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短編小説『私、配信女子』

凹んでなんかいられない。みんなが待っているんだから。
息を短く吸って、ゆっくり吐く。私、中田なかた美雨みうはスマホの画面をタップした。スマホに接続していた小型の卓上マイクのランプが赤く点灯する。
「こんばんは、みうです。みうちゃんねるはじめます。今日は顔出しできなくてごめんね」
ちょっと前まで泣いていて、顔面がメイクで誤魔化せないくらいひどくなってしまったからだ。
「いわちゃん、まなちゃん、いちろうさん、いらっしゃい。三人ともいつもありがとう。あ、しんごくん、久しぶり」
私は、画面に次々表示されていくユーザー名を読み上げる。ていねいに、ていねいにと、心で唱えながら。
『みんな、暇つぶしなんじゃねーの?』
頭に声が響いてくる。あいつの声。
『すげえな、配信で俺のバイトより稼いでいるんだ』
出会ったときはそう言っていたのに。
『美雨ってかわいいから、ネットでも人気なんだよ。ほんと、自慢の彼女だわ』
そう言ってたじゃん、優斗ゆうと
私はスマホに向かって、コメントを読んだり、雑談をした。
私の配信場所は、いつも自分の部屋だ。二階にある子供の頃から与えられた六畳間。
『実家暮らしで防音ばっちりだから、深夜でも配信で稼げるんだな』
でも優斗は、私がスマホとマイクを置いているのは、小学校の頃に親に買ってもらった学習机だとは知らない。
『美雨、別れよう。楽してる美雨と俺、合わないと思う』
さっき、電話で言われた言葉が頭をよぎる。
『配信で顔出して課金してもらえるって、普通に働いてる俺には、ズルして金稼ぎしているとしか思えない』
なんで、よりにもよって、別れ話を電話で伝えるのよ。電話口の台詞は、頭が痺れるくらい記憶されてしまうのに。
いま私は、優斗が放った言葉の液体で脳がひたひたになっている。
忘れなきゃ、忘れなきゃ。別れたという事実だけを受け止めるんだ。そう思っても、あの声はしばらく、いや、もしかしたら、ずっと、私は覚えているんだろうな。
コメントをひろう。
「えっと、いちろうさん。『みうちゃん、今日いつもとちがう。声が』えー、そうかなあ。まなちゃん。『なにかあったら相談に乗るよ!』……うん、ありがと。でもね」
私は声色を変えようと意識した。口角を上げる。顔を作れば、明るい声が出ると思った。
「なんでも……なんでも、ない、よ……」
声が震えてしまう。
「みんな、これから私が何を言っても、ギフトしないでくれる? 釣りとかアイテム目当てとか言われたくないから……」
『いいよ』や『りょ』というコメントを確認してから、私は口を開いた。
「実は私、失恋しちゃって」
『つらかったね』、『泣いていいよ』、『それは落ち込むよね』と次々コメントがスマホに映る。涙や泣き顔の絵文字もいっぱい表示された。
読むことができないくらいの速さで流れていくたくさんのメッセージ。
「つらいのは別れたことじゃないんだ。私の好きな配信を……私の枠に来てくれるみんなをバカにしたのが、すごくいやだった……って、え?」
『ごめん』というメッセージが流れていく。
スクロールしてユーザー名を確認する。
『Y』
Yはすでに退出していた。
『どうしたの、みうちゃん』
いわちゃんがコメントを打った。
「なんでもないよ」と私は返事をした。ユーザー達とのおしゃべりを続けた。
優斗。来てくれてありがとう。
でも、もう恋人には戻れないね。
彼氏だったあなたがわからなかった『みう』も、私の大切な一部だから。

【了】

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