見出し画像

短編小説『幸せなワンダフルタイム』

「六郎ー。今日、みんなで日本シリーズ観るけど、来ないか?」
「パス」
「ほっとけよ。六郎はさあ……」
「ああ、そうだったな」
友人たちが、笑いながら去っていく。
ひとり教室に残された俺は、ため息をつきながら帰り支度をする。
ふと、腕時計を観る。
「5時過ぎてる!? やべ、早くしないと……!」
俺は、ダッシュで家に帰った。
「母ちゃん、姉ちゃん、ただいま!」
「おかえり、六郎」
「姉ちゃん、シャワー終わってる?」
「終わってるよー。早く綺麗にしてきなー」
「サンキュー」
俺は制服を脱衣カゴに放り投げて、シャワーを浴びた。今日は体育があったから、念入りに洗わないと。
俺の家には、風呂場にも時計がある。
俺たち家族にとって、いま何時なのかは、すごく重要だ。
午後6時まで、3、2、1……。
「ワンワン!」(さっぱりした!)
風呂場から、俺(ミニチュアダックスフンド)は、飛び出した。
姉ちゃん(シベリアンハスキー)と母ちゃん(柴犬)は、ソファに寝そべってテレビを観ていた。
「ワン!」(はー、至福のワンダフルタイムよね)
「ワン!」(犬のときは、綺麗な体でいたいよな。姉ちゃん!)
「キャンキャン!」(六郎、あとで床を拭いてね)
「クーン……」(仕方ないなあ。わかった、母ちゃん)
「ワンワン?」(今日も晩ごはんは、いらないの?)
「ワン! ワンワン!」(いらない! 美波ちゃんちでご馳走になるから!)
俺はダッシュで家を出た。

俺たち家族は、午後6時から午前6時まで、ワンダフルタイムを迎える。
ワンダフルタイム。
それは、犬になれる時間のことだ。
母ちゃんはかしこい柴犬。姉ちゃんはクールなシベリアンハスキー。
俺は、かわいいかわいいミニチュアダックスフンド!
ちなみに、父ちゃんは優しいチャウチャウだ。今日は残業だから、社長さんにリードを引っ張っられて家に戻ってくるはずだ。
この犬井町に昔からいた俺たちワンダフル一族。町のみんなは、俺たちのことを受け入れてくれる。
だから俺にとって、ワンダフルタイムは、みんなにかわいがってもらえる幸せな時間なんだ!

「あ、ロクだ!」
「ロクー!」
「キャンキャン! ワンワン!」(みんな、こんばんは!)
「お、ロク。今日もかわいいな!」
「ワンワオーン!」(ありがとう!)
「ほーら、わしゃわしゃ……」
「ハッ、ハッ、ハッ……!」(気持ちいいよー!)
「六郎のときは無愛想なのに、ロクになるとめっちゃ甘えん坊になるなあ」
「ワォン? ワン!」(かわいいから別にいいだろ? じゃあな!)

俺は、美波ちゃんちに行った。
「ロク! こんばんは」
「ワオーン! ワン!」(美波ちゃん! ごはんちょうだい!)
「ロク、ちょっと待ってね」
美波ちゃんちは、老舗の洋食屋さんだ。
うまい肉! うまい肉が食えるぞ!
「ハッ、ハッ、ハッ! ワンワンワオーン!」
(ヨダレが止まらないよ! 美波ちゃん、早く! 早く!)
「はい、ロク!」
「ワ、ワオン……?」(なにこれ……?)
「ドッグフードをスープでふやかしたんだ。胃に優しいよ」
「ワワワワン!?」(ドドドドックフード!?)
「ロク。最近、中性脂肪の値が増えたんでしょ?」
「キャン!?」(なぜ知ってる!?)
美波ちゃんは、俺に一枚の紙を見せた。
『犬井町通信 ワンダフル一族のミニチュアダックスフンドのロクちゃんは、先日の健康診断で総コレステロール値が408になったそうです。かわいがってもいいですが、餌やりはほどほどにしましょう。町長』
「キャーン……!?」(町民全員に、俺のコレステロール値が知られているのか!?)
「私、ロクに長生きしてほしいからさ」
「キューン……」(そんなあ……)
「ロク。その代わりと言っちゃなんだけどさ……私と……デートしない?」
「ワワワワン!?」(デデデデート!?)

「ほら、ロク! いくよー!」
「ワンワン……」(これは……)
公園で、美波ちゃんがボールを投げる。俺は走って、ボールを取りに行く。
「ロク、早いね! ほら、もう一回いくよ!」
「ワン……!」(犬の習性でダッシュしてしまう!)
夕暮れの公園でボール遊びをする俺たち。その様子を、友人たちが笑って眺めている。
「ははは、がんばれよー!」
「ほら、もっと走れー! 408ー!」
「グルルル……!」(俺をコレステロール値で呼ぶな!)
まあ、いいさ。
健康になれば、またうまい肉が食えるもんね。それに、大好きな美波ちゃんと遊べるのって結構、楽しい。
美波ちゃんと過ごせる、幸せなワンダフルタイムだ。
……このことは、誰にも言わない俺だけの秘密だ。

【了】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?