ」はとても珍しい曲だったと思う。

Spotify LinerVoice

音楽ストリーミングサービスのSpotifyが提供しているインタビューボイスである。ライターとアーティストが各楽曲について語る対談形式になっており、「どうしたって伝えられないから」に続いて「今の二人をお互いが見てる」でも提供されている。
インタビュアーはaikoが愛する地元大阪の放送局FM802のDJ・大抜卓人氏(たくてぃーさん)であり、始終楽しげな雰囲気で話されているので是非聞いてもらいたい。
(以下、引用の文字起こしは筆者による)

(トオミさんがツモるの誤用を指摘した件を話し)
うちの学校は道に迷うと「ツモる」って言ってたんですよ(中略)
(車で)皆でどっか行ってみよーって時に、気付いたら(略)誰か家の門に到着する、とか、ドン突きに行ってまう瞬間に、「あーやばいツモった!」とか言うてたんですよ。
(たくてぃーさん:なんかもう終わってもうたみたいな意味合いですよね)
終わった~!って言うのに「ツモった」って言うのを使ってたんですけど、麻雀では上がる、っていう意味やから、これ、もしかしたらみんな、上手くいった、って思うかも知れへん、って思って…。
でもあたしの中で「詰んだ」意味なんですよね。
あ、あー終わってもうた、みたいな……ので……すので、ここであの、訂正したいと思います……。
この歌詞の中の「ツモる」は、「道に迷う」とか「あ、やばい、終わっちゃった」ていう意味で、あの、捉えてくれると嬉しいです。

Spotify LinerVoice+aiko 今の二人をお互いが見てる

(中略)
ちょっとこっち向いて笑ってくれてるからそうか、って思ってん…けど(小声で)違うよね~…あっ、違ったよね~…ごめんなさい、て言う…。

Spotify LinerVoice+aiko 今の二人をお互いが見てる

(「想い」がラスサビで「遊び」になった点について)
向こうにとっては遊びやったんかな、って言う…うん、でも(あたしは)すごく本気だったよって言う。

Spotify LinerVoice+aiko 今の二人をお互いが見てる

この「ツモ」は二番サビに登場するため、主に二番サビについての解説となっているが、これはそのまま「アップルパイ」全体の解説と言ってもいいと思う。「「道に迷う」とか「あ、やばい、終わっちゃった」ていう意味」と話しているが、ツモっての後に続く「なんとなく気づいてたんだけど」という言葉選びでさえも、そんな「終わっちゃった」と言う心境の中で言うのはもう辛いなんてものじゃないだろう。

「違うよね~…あっ、違ったよね~…ごめんなさい、て言う…」のaikoのコメントは是非実際に聞いてもらいたいのだが、非常に申し訳なさそうというか、ニュアンス的には「場違い」感が出ていて居た堪れなさすら滲んでいるのが大変にしんどかった。
また、「想い」が大サビでは「遊び」に変わっている、格下げされている点についても言及しているが、あたしはあくまで本気だった、けれど相手はそうでなく、それどころか「遊び」でしかなかった、という残酷な事実を突きつけられるところでもある。とにかくあなたとは平行線かつ、温度差も著しくあるのだ。なんと報われない恋であろうか。

B-Side Golden Time J-POP

こちらは同じく音楽配信サービスであるAmazon Musicの資料である。月によってフューチャーされるアーティストの変わるプレイリストであり、2023年4月期はaikoが担当した。「今の二人をお互いが見てる」に加え、最新曲「いつ逢えたら」の各曲にコメントしている。
なお残念ながらフューチャーされるアーティストが月替わりの為、2023年11月現在では聴くことが出来なくなっている。う~んやはりネットの資料って水物。
ここでも「ツモる」の誤用について解説しており、そこから曲の全体像についてコメントしている。

私の学校では、道に迷ったり迷子になったり失敗したりすると、「ツモる」って言う言葉を使ってたんです。
(略)だから、ずっと47年間、失敗したりとか、車運転してて上手く行かない時、信号が赤ばっかりやったりとか、あと、ナビ通りに行ったら突き当りに行ってしまったりとか、そういう時に「ツモる」って言葉を使ってたんですけど、麻雀用語ではツモるって、ツモ、って言うと上がる、やから、良いことって捉える人も……ていうか良いことって捉える人が…9割…(笑)
ごく僅かしか、本来のaikoが使っている「ツモる」って言うのは…ていうか私の言葉はウソなんですよね。ウソっていうかウソじゃないんですけど(笑)私は子供の頃使ってたんですけど(笑)
でも私のこのアップルパイに出てきてる「ツモる」って言うのは、迷路に迷い込んでしまった、ダメだったって意味で使ってます。そこも含めて聞いてくれると嬉しいです。とても切ない、ギュッと好きになって、(でも)やっぱ違ったなって瞬間を曲にしました。

B-Side Golden Time J-POP「アップルパイ」のコメントより
(文字起こしは筆者による)

「道に迷ったり迷子になったり失敗したりすると」とaikoは語るが、もうこの説明だけで「アップルパイ」という楽曲がどういう曲なのか、簡単な説明になっていると言ってもいい気がする。そしてはっきり「ダメだったって意味で使ってます」とも語っているが、まさに「アップルパイ」はダメだった恋愛の曲なのだ。手心がないな。
最後の「とても切ない、ギュッと好きになって、(でも)やっぱ違ったなって瞬間を曲にしました」のコメントもあまりにも的確で、さすが作者と言うべきところである。ずっとずっとあたしはあなたにとって「違う」人であり、あなたの目線からは一向に恋愛には発展しないのである。

資料読み雑感 -ダメだった恋の物語-

ということで、本当はもうちょっと資料が欲しかったところだけど、今回の資料はここまでとする。引用で既に大分長くなっている。
ツモを誤用したことも相まってaikoがかなりわかりやすいコメントを残してくれているので、大分読みやすそう、と言うのが正直な感想だった。実際非常に助かったし、これもう別に読解の必要なくないですか? ともたびたびなっていた。何度か太字で拡大したが、端的に言ってしまえば、アップルパイは「ダメだった恋」「叶わなかった恋」の曲である。
世に出てから一年も経っていないのにaiko三昧リクエスト第4位を取る強者の曲「アップルパイ」。これらの資料と我が読解力を元に、aikoが本来意図している読みにどれだけ添えるだろうか。
まあ別にaikoがご本人登場!して添削してくれるわけでもないが、なるべく大きく道を外れないように読みたいところである。

歌詞を読む・一番

曲自体のサウンドはあくまでも軽快でグルーヴィーだ。イントロの中、ほんのり聞こえるキーボードの主旋律が可愛らしい。

既に幕は閉じていて

 「あんまり落ち込んだらあかんよ」
 慰めてくれる地元の天使
 冷蔵庫開けて氷を頬張ってしみったれる

最初に聴いた時は「おっ!?」と驚いた人も多いのではないだろうか。「あかんよ」とは明確に関西弁、aikoのお国言葉で、彼女が思考においても会話においても常に使う言語である。勿論aikoファンである私達にも馴染み深く、そもそも関西弁、大阪弁自体がユニークでポップで微笑ましい印象だろう。
引用は省略したが、Spotify LinerVoiceにてこの「地元の天使」はaikoの大阪のお友達がモデルであることが明言されている。落ち込んでいるあたしに、天使のように寄り添って彼女の泣き言に付き合ってくれているのであろう。

……ところで、余談に近いが、天使と言うと「花火」の「三角の目をした/耳した」あの天使達を思い出すのだが、aikoの語彙的には「友達」という意味なのだろうか。いや「花火」の天使達は天使にしてはなかなかなことを言っていたが。しかしそうなると「イジワルな天使よ世界を笑え!」の天使もそうなの? と思ってしまう。脱線。ここはスーパー余談。

さて私はさっき「泣き言に付き合ってくれている」と書いたが、歌詞を見てわかる通り、「落ち込んだらあかん」から始まると言うことは、これはもう、冒頭の時点で恋の幕を下ろしているようだ。「慰めてくれる」ともある。少しでも続いているのなら「大丈夫」とか「無理せんと」とか、そう言って「励ます」が妥当だろう。

続く「冷蔵庫開けて氷を頬張ってしみったれる」であるが、しみったれるの意味を改めて確認すると「みすぼらしい感じを与える」である。ならその「みすぼらしい」とは、これも改めて確認すると「貧弱」である。要するにこのワンフレーズは恋が終わった後の弱り切っているあたしの様子、である。
もしくは、aikoのニュアンス的には、くさくさしている様子、も込められているかも知れない。なにせ上手くいかなかった、ツモっちゃった恋愛である。まったくやってらんねーよ、とお酒をロックで流し込んで残った氷を頬張っているような、そんなイメージだ。もしくは、なんとなく冷蔵庫開け、そのまま床にだらんと座ってとにかくぼーっとしてやさぐれてる感じもイメージする。

優しさもある世界

 コンビニに行けばお酒もある
 程よく優しいごはんもある

しかし、そう自堕落にやさぐれてはいるものの、恋が終わったからと言って世界が終わるわけでもなく、日常は変わりなく続いている。
だったらその世界は残酷なのかと言うと、一概にそういうわけでもなく、優しい面もある。お酒がありご飯があり、友達がいる。端的に言うと一番Aメロはそういう世界の、確かにある「優しさ」を書いているのだ。

恋が終わっても(とてもつらいことだけど)生きていかねばならないし、悲しいことに、人間生きていけることを淡々と描写している、とも言えよう。過去に「何時何分」「青空」で読んだ通り、「世界は何事もなく続いてく」のである。なんと残酷なことか。でもそれは同じくらい確かに、やっぱり“優しいこと”でもあるのだ。
あたしの周りには優しい人がいるし、あたしはお酒の美味しさもわかるし、ごはんの温かみもわかるのだ。だからおそらくは、この先きっとそれなりにタフに生きていけることが何となく予感出来る。──でもそれは曲の外を出る話であり、この曲の本質ではない。

ここのくだり、あくまで印象の話になるが「失恋なんかどうってことないです」というニュアンスも読み取れる感じだ。
二番サビの歌詞を先に引用するが、「なんとなく気づいてたんだけど」と歌うくらいなので、あたしはあなたとの恋が上手くいかないと、早いうちから自覚していたフシがある。
だから、終わってしまったらそれはそれで、サバサバと、すっぱり気持ちを切り替えていくことが出来るのだ、自分は全く平気だ、という自負がどこかにあったのではないか、と思うわけである。
そっかあ~! じゃあ、あたしちゃんは大丈夫なんですね!o(^o^)o ヤッタ~! イエ~~イ!
んなわけあるか~い!!

そう簡単には終わらない

それじゃあ、優しく温かいものたちに慰められるんですね! めでたしめでたし! ですね!
秒で天丼するが、んなわけあるか~い!!だ。そう簡単にこの失恋を乗り越えられるわけではないことが、続く一番Bメロで綴られる。大体人間の感情の動きという厄介なものに、ご飯とお酒と友達、そんな程度のもので簡単に折り合いがつけられるわけがないのである。

 食べて一瞬落ちた後目が覚めたら

そう。「目が覚めたら」──ある意味では「優しさ」と言う夢から覚めたのだろう。
温かい優しさに施しを受けたあたしであるが、結局何も変わっていない、永遠に変わることのない今直面している現実に、冷たくなってしまうのだ。

一寸先は莫大な闇

 永遠に眠れなくなるの
 あなたを想えば出来上がる
 ただのただの危なっかしい塊

一度目が覚めれば、何もかも忘れるように眠れることは出来なくなる。暖かい世界に逃避することも出来なくなる。Aメロでは吹っ切れたように歌っておきながらその実、あなたを想うことを、あたしは今もなお止められないのである。
恋は終わった。あたしが終わらせたのだ。でも、なお未練がある。未だ燻ぶり続ける思慕の念と執着に、あたしはずっとずっと引きずられてしまっている。

どう危なっかしいのか

ところで、危なっかしい塊とは何なのか。少し考える。
二人は友達のままで、まだいるのだろうか? だから、終わらせた!と思っていても、まだしぶとく「いや…ワンチャンあるかも…」と虚しい期待を寄せてしまうとか、であろうか。
しかしながら、それを実行する、あわよくばを狙おうとするとなると、友達と言う関係、唯一の枠を無理に逸脱することになるし、最終的には壊してしまいかねない。だが、諦めきれない今の自分がそれを選んでしまいかねない……ので危なっかしいのだろうか。こう、という見解の出しづらいところである。
正直何がどう危なっかしいのかは、人によって解釈が異なると思われる。それだけ解釈しがいのあるところだと思うので、まさに千差万別な箇所になるかと思われる。aikoに真意を問いたいところであるが、是非いろいろ考えてみて欲しい。

うつくしきもの

曲名となった「アップルパイ」が登場する。おそらくあたしの記憶の中で一番あなたと紐づいている食べ物なのだろう。あなたへの慈しみある愛情が溢れるサビとなっているだけに、諦めてしまう彼女が切ないくだりだ。

 アップルパイが好きなの?
 意外に甘いものが好きなんだね
 そんな美味しい顔して食べるなよ

あなたへの愛しさが非常にストレートに出ていると感じるところだ。そしてその愛情は年下の子に向ける目線に近い、と私は感じている。「尊敬」というよりは「慈愛」というか、単純に「可愛いものを愛でる」感覚に近く思う。

すなわちあなたへの愛とか好きの動機が、相手を「尊敬する」とか「憧れ」とかとは異なるのである。aikoはよく尊敬の気持ちで人を好きになると言っているのはaikoファンなら知っているとは思うし、そういう気持ちに基づかれて書かれた曲もあるが(ちなみに、それが尽きた結果相手を嫌いになったのが「磁石」)が、この「アップルパイ」のあたしにその気配は無い。

少なくともサビからはあまり感じられない、と私は思っている。たとえば弟や甥っ子や自分の子供と言った、年下の子に向けられる愛しさに近いと感じるのである。
最終的にどのような愛情に発展したのかは解釈の余地があるものの、当初、あたしが抱いていた「好き」の気持ちの発端は、すごく純粋な、可愛いものを愛しむ気持ちでの「好き」だったのではないだろうか。

覚えていてねあたしのことを

 ひとくち頂戴 目的はそれじゃないけど
 一瞬の想いだったとしても
 心の中に貼っておいてね

あたしはあなたに、アップルパイを一口貰おうとする。当然ながらアップルパイが食べたいわけではない。別にここはドーナツでもクッキーでも、ピザでもピノでも雪見大福でもいいわけである(いや雪見大福でひとくち頂戴要求します!?!?!)

ここに関してaikoが言及していたのを見たか聞いたか覚えがあるのだけど、手持ちの資料には見つからなかった。なので私の読解を述べるだけにしよう。
ここでの目的として、

①あなたと同じものを食べたい
②一口ちょうだい、としてきた奴がいることを覚えておいて欲しい

と言うようなニュアンスがあるのかなと思う。
特にこの②の「覚えておいて欲しい」に、私は「アスパラ」においての、あなたに気付かれるべく、「あの子の前を上手に通るくせ」を覚えた、それこそ健気の塊と言ってもいいあたしの幻影が見えたのである。なるほど「アスパラ」が先祖と言ってもあながち強引ではないかもしれない……とわりと本気で思ったのだが、まあ私がそう思っただけの話である。

そしてあたしは願う。たとえあなたからあたしに向けられたものが、一瞬の、仮初めの想いだったとしても、心の中で貼っておいて欲しいと。
心の中で貼っておく、ということは思い出として永久に保存すると言うことと見て良いだろう。あたしはきっとそうするつもりなのだ。
だが悲しいことに、あたしはあなたではないし、リスナーもあなたではない。あなたが「そうする」「そうしてくれる」とは限らない。誰も断言の出来ない話なのだ。なんとも心苦しく切ない話である。

まあ、あたしもそこまで気にしていないのかも知れない。「おいてね」と言う言い方、聞いた感じではとてもラフな感じがする。あくまで軽くカジュアリーに言うようだが、けれどもそこに込められているのは「あなたの記憶にずっと残っていたい」と言うことなのである。言葉の軽やかさに反してなかなかに重ためな願いではないだろうか。

軽いニュアンスで言ってるのは、ひょっとするとわざとかもしれない。ものすごい痛手を負っているし、引きずってもいるけれど、だったら逆に引きずられないように、あたしの方もあくまで気丈な風を装って、軽やかな風でいるのかも知れない。
それはそれこそ、失恋や重ための想いを綴る曲を、敢えて明るくポップなものにしようとして前向きでいようとするaikoそのもの、と言ってもいいだろう。この「アップルパイ」はTHE・aikoと言ってもいいくらいの一曲、と私が豪語してしまう理由の一つはここにあるのだ。

一番まとめ・終わっても終わらない

一番の総まとめをしておく。読んだことの復習です。

Aメロでは慰めてくれる友達や、優しいご飯やお酒があり、恋がこっぴどく終わった後でも、人間は立ち直れること、なんとか生きていける、そういう優しい世界があることを描いている。あたしもそれを意識していて、なんだったらそんなに大したことなく立ち直っていけると思ってたかも知れない。
でもそれは大いなる誤算であり、思っていたより重傷だったのだ。

その温かくて優しい世界から少しでも外に出た時──あなたを想えば恋慕が止まらなくなり、眠りにも逃避出来なくなる。自分から身を引いたのに、上手く行かないとわかっていたのに、まだ、まだ想ってしまう。このままだと、「友達」に収めて関係を壊してしまうかも知れない。……でもキスしておいて友達のままはムシがよすぎるんじゃ!
あるいは、友達じゃなくなっていたとしても、この先どうなるか……自分がどうしてしまうのかわからない。そういう危なっかしさをなんとかギリギリ抑えている。そんなあたしが一人、眠れぬ夜に悶々としている。……要するに、全然立ち直ってないのである。

アップルパイを食べた思い出が、あたしに甦ってくる。あなたはとてもとても可愛らしかったんだろう。ただただ、純粋に好きだった。
「心の中に貼っておいてね」──ひとくち頂戴、と言ったのも、少しでも思い出を彼の中に残すつもりだったのかもしれない。心の中に残しておけば、それは永遠になる。あたしはそうするつもりなのだ。
「おいてね」と軽く言う感じではあるけれど、ここには切実な、狂おしいくらいの気持ちが込められている。痛手を負い、引きずっているけれど、あくまで気丈に、あたしは装うのである。

歌詞を読む・二番

二番は全体的にあなたとの具体的なエピソードが綴られている一連である。
aikoは二番の歌詞は基本的に製作が決まってからと書き始めるスタイルをとっているのは2023年の今も変わらずで(あくまで基本的になので、例外も勿論あるかと思われる)2022年「果てしない二人」発売時に、二番以降は「けっこうしっかり自分と向き合って書くことが多い」「どうしてこう思って、その裏側にはどんな感情があるのか、どうしてこの人に対してそう思ったのか、みたいなことを自分で自分に問いただしていくというか」とも発言しているので、おそらくaikoの中でもこのアップルパイのあたしとあなたにどんな出来事があったのか、aikoの語彙を使うなら「妄想」して描かれたのではないかと思う。

あなたとの交わり

特にこの2番Aは肉体的というか、湿り気のある質感があって、直截的な言葉を用いていいのならややエロティックである。
秋か冬かの寒い日、おそらく二人きりの部屋の中のキスシーンから描写は始まる。

 加湿器が水を飲みこんだらガラス窓には結露が走る
 この季節だけは窓に雨が降る
 優しいスモークの中でする
 正しいって思いこんでたキス
 誕生日は忘れてもこの日は忘れない

加湿器が使われているので、一般的に考えてアップルパイは秋、冬の曲であることがわかる。思えばリンゴも冬の果物だ。

さて、これはどちらがキスをしたのだろう。個人的にはあたしから迫ってした、のだと思うのだが、曲最後のフレーズの「遊び」を思うと、あなたからほんのちょっとの冗談のつもりで、だったらより鬼畜度が上がるような気がする。許すまじ。aikoにいくつかあるあなた絶許曲の最新曲でもあるのかも知れない。

「正しいって思いこんでた」という修飾も見るからに不安だ。大体、「思い込んだ」なんて言葉を使う時点で、危うくないわけがない。
あたしからキスをした、と仮定して、あたしは「正しい」と思いこんだ、つまり「このままいけるんとちゃうん!? いける!!」と思い込んだのだろうか。
自分は彼女になれる、脈がある、付き合える。だから、そこから逆算すれば、そうじゃない状態でのキスも、終わりよければすべてよしではないが、まあ正しいものだと言える。最後に二人がゴールインすれば何の問題もないよね☆ という感じだ。

というか、ここを読んでいてめちゃくちゃ思うのだが、キスを受け入れたあなたも何なんですか!? ということだ。それを拒否しなかったと言うことは、あなたにもちょっとその気があった、あたしに対して心憎からず思っていたことに他ならないではないか。大体キスしてたらそれはもう付き合ってるって!(「ボーイフレンド」読解でもそういうこと言いました)女性の視点だからなのか、やはり先述したようにあなた絶許曲なのかも知れない、と思わずにはいられない。

誕生日は忘れてもこのキスの日は忘れない、とあたしは歌っている。そりゃあそうでしょうよ、という顔をしてしまいたくなる。余談だがaikoの歌い方を聴いていると「忘れない」というよりは「忘れられない」と言う風に聴こえてくる。aiko的にはどっちのニュアンスも含んでいるのかも知れない。

aikoにおけるフィジカルの重要性

一つ思うことがある。aikoという歌手は、うわべの言葉よりも肉体の質感、フィジカルの感性を極めて重視している、ということだ。
最新曲「星の降る日に」カップリングにして「今の二人をお互いが見てる」発売後の最新曲でもあった「いつ逢えたら」の歌詞でも、「心強い言葉は怖いから/とにかく触って手を握って」と言うような歌詞がある。こう示されているように、aikoの中では明確に、目に見えない、時には嘘も混じるであろう「言葉」というものよりも確かな質量を感じられる「肉体の触れ合い」に圧倒的に価値があるのである。

やや脱線するがこれに関して面白いエピソードがあるので少し引用する。
Team aikoにて隔週配信中のaikoのあじがとレディオ、その第154回(2023.9.28放送)にてaikoが「昔、友達の男子に「お前のほっぺたを噛みたい」と言われてすぐ好きになったことがある」というエピソードを話していてさすがに「どういう!?!!?」「なんて????」という反応をしてしまった。
文脈的には「体のいろいろな部位をしっかり見ていることが素晴らしい」という話なのだが(詳しくは課金して聴いてね)それにしたってさすがに肉体の感覚に重きを置きすぎだろ、と驚愕したし、aikoがいかに人との関わりにおいて肉体的なふれあい、表現を大事にしているか、それを十分に感じさせるに相応しいエピソードだったと言える。

ゆえにこの二番Aは、キスという肉体と肉体の接触が描かれることで、とても肉体的、官能的な描写に重きが置かれていて、これもやはりとても……どころではなく、やはり“極めて”aikoらしい箇所だと感じる。なんだったら「今の二人をお互いが見てる」のオリジナル楽曲でトップを張れるくらいには質感とリアリティのあるくだりだと思う。

切実な既成事実

先述したが、aikoの中ではうわべの言葉より、握手とかキスとかハグとか、そういう肉体的、フィジカルな感覚の方が信頼度が高いわけである。
となると、見方を変えると、それを「利用」することも出来るわけだ。「そういうことをしたのであたしちゃんとあなたくんは恋人同士なのです!」ということだ。一般的な言葉で言うといわゆる「既成事実」である。だからあたしも「正しい」と「思いこむ」ことが出来るのである。
こう見てしまうと、脈がないからこそ体に頼ってしまう、既成事実を作ることで何とか丸め込もうとする……という虚しさというか、健気……と言ってしまっていいのかは要審議であるが、なんとかあなたと恋人同士になりたいあたしの切実さに、心から切なくなってしまう。

キスをしたのならば、既成事実があるのなら、なあなあで恋人同士になれればいいのだが……しかし、なれないことを私達は知っている。既に一番で上手く行かなかったことが描かれいるからだ。これもなんとも虚しい気持ちになる。

辿り着けない「恋人」

 永遠に止まらない会話
 話せることが増えるたびに
 ただのただの危なっかしい友達

とてもキツいことを言うけれど、おそらくこの二人は「友達」ならばかなり上手くやっていける、末永く仲良しでいそうな二人なのだ。だって会話は「永遠に止まらない」し「話せることも増える」し、友達としてなら本当に理想的でずっと仲良しでやっていける二人なのだ。

だが恋愛にすると上手く行かない……というか、恋愛というステージにすら本来上がらないのだ。あくまで友達でしかなく、友達である間だけ、その理想的な最高の状態は保たれるわけである。
友達以上恋人未満とはよく言われるが、どこまで行っても友達が伸び続けるだけで、「恋人未満」という表示はつかないのだ。少なくとも、あなたの目線からはそうだ。

だが、あたしはあなたと違う目盛を見ている。恋人と友達、そのどちらによるか、ギリギリのところでいるような、まさに「危なっかしい」ところを見ているわけである。
あたしにとっては友達と言う次元を、まさに突き抜けるかもしれない。だが、もし一線を越えて失敗したとしたら、ここまで積んで育んできた関係性を破綻させかねない。まさに非常に危なっかしいわけである。……いやそれなのにキスしてるんか~い!

とても仲の良い男女。しかし恋愛ではない。
そんなことある~!? と切なさに感極まって思わず叫びたくなるのだが、あるんだなこれが! めちゃくちゃよくある話! ごまんとあるよ! と口調を崩して書きたいくらいには、そう、この手の話はそれこそ古今東西ごろごろ転がっていると言ってもいい。
つまりそれだけ「アップルパイ」みたいな気持ちになっている女子!男子!そうでない人! が、世の中にはむちゃくちゃいる、と言うことである。
そりゃaiko三昧で第4位取るのも納得である。aikoのaikoたる要素が詰まっているだけではなく、多くの人の共感も得られる曲なのだ。ひょっとすると「アップルパイ」は私が思っている倍以上に、人気の強い曲なのかも知れない。

読解の方に戻ろう。
しかしながら、そういう「危なっかしい」という評価を下せるほどには、キスしておいてあれなのだが、あたしの方もそこそこ冷静だったりする。

わかったような顔をして

「アップルパイ」は全編に渡って心ボコボコ情緒ボロボロソングであると思うのだが、その中で一番ボコボコにされるのはこの二番サビである。正しいと思い込んでたキスをしておきながら、俯瞰でこの状況を見ているあたしは、一種の諦観でもってこのサビを綴っている。

 わかったような顔をして
 知りたい事は聞けずじまいで
 明日こそは燃やそうと8回目

わかっていたような顔。そうだ。aikoも「違うよね~…」とコメントしていたように、なんとなくあたし側は最初から「そう上手くはいかないこと」を自覚していたようなフシがある。私はそう読んでいる。
この歌詞には見えてはいないが「脈のなさ」というものに突き当たるたび、「あーうんうん、うまくいかないですよね…」と、一人わかったような顔をしていたのではないだろうか。

けれども、そういう顔をしておきながら、はっきりさせることは、ひたすら遠回し遠回しにしていたのだろう。
聞けずじまい。いろいろあるだろう。「あたしのことどう思ってる?」かもしれないし、「好きな人いる?」かもしれないし、「もしかして、もう彼女いる?」かもしれない。
この想いにピリオドを打てるような、もしくは、万に一つ、ハッピーエンドにたどり着けるような回答を導けるかも知れない問いを、けれどもあたしは口にすることは、おそらくずっと出来なかったのだ。

諦められない燃やせない

この気持ちを全部燃やして灰にしてしまって、亡きものにしよう、ただの友達に戻ろう! と思ったことが、なんと八回もあるのだそうだ。八回もあって何で燃やせてないんですか!?(電話猫顔

八回、とは相当な数である。つまりあたしは、全っ然手放せていないわけである。燃やそう燃やそうとしておきながら実行出来ない。まさしく「迷い」である。aikoが「ツモる」の解説で言っていたように「道に迷っている」のだ。この二番サビ前半は「迷い」そのものである、と言ってもいいだろう。
だが八回も思ってきてなお踏ん切りがつけられていない、ということは、どれだけあたしがあなたに恋焦がれていたかの揺るぎない証拠でもある。

どうせ上手くはいかない。そうわかったような顔をしていながら、決定的なことは聞けないし、かと言って自分の気持ちを失くすことも出来ない。なんと人間くさく、やるせない姿であろうか。想いを持て余すあたしの姿を思うと、切なさでどうにかなってしまいそうだ。

なんとなくわかってた

 側にいたいと息巻いては見事にツモって
 なんとなく気づいてたんだけど
 そうだよねやっぱ違うよね

「息巻く」とは「赤い靴」にも出てくるが、語義通りに使っているかはaikoのみぞ知るところである。辞書的な意味では「威勢よく言い立てる」「怒る」である。
さっき「知りたいことは聞けずじまい」というフレーズが出たばかりであるが、迷いに迷った末で、「息巻く」の言葉の通り威勢よく──かどうかはわからないが、はっきり自分の想いを伝えることは、一応出来たのかもしれない。息巻くの意味に則って、ワーッ! と伝えたのだろうか。あるいはお酒の勢いを借りたかも知れない。

しかし! しかし彼女は「ツモって」しまったのだ。
ツモる。aikoの言ったように、「失敗した」「終わった」のだ。バッサリ切られたのかもしれないし、そうじゃなく、優しく言われたのかも知れない。どちらにしろ、あたしの危なっかしい想い、懊悩と煩悶の動きはそこで一旦断ち切られたのである。

「なんとなく気づいてたんだけど そうだよねやっぱ違うよね」──私はここで無限に泣いてしまうのだが、他のリスナーさん達にはどうだろうか。
「わかったような顔をして」とほぼ同義だろうが「なんとなく気づいてたんだけど」と言うのは、ズルいじゃないか。上手くいかない、自分には脈がないとわかっておきながら、それでも自分で気持ちを始末することが出来ず、当たって砕けてしまった……。

「自分」だから叶えられない

この「やっぱ違うよね」という言い方が、あたしの好みに反していた、と言うのでは全くなくて、(自分と付き合えない)あなたの気持ちをちゃんと尊重していると言うのが良い。Spotifyライナーボイスでのaikoの言い方も近かったが、そっと、「あっ、ごめんね」「違ったよね」とどこか恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに身を引いている──そんな風に読めるのがより切なくて堪らない。

落ちサビでも出てくるのだが、これはどんな人にあてはまる、「なれなかった」側の気持ちなのだ。自分ではどうしようもない──いや、「自分だからこそ」どうしようもない問題だ。
自分が悪いわけじゃない。ただ「違う」と言うだけで、その望みは永遠に叶わない。これは恋愛だけでなく言える普遍的な現象だ。恋愛を越えた普遍的なものだからこそ、さっきの人気の話に戻るが、多くの人の支持を集められたのだろう。

二番まとめ・危なっかしく散った恋

二番Aは、キスシーンの描写がありとても色っぽさのある場面である。
キスをしたということは、いくつかある線を越えたということでもあるわけで、どっちが働きかけたのかはわからないけれど、最終的に付き合う、彼女になれれば、まだ友達の状態でしたキスも正しいキスと言うことになる。……まあそのキスを受け入れたあなたはボコボコにして然るべきなのだが。もしキスがあっちから持ち掛けてきたのならば、もっとボコボコにしなくてはならない。

しかしそのキスという既成事実をもってしても、あたしの恋は上手くいかなかった。友達としてならめちゃくちゃ上手くやっていける、とても相性の良い二人なのだと思う。けれども恋愛ではないし、そうするときっとうまくやっていけない。友達でしか、二人の関係の良さは保証されないのである。

ということをあたしの方もわかっているし、上手くはいかないんだろうなあ……ということもわかっていながら、その想いを燃やすことは、ついぞ出来なかった。諦められなかったのである。
その想いは止まらず、募りに募って、そして、ついにぶちまけられた、のだが──ツモったのだ。迷いに迷った末に、終わってしまったのだ。危なっかしい想いはまさしくその名の通り、危なっかしく散ってしまったのである。

あたしは全部、なんとなく気づいてたのに、上手く避けることが出来ずにその「違うよね」を目の当たりにし、激突してしまったのだ。
ダメだとわかっていた。ならば、それ以上傷つくのを避けるために、あたしは「やっぱ違うよね」と、そっと身を引くのである。

こんな……こんな切ないこと~~~!!!! あってよくない! よくない!! よくな~~い!!! ……と私は歌詞を印刷した用紙に書き殴っていた。
やったこと(正しいと思い込んでたキス)は間違いかも知れないが、あたしの気持ちを、切なさと苦悩を思うととにかく切なくてたまらなかった。
全ての恋が報われたらどんなにいいだろうか、と心から思ったくらいである。勿論そんなことはありえないのだけど、そう思わされるくらい、あたしの切なさ、そして「アップルパイ」という曲に、それを生み出したaikoにつくづく感極まったのであった。

歌詞を読む・落ちサビ&大サビ

落ちサビはとてもとても好きなくだりである。アップルパイにおける切なさの極みだろう。

何にもなれないあたし

 映画を見に行った時も
 帰りの車の中でも
 あなたの手だけが気になってしまって

映画の内容も、会話の内容も入ってこない。あたしはもはや、あなたのことしか、自分の恋愛のことしか気にしていられなくなっている。
ところで、ここで「手」を見ていることが、aiko的には注目すべき点かと思う。やはりaikoは「肉体」を見ているのだなと、このほんの少しの箇所でわかるのである。

 ワンシーンのヒロインにも彼女にもなれないまま

ほんの束の間のヒロインにも、恋人にもなれない。
何者にもなれなかった。その資格がなかった。本当に、どうあがこうが、あたしはあなたから見たら、どこまでいっても「友達」でしかないのだ。「対象外」でしかない悲しさに、あたしは泣いているのだろうか。いや、きっと「やっぱ違うよね」という言葉と共に、諦めの疲労が滲むやるせない笑みを浮かべているのだろう。そう思う。

 またねと冷たい空気吸い込んだ

またね。あたしは別れを、「自分の想い」との別れを受け入れた。「冷たい」空気と、敢えて書いてるのだ。それを吸い込んだ、自分の中に入れたのは、自分の想いを凍らせるつもりなのだろう。そうやって自分の恋心にケリをつけたのだ。何事も起こらない友達に戻っていくことを決めた。
どうあがいても“友達”でしかないなら、すっぱり諦めた方が、きっとずっといい。どこまで伸びていっても「恋人」の表示にはならない、そのメーターにあたしも変えたのだ。

ただ、「またね」という辺りがaikoっぽいというか、多少の希望を感じさせるのが、何度か書いたが「ワンチャン狙っている・望んでいる」ようにも思う。だからこそ一番Bにおいて「危なっかしい」と評しているのかも知れない。

それはほんの少しの「遊び」

 アップルパイが好きなの?
 意外に甘いものが好きなんだね
 そんな美味しい顔して食べるなよ

ここまでを踏まえると、愛しさを通り越して泣いてしまう。このアップルパイの思い出はツモる前の、まだ脈があるかも知れない、いけるかも知れないと思っていた、希望を持っていた頃なのかも知れないと思うと、なおのことだ。

 ひとくち頂戴 目的はそれじゃないけど
 一瞬の遊びだったとしても
 心の中に貼っておいてね

一番では「想い」だったのが、なんということだろう。「遊び」に変わっているのである。曲の最後でこれとは、aikoには手心と言うものがないのだろうか。……いや、ないな……。

あたしの中では、あなたがちょっと自分に気持ち向いたのも、遊びか、もしくは勘違いだった、と見なされたのだろう。いや、むしろあっち、あなたの方こそ少し気持ちを向けてみたけれど、「なんかちゃうな」と思って、すぐに取り下げたのかも知れない。
つまり、あたしとあなたの気持ちは質の違うものだったのだ。なら、いつまでも平行線なのもしょうがない。「想い」と言う名前も相応しくない、きっと「遊び」でしかなかったのだと、あたしは認識を改めた。「想い」という尊いものから、格下げせざるを得なかったのだ。あたしは、aikoの言っていたように「本気」だったというのに。
この時のあたしの失望を思うと、やはりやるせない気持ちになる。そんなのってない。あんまりである……。

心の中に貼っておいてね。そう、せめてそうしてくれれば、永遠になる。が、所詮遊びでしかなかった奴が後生大事に貼っておくとは思えないので、これはやはり、あたしの勝手な、儚い願い事でしかないのだ。
そう願ったあたしは、ちゃんとペタリと、しっかりと貼るのだと思う。この貼ったものが剥がれるのが「宇宙で息をして」なのだろう。
そうなると結局、永遠なんてないじゃないですか~! と言う話になるのだが、その時思った気持ちは永遠と言えばいいのか、その時に「ずっと想ってるよ」「忘れないよ」という気持ちに基づいた「永遠」を信じられたなら、やっぱり永遠と言うものはこの世にあるのではないか、と私は思うのである。

剥がれるかどうかについては曲の外に出る勝手な話なので置いておくとして、彼女もヒロインも、永遠に手に入らないものだ。けれども、あなたとの日々を思い出にすれば、恋をしていた日々を大切にすれば、永遠に自分のものになる。思い出は誰にも奪えないからだ。
絶対に手に入らない。あなたの彼女になりたいという、あたしの夢は叶わなかった。だけど、そうすることで、永遠にすることで、あたしの唯一のものにしたのだ。絶対に誰にも奪われない、あたしだけの素敵な、切ない思い出に出来たのだ。

落ちサビ大サビまとめ・せめて永遠を願わせて

あなたのヒロインにも、彼女にもなれない。あたしはどこまでいっても“友達”どまりなのだ。何をどう頑張っても叶えられないし、二番サビで見たように、あたしも「やっぱ違うよね」とその事実を受け入れている。なんと悲しいことだろうか。

だから、もう「友達」の範囲を出ないように、出しゃばらないように、あたしは冷たい空気を──どうにもならない冷たい現実を受け入れるように、そして想いを凍らせるように吸い込んで、しかし「さよなら」ではなく「またね」と言うのだ。
というか言わざるを得ないのだ。あくまで二人は「友達」だからだ。ただ、友達である関係性を保ってしまったゆえに、この先どういう結末をたどるかはわからない。ゆえに一番Bで“危なっかしい”と歌ったのかも知れない。

あたしを動かしたものは、残念ながらあなたにとって、“想い”ほど固まっているものではなく、ほんの“遊び”でしかないものだったのかも知れない。
そもそもの基準、というか、相手とは質が違っていたのだ。相手からしたらほんの気まぐれというか、ちょっとその気になってたのかも知れないけれど(だからキスも受け入れたのかも知れないけど)途中から相手の方こそ「なんか違うな」となったのかも知れない。
とにかく、あたしとあなたはどこまでいっても平行線、なのだ。……だからこそ、友達としてなら上手くやっていける。本当に、ここまで残酷なaikoも他にないのではないだろうか。……いやいっぱいあるな。

だがaikoも言っていたように、あたしはあくまで、本気だったのである。
叶わない恋なんて、この世にごまんとある。報われない想いなんて世界を埋め尽くすくらいにある。手に入らないものの方が、ずっと多い。あたしだけが特別ではないのだ。これはありふれた恋の歌で、あたしは世界に何億といるであろう、ありふれた人でしかない。

ただ、手に入らない代わりに、この世界に確かにならない代わりに、遊びでしかなかったその気持ちを、せめて心の中に貼っていて欲しいと、あたしはそう願った。少なくともそうしておけば、形にはならなくても“永遠”となるからだ。──まあこれは単なる願いに過ぎないし、所詮遊び程度の相手が後生大事に心に張り付けておくとは思えない。あたしもあくまで「貼っておいてね」とお願いするだけだ。本当かどうか、明らかにしないで終わる。
だが、あたしは大切に、丁寧に貼るのだろう。いつか「宇宙で息をして」のように剥がれる時が来たとしても、今はとても大事にしたい、唯一の気持ちなのだから。

歌詞を読む・まとめ

剥がれるかはともかく、彼女にも、人生におけるヒロインの座も、あたしは永遠に手に入らないものだけれど、心の中のものは誰にも奪えない。あたしの恋の日々は、本当に永遠のものなのだ。

あなたの中に、あるいは自分の中に、二人の永遠を願う。永遠とはいかなくても、相手の記憶に「残っていること」を望む。これは最初に挙げた通り、過去のaikoの名曲にも類例の多い結末である。
赤いランプ、シャッター、あたしの向こう。「アップルパイ」とは違う文脈や設定、世界であるものの、思い出や夢の中で、その時の自分達やあなた、想いを生かすことで、“永遠”にしようとしているのである。
ある意味では、私が最も狂ってしまう曲である「ひまわりになったら」も該当するかも知れない。隙あらばひまわりになったらの話をする。もはやノルマ。だってほらずっとずっといつまでもあたしのひまわり言うてるし。

ずっと生き続ける恋

aikoがオフィシャルインタビューで話していた「ずっと大切にしていきたい気持ち」とは、曲全体の切なさややるせないさ、叶わない恋に本気になる一途さ、健気さもあるだろうけど、先に挙げた彼女の曲を見ると、「心の中に貼っておいてね」こそが、最も大切にしたいものなのでは、と思う所存である。
あらゆる想いが儚く散っていく恋愛の中で、無駄にはしたくない、その時は本気だったんだ、という気持ちをaikoが愛しみ、尊んでいるということだと私は読みたいし、思い出になれば、その先の糧にしていければ、たとえ失恋という結末になっても、それはその人の中に生き続けるのだ。それもまた永遠の一つだろう。

この「アップルパイ」は失恋曲であり、切ない曲であるが、aikoのそんな前向きな気持ちも込められた曲で、彼女が過去に何度となく繰り返している、作家として取り組みたいテーマの最新作だったとも言えるのではないかと、そう思う。
だからきっとこの先も、「アップルパイ」のような曲はまた生まれてくるんだろう。今度はどういう風な物語を綴ってきてくれるのだろうかと思うと、期待がどんどん膨らんでくるのである。

おわりに -あたしにいいことがあるように-

ところで、この曲は失恋の曲ではあるのだけど、最近読んだ「青空」や「何時何分」のような湿度の高さはなく、重々しくもない。曲のアレンジ的にもポップだし、カラッとしている一曲である。
危なっかしい塊ではあるが、グズグズとはしてないし「そうだよね やっぱ違うよね」と上手く行かないことをある程度自覚していたからこその軽快さになっているのかな、と思うところである。

だからなんというか、曲の明るさのおかげで、ものすごく切なくても重くなく別れていることで、この先に「いいこと」が待っていますようにと、リスナーにふんわりと前向きに祈らせてくれる、あたしのこの先の幸せを願える曲だなと、そう感じる。
だからaikoも、辛くて重たい雰囲気の曲こそ、明るいものにしているのかも知れない。そういう意味で、aikoと言う人は本当に、どんな時でも前向きであろうとすることを諦めない、素晴らしい人だとまた感服してしまうのだ。

LLP23ではメンバー紹介に使われたこの一曲、来年のLLP24でも歌唱してくれたら、とても嬉しく思う。ツアーが終わっても、これからのライブでも末永く歌われることを期待して、今回の読解を締めさせていただく。


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