見出し画像

ひまわりへの憧憬

 寒さに弱い私は、暑い夏の季節を想像して冬を乗り切ります。湿度を感じる暑い空気、蝉の声、青々とした木々に鮮やかな花々……..。そのなかでも、ひまわりのイメージは効果てきめんです。青空の下一面のひまわり畑を思い浮かべれば、「次の夏まで頑張って乗り越えよう!」という気力が漲ってきます。そして、そのひまわりの姿を彷彿とさせる人が、私の忘れられない初恋の人です。

 その人と初めて出会ったのは、私が2歳の時でした。(私はなぜか2歳からの記憶が鮮明にあるのですが、それは初恋の記憶をずっと残しておきたいという脳の欲求の現れなのではないかと思っています。)その人は、私の幼馴染のお母さんでした。いつも姿勢が良くて、明るい雰囲気を持ったその人は、太陽に向かって真っ直ぐ伸びてゆくひまわりのような人でした。地にしっかり足をつけ、自分の足で歩む生命力と、懐の深さを感じさせるその人に、私は憧れを抱いていました。小さい頃、私自身はとても大人しくて人見知りの激しい子供でしたが、なぜだかその人のことは最初から全く警戒心を持つことなく、自分から近づくことができました。そして、「この人にもっと自分を知ってもらいたい。もっとこの人のことを知りたい」と、家族以外の人に初めて抱く感情を味わいました。母親以外の人と暮らすことはそれまで想像もできませんでしたが、その人と家族になったらどうなるだろう……と一緒に生活する想像(妄想?)をしたこともあります。

 私が近づいていくと、その人はいつもぎゅっと優しく抱きしめてくれました。それがとても嬉しくて、でもあまり頻繁にやってもらうのはなんだか咎められる気分がして、私はいつもタイミングを見計らって抱きしめてもらいに行っていました。自分の欲望を満たす時に感じるほんの少しの罪悪感は、この時に芽生えた気がします。

 お別れは、出会ってから約2年後の冬、私たち家族が引っ越すことで訪れました。最後に友達家族の面々がお別れ会を開いてくれたのですが、その時私は「引っ越し」や「お別れ」がどういうものかよく分かっていませんでした。ただ、大好きなその人がいつも以上に話しかけてくれたり、一緒にみかんを食べたりと嬉しいひと時を過ごしました。会の途中で、「本日の主役へ」と私にお菓子でできたネックレスをかけてくれる場面があったのですが、私は大好きな人にかけてもらいたい一方で、それを伝えても良いのか、どうやって伝えれば良いのか分からず、微動だにせずお誕生日席で固まっていました。でも、なんとも幸運なことに、ネックレス持って私に近づいてくれたのは思い描いていた人でした。小さい私に、神様が幸運を届けてくれたのだと思います。首にかけてくれる時に、ネックレスでできる円の中から真っ直ぐに見えたその人の笑顔は忘れられません。

 引っ越ししてから「お別れ」の意味が段々と分かってきました。一撃のショックを受けるというよりも、じわじわと「もう会えない」と理解することができました。そして、「会えなくて寂しい」という気持ちと一緒に、「会えなくても思い出が自分を元気にしてくれる」という感覚を初めて味わいました。大人になった今でも、その人は私の心を温めてくれる、忘れられない初恋の人です。

 


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?